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ブリテン島周遊クルーズ (11)

エディンバラ メアリー・ステュアートとホリルードハウス宮殿
 さて、このホリルードハウス宮殿の主役は、16世紀の悲劇の女王メアリーである。1542年、エディンバラから西方20kmほどの場所にあるリンリスゴー城でジェイムズ5世の子として生まれたメアリー・ステュアートは、生後6日で父の急死によりスコットランド女王に即位した。

Photo
  メアリーの曽祖父チューダー家ヘンリー7世は、イングランド女王エリザベス1世(チューダー王家)の祖父にあたる。ヘンリー7世の子マーガレットがステュアート家のジェイムズ4世との間に得た子ジェイムズ5世がメアリーの父であり、メアリーはチューダー系の血統を引きながらもステュアート家の直系であった。また、エリザベス1世の父ヘンリー8世こそが、王妃キャサリンを離婚し、後にエリザベス1世の母となるアン・ブーリン(王妃キャサリンの侍女であった)と再婚するために、離婚を禁じるカソリック教会と激しく対立し、ついに宗教的プロテスタントとも言い難い、いささか異端のアンチ・カソリックたる、イングランド国教会を創設するきっかけをつくった人物である。
 さて、メアリーはエディンバラ城よりもこのホリルードハウス宮殿を好み、最初の夫フランス王フランソワ2世がわずか16歳で亡くなると、スコットランドに戻りこの宮殿に住んだ。そのころから、当時イングランド女王に即位したエリザベス1世の生母アン・ブーリンの出自が卑しいことから、エリザベス1世を「庶子」と主張してエリザベス1世を激怒させたことが、メアリーの晩年の悲劇につながる結果をもたらす。Photo_2
  その「メアリーの部屋」が宮殿北西部の塔にある。スコットランド女王にしては狭いごく質素な感じの部屋だが、ここで悲劇が発生した。メアリーの2度目の夫ダーンリ卿(やはりステュアート家系の貴族)が、メアリーが寵愛した秘書リッチオに対して激しく嫉妬して、この場所でリッチオを刺し殺したのであった。このショックのため、妊娠中であったメアリーは流産の危機に瀕したが、ようやく乗り越えて生まれたのが後のスコットランド王ジェイムズ6世(=イングランド王ジェイムズ1世)であった。こうしてメアリーの血統は今日までステュアート王家の直系として伝えられる結果となった。エリザベス1世が生涯結婚せず、子を得なかったからである。この後、ボスウェル伯がダーンリ卿を殺害してメアリーと結婚するに至るが、この結婚に対しては、カソリック教会・プロテスタント教会ともに、ダーンリ卿殺害の主犯がボスウェル、共犯がメアリーと判断して、大反対した。
Photo_3 メアリーは、この後も王族の宿命として権力闘争に陰に日向に関与を続け、身の危険からエリザベス1世のもとに身を隠すこともあったが、スコットランド王を廃位させられ、最後はエリザベス1世暗殺計画の疑惑のもとに、エリザベス1世から死刑を宣告されて死んだ。
 このように波乱万丈の生涯を送りつつも、エリザベス1世に対して常に毅然と接したメアリーは、イングランドに対してアンビバレントな意識をもつスコットランドの人々に、現在にいたるまで根強い人気で愛され続けているという。
 1,500円ほどの入場料には、日本語版もあるオーディオ・ガイドが含まれていて、さらにそのガイドの内容が非常に充実していて、じっくり聴き込むとまる1日は要するだろうと思うほどである。
 この宮殿は、現在はエリザベス2世の夏季の滞在地として使用され、女王が使用しない期間のみ一般開放されている。また、広大な庭園は、連合王国の叙勲式の会場としてわが国の園遊会場のように使用されている。

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