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佐伯啓思『「市民」とは誰か』PHP新書

 1990年代以降になって、とりわけメディアや政治で使用されるようになった「市民」という言葉についての、経済学・社会思想史の学者による歴史的・思想的論考の書である。
 朝日新聞が1997年元旦付社説で「21世紀への助走」との表題を掲げて「市民社会」の実現を訴え、さらにこの本の10年以上後であるが「市民の政治」を謳う民主党がひとときは政権を獲得した。たしかに私たちはさまざまな場面で「市民」「市民社会」の言葉を聞く。
 そのように頻繁に出現する言葉でありながら、「市民」も「市民社会」も、きちんとした定義なり説明なりは決して与えられていない、と佐伯は指摘する。むしろ、情緒的・アプリオリに「権力に対立して批判を加える正義の市民」という漠然とした根拠のないイメージだけが先行している、という。「市民」は何をもって権力を批判すべきだというのか、が明確でないのである。
 「市民」という言葉をことさら強調する背景には「国民」という言葉を嫌う心理があるらしい。実際、「市民の政治」を謳う鳩山由紀夫は、これからの時代は国境にこだわる時代ではなく「地球市民」の時代だ、と言っていた。「市民」とは誰なのかがよくわからないままに、既存の政治権威の否定、国家的なものの否定といった含意のみが示されている。
 佐伯はこの「市民」という言葉について、ある範囲まではすぐれて日本的であるといい、ヨーロッパの古代から中世を経て近現代にいたる「市民」なるものの本質を、歴史的・思想的に吟味する。そこからヨーロッパおよびその歴史文化を引き継ぐアメリカにおいても、「市民」という概念は、共同体や国家から離反したり遊離したりするものではなく、むしろ共同体や国家、そして文化に強く結合した存在であることを解明する。そして「市民」に限らず、あらゆる政治的主体たる存在は、その人々の歴史・文化・経験に強く規定されるものであり、突然共同体や国家から独立・浮遊して「自由に新たなネットワークを創生する」というような安易で軽薄な存在ではあり得ない、ということを順序だてて述べる。
 鳩山由紀夫や菅直人は言うに及ばず、松下圭一などの議論がなんとなく胡散臭いと感じていたが、この本でかなりすっきりとして腑に落ちたように思う。小さな本だが内容はとても濃い良書である。

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