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2018年2月

2018年韓国平昌冬季オリンピックへの雑感

 2月9日から25日まで、韓国平昌(ピョンチャン)で冬季オリンピックが開催された。
 私はさほどマメにテレビでライヴを観戦したわけではなく、多くはニュースなどの録画で観たことが多い、いわば横着な観衆だったが、フィギュアスケートの羽生結弦選手、スピードスケートの小平奈緒選手、高木美帆選手、高木菜那選手、菊池彩花選手、佐藤綾乃選手のそれぞれの金メダルは素晴らしかった。銀メダルの宇野昌磨選手、渡部暁斗選手、平野歩夢選手も大健闘であった。銅メダルの高梨沙羅選手、原大智選手、藤沢五月選手、吉田知那美選手、鈴木夕湖選手、吉田夕梨花選手もとても立派な成果であった。メダルに届かなくとも、スノーボード・パラレル大回転の竹内智香選手は大けがを克服してグッドファイトを見せてくれたし、フィギュアスケートの宮原知子選手・坂本花織選手も堂々たるパフォーマンスだった。そのほかにも、メダルの有無に関係なく、アスリートたちがたくさんの感動を与えてくれた。
 その一方で、今回のオリンピックは問題が多すぎる点でも印象が深いものであった。会場が極端に寒くて天候も不安定が過ぎて、スノーボードの滑降競技では大部分の選手が強風で転倒してしまったし、スキーのジャンプではやはり強風で試合途中になんども中断が発生し、選手は待機中強風・極寒のなかにさらされた。これらの悪条件は、勝負そのものについては平等だとしても、「アスリート・ファースト」からはほど遠いものであり、選手たちはほんとうに気の毒であった。
 出場選手だけでなく、大会運営を陰で支えるボランティアに対する準備や処遇も、とてもひどいものであったらしい。衛生管理の極めてわるい厨房でつくられた給食から、大量のノロ・ウイルス汚染と罹患を発生した。一部の選手にさえ罹患者がでた。会場への交通手段が未整備で、氷点下20~30度の極寒のなかで数時間待たされたボランティアの人たちも発生した。スキー・ジャンプ競技では、選手へのインタビューを行うミックス・ゾーンと呼ばれる各国メディアが集まる場所が、これまた吹きさらしの極寒の場所で、選手たちも報道陣も命がけのインタビューであったという。
 韓国が半島国家であり国土がさほど広くないといっても、もう少しマシな地域でオリンピックを開催できなかったのだろうか、あるいは平昌でなければIOCが招致を認めないというのであれば、IOCにも重大な責任があるのではないだろうか。
 さらに今回のオリンピックを決定的に深く傷つけたのが、文在寅(ムン・ジェイン)大統領であった。非核化を求める国連経済制裁に困窮する北朝鮮の金正恩が、年頭演説で「平昌冬季オリンピックに参加する用意がある」と発言したのがそもそものはじまりであった。元来親北である文在寅大統領は、オリンピックに北朝鮮を参加させることに夢中になり、金正恩の一言一言に有頂天に舞い上がりあるいは蒼褪め、金正恩に思うままに操られて、北朝鮮の非核化を目指す世界各国、とりわけ米・日との協調体制を崩しかねない、理解不能で素頓狂で愚かな態度をとり続けた。韓国のみならず、日本のメディアの報道姿勢も異常であった。北朝鮮がごくわずかの低レベルの選手しか派遣できないのを弥縫しようと、また愚かな外国メディアの注目を集めて政治的に優位に立とうと、選手数より一桁多い人数の「美女応援団」「楽団」なる怪しげな女たちや、金正恩の妹という独裁体制の象徴のような女を、オリンピック会場に派遣した。これに対して韓国内のメディアのみならず日本のテレビや新聞も、なんども詳細に執拗とも思えるほどにこれらの女たちを取り上げて頻繁に報道していた。「美女応援団」などという物言いは、セクハラに抵触しないのだろうか。日本の多くのメディアは、その一方で、アイススケート・ショートトラックの競技において、自分で勝手に転倒した北朝鮮の選手が、日本選手のスケート靴をつかみ、さらに脚で走行妨害した事実を報道しなかった。被害者の日本選手も、オリンピック出場をめざして懸命に努力を積み重ねてきたのだ。このバランスを欠く報道姿勢はどのような考えに基づいているのだろうか。金正恩の高笑いが聞こえてきそうな韓国大統領、そして日本のメディアの行動が続いた。
 2008年北京オリンピックのとき、国益のみを追求し、オリンピックを全面的に政治利用する中国の醜いオリンピック運営を観て以来、私はオリンピックに対して良いイメージを持てないのだが、オリンピック出場を目指して懸命に努力するアスリートたちの間近にいる人たちからは「オリンピックを否定するなんて、とんでもない」と叱られた。たしかに今回の冬季オリンピックでも、もしオリンピックがなければ私など生涯かけても知らないままだったであろう競技種目をたくさん知り楽しむことができた。競技種目が広範囲にわたり、世界中の観衆が多彩な競技にであって楽しめるという点で、オリンピックが格別に優れた特徴をもつことは認めざるを得ない。それにしても、今回の平昌冬季オリンピックのように、あまりにも露骨かつ稚拙に北朝鮮に政治利用されるような醜態が繰り返し発生するようであるなら、われわれも真剣にオリンピック廃止を議論すべきである。「わが圧倒的な核兵力で、日本列島を海底に沈める」などと発言する金正恩の北朝鮮が、ますます核開発を進めてわが国が深刻な危機をさらに深めるようなら、到底スポーツどころではない。今回の文在寅大統領の醜態は目に余るが、振り返ればかつてわが国の民主党政権時にも、鳩山由紀夫が大韓航空機爆破事件の真犯人を国賓なみの待遇で日本に招待し、自分の別荘に宿泊までさせるという醜態があった。決して他人ごとではないのかも取れない。
 IOC会長のバッハ氏は閉会式で「平和に向けて、歴史に残る感動をもたらした」と空空しく発言し、さらに金正恩の招待に嬉々として北朝鮮を訪問するという。オリンピックの理念として「平和の祭典」という理念は尊重すべきだが、スポーツ「だけで」平和が実現した実績はなく、なんら現実性がないのであり、北朝鮮に核開発の時間を簡単に与えて、世界の脅威を増幅する惧れをこそ真剣に考えるべきなのである。
努力を重ねて健闘し、たくさんの感動を与えてくれたアスリートたちには罪がないので、いささか申し訳ないが、私にはとても後味の悪いオリンピックであった。

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ゴッホ展―巡りゆく日本の夢―京都国立近代美術館(2)

ゴッホ誕生からパリ時代まで(下)
Photo 浮世絵に魅了されたのはゴッホだけではなく、当時のパリはジャポニズム(日本趣味)がまさに最盛期を迎えていた。アンリ・トゥールーズ=ロートレックは「ディヴァン・ジャポネ」(1881)という内装を日本の浮世絵からとったデザインにしたことで人気を博したパリのキャバレーのようすを描いている。でも私には、壁に日本の川船の切っ先などがわずかにうかがえるだけで、「日本風」とまでは見えないのだが。エミール・ベルナール「ポンタヴェンの市場」(1888)がある。描く対象は簡素化され、暗色で縁取りした内側はグラデーションのない平坦な色合いで描く。このような描写法は「クロワソニスム」と呼ばれ、ベルナールやゴーギャンが創始者とされる。この名称は、素地に金属線(cloisons=仕切り)を貼付けたのち、粉末ガラスを満たして焼く「クロワゾネ (cloisonné)」、日本では七宝焼と呼ばれる伝統的金属工芸の技法からきている。
 パリ時代のゴッホの浮世絵との格闘を示す代表的な作品として「花魁」(1887)がある。1886年、『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号が出された。その日本紹介文は林忠正が書いたもので、日本の美しい風景の記述はゴッホや彼の同時代人に、美しい日本のイメージを強く印象づけたらしい。ゴッホはこの表紙に使われていた渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」(1820~30年代)を拡大模写して「花魁」として描いたのである。ゴッホは、渓斎英泉の浮世絵を、写実的にではなく、自分の意志で特徴や技法を取捨選択しデフォルメして描きなおしたのであった。
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 めずらしい作品として、楕円形の木板の上に油彩を描いた「三冊の小説」という作品がある。この板の裏側には「起立工商会社」と漢字で記されている。これは長らくどのような目的で制作されたのか不明であったが、日本の美術品をフランスに輸入して商売していた会社が、パリ国際博覧会に商品展示コーナーを設営し、そのなかで説明用ボードとして使用されたらしいことが判明している。

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ゴッホ展―巡りゆく日本の夢―京都国立近代美術館

 ゴッホの展覧会が京都で開かれるというので、寒波の谷間を狙って岡崎公園に出かけた。
 会場に着いてはじめて知ったのだったが、今回のゴッホ展はただコッホの作品をならべるのではなく、ゴッホの芸術と日本の芸術・文化との関連性や日本との交流に焦点をあてた展覧会だという。展覧会企画総合監修者の圀府寺司大阪大学教授のもと、学芸員たちがアムステルダムのファン・ゴッホ美術館のスタッフたちと綿密な打合せを重ね、世界各地のコレクションと交渉しながらつくりあげた準備周到な展覧会だという。

ゴッホ誕生からパリ時代まで(上)
Photo フィンセント・ファン・ゴッホは、オランダ南部のフロート・ズンデルトに1853年(日本の嘉永6年)に生まれた。これは、奇しくも日本にアメリカ艦隊のペリー総督が来航した年であった。やがて日本は開港して、多数の日本美術作品、とくに浮世絵がヨーロッパに紹介されることになった。ゴッホは、16歳ころから数年間は4歳年少の弟とともに画商の手伝いをし、24歳からは父が牧師であったこともあってか聖職者を目指してブリュッセルの伝道師養成学校に仮入学したりした。
 さらに伝道活動にもかかわったが挫折し、27歳ころから画家を志した。1886年、33歳になってアントウェルペンの王立美術アカデミーに入るが、まもなく弟が居たパリに移った。このパリでゴッホはフランスの印象派と日本の浮世絵に出会った。印象派芸術はゴッホに、光と明るい色彩を与えた。浮世絵はゴッホに、大胆な構図、新しいモチーフ、そして平坦で思い切った色遣いを与えた。
 パリの画商サムュエル・ビングの蔵には、日本から輸入した1万点を超える大量の浮世絵があったという。浮世絵に魅せられたゴッホは、そこに入り浸って熱心に浮世絵を研究し、また行きつけのカフェで浮世絵展を催すこともあった。「カフェ・ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ」(1887)は、そのカフェの女主人とともに壁面に浮世絵が展示されているのが描かれている。

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「喜劇 有頂天一座」大阪松竹座

 渡辺えり・キムラ緑子・段田安則がタッグを組んで、北条秀司原作・斎藤仁史演出で舞台喜劇とした作品である。Photo
 時代は半世紀余り昔となった東京オリンピックのころ、東京浅草の女剣劇朝霧座が、ストリッブ劇場の台頭などで人気が落ち目となり、赤城の山がある上州の田舎町にドサ回りしているところからストーリーが始まる。座長の二代目朝霧恵美子(渡辺えり)が、偶然映画ロケで同じ町に行きあわせた映画スター嵐玉之助(段田安則)と再会する。玉之助は恵美子の元彼で、ひさしぶりに一緒の時間を過ごした宿に殺人犯が忍び入るという事件に遭遇して、スキャンダルを恐れたふたりは、恵美子の弟子の小夜子(キムラ緑子)を恵美子の代役に立てることになった。この偶発的事件が週刊誌報道などであおられ、なんと小夜子が一座の看板女優にのし上がり、ついに三代目朝霧恵美子を襲名することになる。しかし、この裏には一座の興行を拡大して利益を求める経営者のほかに、小夜子の秘めた遺恨が絡んでいた。
 上演は、前半70分・後半70分のほどよい長さで、スピード感もユーモアもあり、内容も予想以上に充実していて、あっという間に終わったような、楽しめる舞台であった。生き生きとした達者な役者を直に観るという贅沢なひとときを過ごせた。

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「泣いたらアカンで通天閣」松竹座

 大阪松竹座に、坂井希久子原作・わかぎゑふ脚本・演出の「泣いたらアカンで通天閣」を観劇した。赤井英和主演で、三倉茉奈、山田スミ子、小川菜摘、紅壱子、桜花昇ぼるなど多数のベテラン俳優たちが出演するコメディである。Photo
 現代の大阪の下町、通天閣を仰ぐ新世界が舞台である。行列のできる格別美味のラーメン屋だった店を継いだゲンコ(赤井英和)は、お人よしで他人にも面倒見が良いが、酒好き・パチンコ好きの「ぐうたら」で、自他ともにみとめるマズいラーメンしかつくれず、店は大赤字が続いていた。ひとり娘センコ(三倉茉奈)は、そんな父と店を心配しながら会社勤めするしっかり者のOLだったが、会社の上司との不倫関係に悩んでいた。そこへセンコの幼な馴染みであったカメヤが東京から突然帰ってきた。カメヤは銀行を辞めていたが、親に言い出せないでいた。
 主人公親子のラーメン店と隣の質屋家族、ご近所さんの喫茶店やラブホテル経営者、そして地元のヤクザたちなど、多士済々のクセものぞろいの人たちとの交流をユーモアと人情を色濃く織り交ぜて描き出す喜劇である。
 赤井英和という俳優は、けっして上手だとは思えないけれど、独特の魅力があって、ついつい見入ってしまう。三倉茉奈は22年前のNHK朝ドラマ「ふたりっ子」の子役でデビューしたが、子役を脱して今では大人の女優として立派に生き残っている。よく通るきれいな声が舞台演劇向きかも知れない。桜花昇ぼる(おうか のぼる)はOSK日本歌劇団の元男役トップスターだそうだが、長身のさっそうとした風貌で、堂々とした歌をなんども披露してくれた。ほかの俳優たちも達者ぞろいで、きっちり脇をかため、正味2時間半余りを弛みなく楽しませてくれた。
 私は、めったに演劇を観る機会がなかったが、とても楽しめた観劇であった。

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ボストン美術館展 神戸市立博物館 (9)

現代美術
 現代美術となると、アメリカは中心的な活動の舞台になるようだ。アンディ・ウォーホル「ジャッキー」(1964ころ)は、J.F.ケネディ大統領暗殺事件のあと、喪服に身を包んだ夫人ジャクリーヌ・ケネディの顔写真を合成ポリマー塗料とシルクスクリーンで色を変えつつ複数に複写した作品である。手法はアンディ・ウォーホルの常套手段で、私は個人的にはいささか飽きてしまっている。

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 このほか、アンディ・ウォーホルからも影響を受けたとされるデイヴィッド・ホックニーの作品がある。ホックニーは、明るい色彩を自由に用いて、絵画の他にもコラージュや舞台美術など多彩な活動を続けている。「ギャロービー・ヒル」(1998)も明るく多様な色彩が特徴的な作品である。
 ボストン美術館収蔵品の展覧会は、ここ神戸市立博物館などで、近世日本版画など何度か鑑賞してきたが、今回もとても充実したよい展示であった。東洋の中国・日本と、西欧のフランス・アメリカ、そして古代エジプト、写真・版画と現代美術と、適正に区分・整理された展示企画は、観るものにとってわかりやすく親しみがもてた。展示作品数も80点と、私にとって鑑賞の緊張感が持続でき疲労しないちょうどよいくらいであった。展示作品の選択も、とくに古典作品は申し分なく優良な作品ぞろいで、じゅうぶんに楽しめた。

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ボストン美術館展 神戸市立博物館 (8)

版画・写真
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 ウィンスロー・ホーマー「八点鐘」(1887)は、エッチングの精緻な描写で、海上で船の位置を測定する二人の船員を描く。どうやら海は時化ていて、緊迫感漂う画面となっている。八点鐘とは、甲板当直の交代時刻を、鐘を8回連打することで伝えるのだそうだ。交代の意味から、死者に対する別れの追悼の鐘として鳴らされることもあるともいう。エドワード・ホッパー「線路」(1922)は、線路のカーブの脇にたたずむひとりの男の姿を暗い画面で描く。アメリカで開発が進展し経済成長が目覚ましくなり、豊かさが広がりつつあったなかで、それでもそこに生きる個々の人間は、孤独や絶望を感じることもあった、ということの表現のように思える。同じエドワード・ホッパーの「機関車」(1923)は、解説によると、当時版画作品では、微妙な色彩やトーンの導入、台紙の繊細な色目の選択が流行していたが、エドワード・ホッパーは敢えて単純な純白の紙の上に、真っ黒の墨で版画を制作したのがこの作品だという。とくに精緻に描き込んだわけでもないようなのに、金属光沢で重量感のある機関車が有無を言わさず力強く突き進む様子が伝わる。新興国アメリカのパワーの象徴のようである。Photo_2
 アンセル・アダムス「白い枝、モノ湖」(1947)がある。かなり大きな樹木の枯れ枝がすっかり白くなって、まるで白骨のような相貌となって、湖畔の荒れた岸に打ち上げられている。湖の様子も天候のせいなのか、なにかあやしい不穏な雰囲気に包まれている。解説に「時間の消滅」とあるが、そのように思えないこともない。なにか理由のわからない不条理の表現のようにも思える。
 ここでの展示は、豊かさの陰にある孤独、不安、絶望などの負の側面を訴える作品が多いように感じた。

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ボストン美術館展 神戸市立博物館 (7)

アメリカ美術
Photo アメリカ美術は、古典というよりほとんどすべてが近現代美術とみてよいと思う。私がとくに好きなのが、ジョージア・オキーフである。「赤い木、黄色い空」(1952)は、永住するようになったニューメキシコの景観を象徴的に切り取り、抽象化と大胆な構図と色彩で描いた絵である。照り付ける強烈な陽光を黄色で描き、この地特有の赤っぽい樹木をまるで大きな鳥のように描き、しかも鮮やかな赤色に彩色する。アメリカの原始的な自然と、そこに生きる自分自身の心象を表している。「グレーの上のカラー・リリー」は、緑色の茎をもつ一輪のユリを描く。ユリの花の柔らかな優しい曲面がなんともなまめかしい。愛・性・死などの寓意を自然に感じる。ジョージア・オキーフ・ワールドだ。Photo_2
 ジョン・シンガー・サージェント「フィスク・ウォレン夫人と娘レイチェル」(1903)という作品がある。私はこの画家は初見である。画家はこの絵を請け負って制作に入るとき、夫人がお好みの緑色のベルベットの服を身につけていたのを、華やかさを描くために光沢のあるこのドレスに着替えさせたという。そのドレスの華やかさに負けない夫人の美貌を描き得たのも立派である。新大陸アメリカの活力・豊かさを表現したかったのだろう。
 トマス・エイキンス「クイナ漁への出発」(1874)という作品がある。小さな船で漁に漕ぎ出すが、強い風に帆柱が大きく傾く瞬間をとらえる。光の方向と陰影、船のバランスなど、かなり詳細に計算されたしっかりした構図と表現だと解説に記されているが、私にはそこまではわからない。
 フィッツ・ヘンリー・レーン「ニューヨーク港」(1855)がある。この画家も私は初見だが、当時のアメリカでは名の通った風景画家であったという。丁寧でしっかりした筆致だが、いまひとつ画家の主張が伝わってこない。

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坂東玉三郎初春特別舞踊公演

 大阪松竹座に坂東玉三郎初春特別舞踊公演を観賞した。新年正月早々2日から26日まで、坂東玉三郎と若手女形のホープ中村壱太郎のふたりだけで、毎日1回ずつ上演するのである。Photo_2
 冒頭に口上があり、玉三郎からはじめて壱太郎につなぐ。壱太郎は若いだけに艶があってよく通る声で、初々しい好感がもてる口上であった。
 最初の演目は、「元禄花見踊」で玉三郎が壱太郎と一緒に上野の山に花見に憩う若い女を演じて踊る。満開の上野の山に、元禄時代のきらびやかな衣裳をつけた武士、奴、座頭、若衆、町娘、遊女などさまざまな階級の人々が集って花見の踊を踊るという、華やかで陽気であでやかな長唄舞踊である。舞台の照明もとても明るく、春爛漫の明るさに満ちている。
 2番目の演目は、対照的に月明かりのしっとりしたシーンからはじまる秋の風情を演じる「秋の色種(あきのいろくさ)」である。江戸時代の弘化2年 (1845)麻布不二見坂の南部侯の屋敷の新築祝いのため開曲された長唄の名曲とされる。
 3番目の演目は、壱太郎がひとりで舞う「鷺娘」である。白鷺の霊が白無垢姿の若い娘となって、とげられない悲恋にもがき苦しみつつ降りしきる雪のなかに果てるという物語を、長唄舞踊で演じる。2枚の衣裳を重ねて縫い合わせ、その糸を抜いて上の衣裳を引っ張るとパッとはがれて下の衣裳が現れる「引き抜き」と呼ばれる早変わりが見せ場としてなんども出現するのが特徴である。衣装の早変わりに同期して照明を瞬時に変えて、衣装の変化を効果的に演出する。30分ほども続く長丁場の舞踊だが、息つく間もなく緊張感が続いて、あっという間に終わったように感じた。
 最後の演目は、玉三郎がひとりで舞う「傾城」である。吉原を舞台に、恋に苦しむ美貌の花魁を、まさに豪華絢爛に舞踊で演ずるのである。冒頭の吉原の花魁道中の場面は、1~2分のごく短いシーンだが、華やかな舞台美術、とくに多数の提灯が遠近法で多数並ぶ光景は、とても豪華で印象的だ。玉三郎演じる花魁の衣装が、これまた豪華絢爛の典型のような見事なものであって、これだけでも見ものである。和服の製造・供給の立場からみると、歌舞伎の舞台のように豪華さ・見栄えの良さを極限まで追求する需要の存在は、思い切ったデザインや素材を開発・導入できる貴重な機会であろうから、歌舞伎は和服という大切な日本の伝統芸術を支える側面を担うとも言える。
 歌舞伎の女形という様式は、主に男の主観から「理想の女性」の容姿・しぐさ・身のこなしなどの典型を新たに創造する営為であり、理念的・人工的に形成された、いわば妄想にもとづく創造的な美の芸術のひとつの形態である。貴重な日本の伝統芸術であることは、いうまでもない。

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ボストン美術館展 神戸市立博物館 (6)

フランス絵画・下
Photo  ポール・セザンヌの「卓上のブドウとクルミ」(1890ころ)は、セザンヌらしい生命も動きも感じさせる静物画だ。セザンヌは「果物は、よく見ると私の目の前に現れるまでの自身の履歴を現していて、興味深い対象だ」として、好んで描いたという。たしかにこの作品も、果物の地味な色彩のなかに、その表面のちいさな傷も含めて、それら果物のそれぞれがそれまでに経験してきたことを探ろうとするかのように、きめ細かく丁寧に描かれている。Photo_2
 フィンセント・ファン・ゴッホの作品は、人づきあいが苦手で友人が少なかったゴッホが、たまたま親しく接した数少ない友人であった郵便取扱を生業とするジョゼフ・ルーランの肖像画と、その夫人の肖像画のペア作品2点である。ジョゼフの肖像は、朴訥で正直で暖かみを感じさせる人柄が現れている。ルーアン夫人の肖像は、一見不愛想な表情の背景に、花をちりばめた豪華な雰囲気の背景を配して、夫人の内面の豊かさを象徴している。ふたつの作品は、ともにこの二人に対するゴッホの親しみと愛情と暖かみを感じさせる。ルーアン夫人の絵について、ゴッホは「子守歌を思い出すような絵を描こうと思った」と述懐していたそうである。

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ボストン美術館展 神戸市立博物館 (5)

フランス絵画・上
 アメリカのボストンの人々は、印象派がヨーロッパに広く知れわたり普及してゆく以前から、バルビゾン派の活動などに注目して、漸次輸入していたという。
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 ジャン=フランソワ・ミレーの作品が3点展示されている。「編み物の稽古」(1854ころ)は、当時の庶民の女性たちが、自宅で家族のために衣服を造るという地味で苦労の多い仕事を描いたものである。「ブドウ畑にて」(1852)は、秋の収穫のため、春に仕付作業に励む農夫の様子を描く。「洋梨」(1862)は、ミレーとしては少し珍しい静物画である。
 クロード・モネの作品も4点ある。「ルーアン大聖堂」(1894)は、モネの印象派らしい絵である。大聖堂のおぼろげな輪郭は描かれているが、なにより正面から強烈に注ぐ陽光が強調され、しかも色彩が抽象化されてしまっている。光とその変化を独自の表現で描き切った絵である。
「アンティーブ、午後の効果」(1888)は、冬の晴れた日に遠く雪山を見上げる景観を、早春の冴えわたった光と空気と輝く水を描いた美しい風景画である。比較的初期の作品でもあり、光を強調して抽象化が進んだ後期の作品とは少し違う印象の、それでもとても魅力的な絵である。そして「睡蓮」(1905)である。多くのシリーズ作品のひとつだが、比較的落ち着いた、静かでゆっくりした時間の推移を連想させる作品である。
 ピエール=オーギュスト・ルノワールの「卓上の花と果物」(1869)は、ルノワールにしては珍しい静物画だが、さすがに絵の専門家・職人と思わせる見事な絵である。描かれた花も果物も、実物をはるかに置き去りにして輝いている。こんなに美しい花や果物は、とても実在しない。
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