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ブリテン島周遊クルーズ (36)

聖パトリック大聖堂 ジョナサン・スウィフト
Photo クロムウェルのイングランド国教会弾圧に抵抗した祖父を持ち、新天地を求めてアイルランドに移住した父のもと、その父の死後にダブリンで生まれたのがジョナサン・スウィフト(1667~1745)であった。彼が生まれてすぐ、母は彼を置き去りにして家を去ったため、彼は伯父のもとに育てられた。母の愛情を知らなかったことが彼に異様な女性関係を、祖父の反骨精神が彼の思想と行動を導いたといわれている。優秀な少年は19歳でダブリンのトリニティ・カレッジを修了し、ロンドンに出て、辣腕の外交官としてイングランド政界に活躍していたウィリアム・テンプルのもとで、秘書のような立場で働きつつ、一流の知識人であったテンプルから、その膨大な蔵書とともにさまざまなことを学んで、ダブリンに帰った。

Photo_2 30歳になるまでにアイルランド国教会で司祭の職を得たが、33歳のときテンプルが亡くなると、ジョナサンはアイルランドの狭い世界よりロンドンでの政界への進出を図った。35歳でダブリンのトリニティ・カレッジから神学博士の学位を得たのち、著作活動を始めた。彼は、ロンドンに何度も滞在し、トーリー党のブレーンとしても活動し、アイルランドに落ち着くつもりはなかったようだ。結局政界進出はならず、ダブリン聖パトリック大聖堂の首席司祭に任命されて、アイルランドに大部分の時間を過ごすことになった。著作活動は増え、50歳を過ぎたころから、それまでの政治生活での経験を反映した、批判と皮肉とエスプリに満ちた「ガリバー旅行記」を発表した。
 彼は何人かの女性との交際を経験したが、遺言により、その中のひとりで8歳の少女時代から交流があり、生涯にわたって親しく接したステラとともに、この聖パトリック大聖堂の身廊に埋葬された。
 ほんとうはイングランドで政治の道に進みたかったようだが、聖パトリック大聖堂の首席司祭という高い地位を得て、それまでの半生の怨念のはけ口のようにして後世に長く読み継がれる文学史上に不朽の名作を残した。ジョナサン本人の気持ちとしては、失望が大きかったのか、それとも達成感が大きかったのか、非常に興味深い人物ではある。

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