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2019年1月

池井優『駐日アメリカ大使』文春文庫

 2001年発刊の文庫本だが、購入して永らく置き去りだったのを、読んでみた。
 さきの大戦のあと、アメリカ軍の6年半にわたる駐留統治を経て、日米講和条約締結によってようやく独立を復興した1952年4月に着任したロバート・マーフィーから、小泉純一郎首相時代のハワード・ベーカーまでの13人の駐日アメリカ大使について、その人となり、その時代の日米間の主要案件と大使の対応、大使としての業績、などを回顧的にまとめた冊子である。
 メディアを通じては、岸信介首相の60年安保闘争のときのダグラス・マッカーサー2世、ケネディ大統領時代のエドウィン・ライシャワー、沖縄返還交渉の時期のアレクシス・ジョンソン、田中角栄首相時代のロバート・インガソル、福田赳夫首相から大平正芳、鈴木善幸、中曾根康弘、竹下登の5人の歴代首相とかかわった在任12年のマイク・マンスフィールドなどの名前が懐かしい。そして唯一、マイケル・アマコストは、東京のアメリカ大使館の立食パーティーで、私は直接会ったことがある。
 こうしてあらためて歴代の駐日アメリカ大使を振り返ると、それぞれに優れた人たちが日米間の橋渡しとして懸命に働いてくれたこと、それだけ歴代アメリカ政府が、日本を外交相手として重視してくれたことを再認識する。
 ごくちいさな書ではあるが、駐日アメリカ大使という立場の視点から日本の戦後史の一端を顧みる意味でも、なかなか充実した良書である。

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坂本藤良『幕末維新の経済人』中公新書

 1984年の書であるが、内容はさほど時間の経過に影響がないと推測して、読んでみた。
 著者が若いころ、東京大学経済学部研究室で、日本の「株式会社発生史論」を研究するなかで取り上げた幕末維新の人物について、一般向けに5人に絞り込んでわかり易く論じた書である。わが国の「株式会社」のプロトタイプを創造した幕臣小栗上野介忠順(ただまさ)、近代的ビジネスマンの先駆者坂本龍馬、政商から初めて巨大な財閥を育てた三野村利左衛門、政商に対抗して民間の巨大ビジネスを構築した岩崎弥太郎、そして明治期に長期にわたってわが国の経済界を牽引し、夥しい数にのぼる会社を育て上げた渋沢栄一の5人である。
 当然ながらこのいずれもが稀有な才能であり、成し遂げたことは偉大であり、その足跡は輝かしいのだが、この書を読んで印象に残ったのは、ただ偉大な先人に感銘を受けたというのみではない。
 優れた才能と、強烈な個性と、強靭なエネルギーが場所とチャンスに出会ったとき、いかに大きな成果をなしとげ、貢献をなし得るかということ、その前提として、彼らの偉業を阻害しない環境がいかに重要か、ということである。単純化していえば、社会主義、共産主義などの、政府が経済活動を主導するような環境下では、絶対に彼らの成し遂げた成果は生まれない、ということである。「政商」も、政治を「利用」してこその能力の発揚であり、政府が主導するようなことでは大きな成功はおぼつかないだろう。彼らの活動を見ると、空間的範囲においても、時間的感覚においても、到底経済の実務に疎い政治家や官僚がついて行けるような領域ではない。社会主義、共産主義などの計画的経済は、はじめから失敗の道を歩みつづけたと言える。
 通常の「経済史」よりも、もっと「ビジネス」あるいは「経営」に近い視点からの幕末維新史は、たしかにユニークで、大変興味深い書であった。

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内田義彦『読書と社会科学』岩波新書

 偶然読んだある本のなかに引用があり、興味をひかれたので読んでみた。著者は、経済学史と社会思想史の学者である。以下に、この本の要旨をまとめる。
 本をよむにあたり、重要な自分の蓄積として読むのであれば、「情報を得るために」読むのではなく、「自分の古典」にすべく読むべきである。書くべき文章は常にわかり易い文体で書くべきであるけれども、文体がいかにわかり易くとも、古典になるべき本には一読明快とはいかない深みがあり、読み手によって相違する一義的でない内容が必ずある。懸命にその本の重要な点を理解しようとするには、自分の「視点」をしっかり定めてかからなければならない。
 まずいったんは虚心坦懐にその本に没入することが必要であり、そのためにはひとまずその著者を信じる必要がある。そのうえで、鮮明に脳裏に焼き付いて解明を迫る、ある特定の事実に対する明確な疑いが当人に提起されていなければならない。漠然とした「疑惑」では、疑いの解きようがないのである。
 本に限らず、芸術全般に、それに接したときの感動や感銘は、簡単に言葉であらわせるものでないのが通常である。真剣に読み解こうとするとき、第三者に理解できるように感想を文章として書き下すことは有効で必要なことだが、自分が読み手として、感想として書きにくいその内容を、それこそが最も重要なところだが、いかにわかり易く書きとめてみせるかが勝負となる。
 自分を殺して本に内在して、本から、本を介して著者が言いたかったことを、心を尽くして耳を澄ませて、自分で聴き取るかのように、自分でなく著者こそを大事に本を読んで、そこに自分自身のオリジナルとしての感想を大切にする、それを育て上げること、それこそが本質的で重要である。
 相手の欠点を見つける「批判」は低級な批判であり、高級な批判は相手の良いところ、とりわけ隠された宝を見出すことにある。相手のなかに潜む個性的な宝を発見し育て上げる気持ちが大切である。
 そして、自分の新たな創造のためには、自分なりの「概念装置」を構築することが大切であり、そのためには、自分が「古典」とする本から、「概念装置」を引き出すことが必要である。認識の手段としての「概念装置」と、理論・学説の構成要素としての「概念装置」とは、実は同じものであり、古典の著者が創造の過程で、観るために窮余の策としてあえて「概念装置」をつくっては毀しの作業を繰り返してきたのであり、実はその本の中に潜んでいるのである。
 だいたい以上のようなことが述べられて、最後に「概念装置」なるものを具体的に説明すべく、「自然法」を例題として演習問題風に説いている。
著者の内田氏は社会学者だが、この内容は自然科学でもほぼ通用するだろう。私も「知識」を、「データ」「情報」「知識」「叡智」の4つの階層で考えるべきだと考えていて、ほんとうの「知識」は、「情報」とそれまで蓄えてきた「知識」とが、自ら考え抜くことで個性的なネットワークを構築したものであり、そのような「構造化」できた「知識」でなければ、さほど役に立つことはないと思っている。この「知識」は、内田氏のいう「概念装置」の一部を成していると位置付けたい。
 小さな本だが、非常に示唆的で密度の濃い内容であった。

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「ロス・カプリチョスにみる奇想と創意」伊丹市立美術館 

 伊丹に出かけたとき偶然ゴヤの展覧会があるのを知り、仕事のあとの慌ただしい時間帯であったが、鑑賞することにした。Photo
 フランシス・ゴヤは1746年、スペイン北東部サラゴサ近郊のフエンデトードスに鍍金師の子として生まれた。14歳の時から約4年間、サラゴサで地元の画家に師事して絵画の修行をし、1770年、大画家を目指してイタリアのローマに出た。イタリア滞在中にルネサンスの傑作に出会い、フレスコ画の技法を学んだ。1774年、マドリードへ出て、その翌年から十数年間、王立タペストリー工場でタペストリーの下絵描きの仕事に携わった。そうして1786年、ようやく40歳で国王カルロス3世付き画家となり、1789年には新王カルロス4世の宮廷画家となり、とうとうスペイン最高の画家としての地位と名声を得た。
 しかしゴヤは、画家の個性を重視し、当時の封建的な絵画制度に強い反感を抱いていた。さらに宮廷画家になった直後に隣国のフランスでフランス革命が起こり、その残虐さを見ることになった。1792年、病気のため聴覚を失ってからは、内面の世界に沈潜し、特異な想像力を発揮して、独自の版画作品を創作した。今回のテーマである「ロス・カプリチョス」は、ゴヤの最初の版画集であり、1799年2月6日、カーニバルが終わった直後に公刊された。つまり、18世紀最後のカーニバルの締めくくりの位置づけを狙ったとも解釈されている。ロス・カプリチョスとは、気まぐれ、戯れ、奇想を意味する。ここでは、ゴヤは自分が仕える宮廷社会でさえも、風刺の対象としている。
Photo_2 この版画集全体を象徴する作品が「理性の眠りは怪物を生む」である。眠る男のまわりに、人間を惑わすさまざまな悪徳が、コウモリやミミズクなど闇にはばたく鳥獣の姿でまとわりつく。理性の不在を思わせるような画面には、力強い想像力の勇躍をも思わせるものがある。
 この版画集の冒頭には、ゴヤの自画像がある。いささか斜に構えた傲慢な表情にみえる。この作品集で、宮廷社会を含む当時の世の中にモノ申す、と宣言しているようでもある。
 展示作品には、娼婦とそれをめぐる「紳士」を気取った欲望に狂う惨めな男たちがしばしば登場する。
 たしかに版画を観ても、ゴヤの緻密で鋭い画面描写はよくわかる。そしてそれ以上に、この一連の作品は、絵画というより、ゴヤの「詩」あるいは「エッセイ」である。こういう作品群をみると、画家すなわち芸術家は高度なブレイン・ワークが求められることがよくわかる。「アール・ブリュット」などというものが、けしてほんものの芸術たりえないことが、明瞭である。Photo_3
 一方で、この作品群のように、画家の憤り、不平・不満、皮肉などが全面に出ていて、かつそういうものばかりというのは、観ていて楽しさがなく、やはり素直に楽しめないのも事実である。ゴヤは画家として、自分がもっとも得意とする手段で自らの主張を表現したのだろうが、鑑賞する側としては、やはりいささかキツイのである。

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佐藤俊樹『不平等社会日本』中公新書

 10年ほど前に、神田古書街の放出セールでなにげなく購入した新書であり、久しぶりに「発見」して読んだ。
 かなり大量のデータを数値的に解析して、半世紀余りの間のひとびとの学歴、収入、社会階層などについての状況と意識の変化を追跡し、日本ではすでに社会階層の世代間相続が定着しつつあって、「努力すればナントカナル」社会から乖離しつつあり、もはや「不平等社会」であり、「さよなら総中流」といわねばならない、と説く。
 データの解析にはそれなりの説得性があり、社会階層や意識の変化がある、ということは理解できる。しかし、問題はそれに対する原因・要因、変化の中味の分析、今後にむけた対策という議論になると、問題の把握の仕方、取り上げるべき要因の根拠、対策案の妥当性などにおいて、急に説得力がなくなる。
 「街を歩く人々の顔がずいぶん虚ろになった」、「そういう安っぽい自尊と自卑に私はもう飽きたのだ」というが、自らの説に他者からは「虚ろさや安っぽい自尊・自卑」と見られるような要素はないのか、なにか浅薄な上から目線のようにも見える。民間企業に対しては、昇進や職種転換や評価などにいろいろ「提案」する一方で、自ら携わる教育に対しては「教育改革で解決しようという見方自体が、想像力が狭くなった証拠」などと、読む側からすると、懸命に独りよがりな予防線を張っているかにみえる。
 さて著者が主に問題としているのは、所得格差とその世代間相続ということらしいが、この問題は実際には雇用・労働力の過不足と生産の国際的移転あるいは労働移民問題など、広範囲な要因がかかわり、広い視野で考える必要がある。狭い範囲の最適化・是正で政府や企業に改革を迫っても、到底埒があかないと考えられる。
 要するに、現状の問題をある側面から抽出して提示するまでは、ひとつの視角として意味のある内容が書かれているが、全面的に受け入れ得るものではない。また複雑な事象の一部しか論じられていない。実際に民間企業で長年働いた者としては、企業にも本質的な問題は当然あるのだが、やはり学者という外部の人には問題の本質はわからないのではないか、とも感じてしまう。おそらくこの著者は、企業にいる人間は視野が狭くて本質を捉えることができないのだ、客観的な学者は視野が広くて問題を見通せるのだ、と思い込んでいるのだろうが、それでも腑に落ちないことは率直に納得できないのであり、説得性がないのである。

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文部科学省「情報ひろば」

 文部科学省の広報施設として霞が関の旧文部省本館に設置されたミニ博物館「情報ひろば」を見学した。
Photo 入場すると、最初の部屋が「旧大臣室」である。明治新政府によって明治4年(1871)に新設された文部省は、現在の東京医科歯科大学の場所を最初として何度か場所を移転し、昭和8年(1933)この旧文部省本館に設置された。その部屋が、昭和8年(1933)創建当時に忠実に復元されて、今に残っている。この部屋の初代の主は、犬養内閣の第40代文部大臣鳩山一郎であった。明治18年(1885)大日本帝国憲法が制定され、文部省が設置されたときの初代文部大臣は森有正で、その森が職員に対して文部省職員の心構えを説いた「自警」という文章が掲示されている。大きな仕事机と、来訪者と語らう10人あまりが座ることのできるソファが目につく。
 次の「教育」の展示室では、古代以来のわが国の教育の歴史がパネル展示でまとめられている。このうち中世の「金沢文庫」は、この2日のちに訪れることになった。また、小学校の机が2連で10台設置され、さきの大戦直後から20年単位くらいで順番に推移がわかるような文具や教科書、鉛筆・クレヨンなどが展示されている。私自身は、1955年~1961年に小学校、1964年まで中学校、1967年まで高校だったので、展示物にノスタルジーを重ね合わせる範囲がかなり広く、展示を眺めてさまざまな思い出がよみがえった。戦争で敗戦したあと、米軍の駐留を含めてわずか10年という時代に、なんとかまともな教育を授かることができたのは、何か不思議でもある。
 「スポーツ」の展示室では、文字通りスポーツにかんする教育行政について展示があるのだが、興味深かったのは、わが国のトップ・アスリートの「歩幅」であった。短距離100メートル走ではじめてわが国で10秒の壁を突破した桐生祥秀(よしひで)選手の競技中の歩幅は、最大2.4メートル、歩数は約47歩だという。参考として足跡で歩幅を展示してあるが、あらためてトップ・アスリートの凄さを思う。マラソンの谷口浩美選手のマラソンでの平均歩幅が1.4メートル、歩数は約3万歩だという。この1.4メートルも、実に大きい。私たち一般人が歩く時の歩幅は1メートルを十分下回ることを考えると、この歩幅で3万歩も走るということの偉大さを改めて思う。冷静に考えて計算すれば、ごく当たり前のようなことでも、こうして目に見える形で提示されると、改めて感動するのである。
 「科学技術・学術」の展示では、わが国科学技術にかかわるノーベル賞受賞者22人のそれぞれの業績と顔写真がある。これも大部分かなり以前の研究に対する受賞であり、今後も同じように受賞者が続くのかどうかは、懸念される面もある。
 そのほか、文化行政にかんする展示や、国内の大学・高専の活動展示もある。
 展示内容はそれなりに充実しているが、少なくとも常設展示の内容については、詳細までインターネットで英語版も含めて、公開した方がよいのではないか、と思った。詳細に公開すれば、それを通じて興味をもつひとは、きっと直接観たくなると思う。
 たまたま、この近くを訪問する機会があったので立ち寄ったのだが、充実した時間であった。

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映画「8年越しの花嫁」

 岡山県に住むカップルに起こった実話をもとにした映画作品である。
 自動車整備工場に勤める尚志は、合コンで麻衣と出会い、結婚を誓った。その幸福の絶頂のとき、麻衣を病魔が襲った。「抗NMDA受容体脳炎」という珍しい重篤な病で、麻衣は昏睡状態に陥る。結婚を認め祝福していた麻衣の両親も、尚志に結婚を諦めるよう勧めた。しかし尚志はプロポーズ直後に予約した結婚式場を8年間解約せず、麻衣の回復を待っていた。
 病気のために二人を襲う繰り返す試練に、なんども挫けそうになりながらも耐えて、ついに8年後に車椅子生活ができるようになった麻衣は、尚志と念願の結婚式を実現した。
 ずいぶん古くから、病気と闘うカップルを取り上げる純愛ドラマがあり、私もいくつか観たことがあるが、それでも見るものに訴えるものがある。健康に大した問題がない、というごく普通のことが、いかに貴重でありがたいことかと思う。
 なにより主演の佐藤健の、朴訥で素朴な演技は秀逸である。彼はまだ若いのに、若さと美貌が主題の青春ドラマ、身体能力がカギのアクション映画、ある道一筋の職人の生涯の物語など、多彩な役柄を立派に演じ切ると思っていたが、内面の葛藤をしずかに表現する今回のような地味な役柄でも、じつに見事であった。土屋太鳳も、難病に襲われた不自由な女性の役を好演していた。この二人の俳優の魅力だけでも、観る側はじゅうぶん満足できた。

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「喜劇 有頂天団地」南座

 「喜劇 有頂天団地」が、新春の南座で上演された。「喜劇 有頂天旅館」「喜劇 有頂天一座」に続く、渡辺えり・キムラ緑子コンビが取り組む“有頂天シリーズ”第3弾として、小幡欣治の戯曲「喜劇・隣人戦争」をもとに、俳優・脚本・演出家であるマギーが松竹で初めて演出を担当する舞台である。
Photo 時代は高度成長期の昭和50年代、京都郊外の住宅地を舞台としている。環境がよいことで評判の高い住宅地の一角に、狭い敷地にミニ開発で軒を並べて6棟の戸建て住宅が新築された。そこに入居してきた新参の住民と、地元の古参の住民とのささやかな諍いから近隣住民の間に騒動が勃発する。先住者は、せっかくここまで大事にしてきた環境を新参の住民たちが乱さないか気になって、つい小言を申し入れて反発を買う。新参の住人たちも、お互いに外見や世間体を気にして、ついつい見得を張って、無理をしてしまう。それぞれの家庭内でも、どこにでもあるような小競り合いが起こる。ごく些細なことで、近所同士にいがみ合いが生ずる。それでもみんな、それぞれ懸命に働き、家族を大事に守って生きている普通の人々であり、結局は和解もできるし、助け合うこともできる。ごく普通の庶民の人情を、平凡な日常のなかにユーモアを含めて切り出している。
 いつもながら、渡辺えりとキムラ緑子の達者な演技に魅了される。どこまでが台本で、どこからがアドリブなのか判然としないが、自由奔放で快活な、観る者を圧倒するようなエネルギッシュな演技である。もちろんわき役も良い。
 テレビや映画にはない緊張感と臨場感と空気感をたっぷり味わい、じゅうぶん笑って楽しんだひとときであった。

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映画「坂道のアポロン」

 人気漫画の実写版だそうだ。1960年代の佐世保の町が舞台で、その高校に転入してきた薫は、家庭に事情があって親戚の家から学校に通う、医師をめざす少年である。薫は、同級生として不良少年風の仙太郎と、しっかり者の律子と知り合う。律子の家は町のレコード店で、律子の父は熱心なジャズ好き。その家の地下室は、実は父や仙太郎が溜まってジャズ演奏に明け暮れるアジトであった。偶然そこに来た薫は、それまでクラシック・ビアノをしていたが、ジャズに魅せられて、性格も生活態度もまったく違う仙太郎と親友になっていく。薫は律子に好意をよせるようになるが、律子は仙太郎の理解者でかつ好意をよせている。しかし仙太郎は年長の百合香に憧れ、百合香は大学で学生運動にはしる淳一に惚れている。ジャズの絆でむすばれた友情と、微妙に行違う恋愛模様が絡まって青春を描く。
 とくにきわだった独創性はないが、青春映画としては十分訴えるものがあり、劇のなかで演奏されるジャズの魅力もある。私たち団塊の世代は、登場人物とほぼ同世代に相当し、物語の舞台背景が懐かしいこともあって、しばらく見入ることができた映画であった。

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松竹新喜劇新春お年玉公演

 新開場なった京都南座の新春興行として、また劇団創立70周年を記念して、元旦から8日まで毎日2回の公演があった開催された。Photo
 松竹新喜劇は、喜劇の祖といわれた曽我廼家五郎が昭和24年(1948)他界し、松竹の名の下に渋谷天外(二代目)、曽我廼家十吾、浪花千栄子、曽我廼家大磯、曽我廼家明蝶、曽我廼家五郎八、藤山寛美等が集まって、昭和24年12月中座で旗揚げしたものである。私たち団塊世代にとっては、子供時代からテレビを介してよく観たものであり、名前を聞くと、おぼろげながら懐かしい風貌がふと脳裏に浮かぶ。現在は三代目渋谷天外、高田次郎、小島慶四郎、藤山扇治郎が中心となって、私たちはあまり知らない顔ぶれも増えたが、現代劇から時代劇に至るまでの、いわば伝統的な人情喜劇を上演している劇団である。
 茂林寺文福・舘直志作による「裏町の友情」一場と、舘直志作・星四郎脚色による「お祭り提灯」二場で、少しの休憩時間を含めて3時間弱の舞台であった。
 「裏町の友情」は、いまや半世紀前1970年ころの大阪下町を舞台に、高度成長の時流に乗って繁盛する洗濯屋と、その隣の時流に乘れなかった炭屋との、喧嘩友達同士の人情話である。先代以来の「犬猿の仲」の両家の口論のやり取りに、「ロメオとジュリエット」よろしく両家の子供世代の恋愛をかみ合わせ、大阪下町の人情を滑稽に演じる。
 「お祭り提灯」は、江戸時代の正月を背景に、実直な提灯屋徳兵衛が偶然拾った祭りの寄付金をめぐり、それを狙う町内一の強欲張り山路屋おぎん、寄付金の回収を願う町役人、それに丁稚の三太郎などが絡んで、善と悪との追っかけっこが、花道の駆け足での往復場面とともに展開する。山路屋おぎんを演じるゲスト出演の久本雅美の演技も、観衆の大喝采をあびて冴えわたる。
 いわゆるドタバタ喜劇が悪いというわけではないが、久しぶりに「正統派」ともいえる新喜劇を見て、おおいに楽しめた。

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プラド美術館展 兵庫県立美術館 (6)

宗教と世俗
Photo スペインはカソリック国であり、ルネサンス以降は対抗宗教改革のリーダーでもあった。プロテスタントは、聖書を重視して、教えを絵画で表現することは偶像崇拝につながるものとして排斥した。これに対してカソリック側は、神の教えをわかりやすく伝え、かつ民衆の心に直接訴えかける有力な手段として、美術を最大限活用しようとした。そのような要請から17世紀初頭には、テネブリズム(Tenebrism)と呼ばれる明暗のコントラストを強調した写実的な光の表現を特徴とする様式が流行した。暗闇から人物が浮かび上がったような画面が、その典型的なものである。絵画の題材としては、熱い信仰を集めた聖母や聖家族、さまざまな聖人の殉教や幻視といった場面が多く描かれるようになった。
 ベラスケスがまだ宮廷で働く以前の20歳ころの作品に「東方三博士の礼拝」(1619)がある。イエスを確認する為にベツレヘムの厩を訪れた三博士が、神の子の存在に礼拝する場面で、キリスト教の代表的な場面の絵だが、興味深いのは、登場人物の表現がとても庶民的なことである。三博士のひとりはベラスケス自身、もうひとりは岳父パチューコ、聖母マリアはベラスケスの妻フアナ、そして幼子キリストはベラスケスの娘を、それぞれモデルにして描かれているという。画法はテネブリズムの典型で、見事に暗がりから人物を浮かび上がらせている。
Photo_2 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」(1650)は、ベラスケスより一世代のちの画家による作品だが、これも登場人物は庶民的である。ここでは聖母マリアが画面の脇に退き、従来表面に出ることの少なかったヨゼフが中心にきて、一家を取り仕切っている。キリストはほとんど聖的なイメージを漂わせることなく、小鳥を手にして無邪気に犬と戯れている。
 こうした聖的イメージを敢えて払拭し、日常性を前面に出した表現が取り入れられることで、多くの一般の人々に宗教を身近に具体的に感じて受け入れさせようとの意図がある、というが、たしかに対抗宗教改革としては正しい方向だったろうと思う。対抗宗教改革の時代に、宗教画がむしろ形式ばった中世的宗教絵画を脱して、俗的・庶民的に変貌したこと、その理由を改めて理解した。
 展示された作品数は全部で70点と、私が考える適正量であり、平日の早めに出かけたので場内はかなり空いていて、鑑賞するのにとても好条件であった。にもかかわらず、鑑賞のみで正味4時間近くを費やし、終わった後はほとんどヘトヘトになった。出展されている作品のほとんどすべてが、なかなかの名作で、ほとんど全部をじっくり鑑賞せざるを得なかったのである。
 スペイン・ハプスブルク家の最後のあだ花となった全盛期の絵画を、たっぷり楽しんだひとときであった。

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プラド美術館展 兵庫県立美術館 (5)

静物
Photo 静物画は、スペインでは「酒蔵」を意味するボデガ(bodega)から、「ボデゴン」と呼ばれた。酒や食べ物にかんする絵のことで、緻密な観察にもとづく精密な描写、さらに進んで神秘的な表現が取り入れられ、画家の絵画の技能を磨き証明するものとしても愛好家に注目されるようになった。
 ファン・デ・エスピノーザ「ブドウのある八角形の静物」(1646)がある。ブドウ、なし、リンゴなどさまざまな果物が描かれるが、とくに透明感のあるブドウの美しさが際立つ。薄い色彩の絵の具を何回も塗り重ねて透明感を表現したという。また、ブドウは画面の真ん中で吊り下げられているが、この構図はファン・デ・エスピノーザの独創であったという。17世紀時点で、静物画の技量はここまで達していたのである。Photo_2
 少し変わったおもしろい絵として、パウル・デ・フォス「犬と肉の寓話」(1636)がある。肉の塊を加えた一匹の犬が、小川にかかる小さな橋を渡ろうとした。ふと見ると、犬が大きな肉を咥えてこちらを見ている。犬は、こいつは大きな肉を咥えていると、思わず口を開けてしまった。犬は肉を川の水に流してしまい、さっき見た肉を加えた犬が、実は自分の姿が川の水面に映っていたことを知った、というイソップ物語からの引用である。欲張りは控えて、堅実な道を行け、という教訓である。この絵の場合は、絵そのものがどうこうというより、このような題材の絵を宮廷が収蔵していたという事実のほうが興味深い。

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プラド美術館展 兵庫県立美術館 (4)

風景Photo
 ディエゴ・ベラスケス「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」(1635)は、フェリペ4世が最初の結婚の後まもなく得た期待の王子カルロスを描いた肖像画であるが、画面背景の景観描写も優れるため、この展覧会では「風景画」として分類している。背景の空、雲、山、森、そして大地が、いずれも一見そっけなく早筆で雑駁に描いたように見えるが、少し引いてじっくり眺めると、じつに過不足なく綿密かつ計算づくで描かれていることがわかる。まるまる太って見える馬は、この絵を高い場所に据え付け、人々が下から見上げた時に自然に見えるように工夫したものだという。そしてなにより、描かれた王太子バルタサール・カルロスの可愛くも凛々しい雄姿が映える。このときはわずか6歳だが、賢い子だったようで、王室期待の星であった。しかし残念ながら17歳のときに亡くなってしまったという。王子の着衣は、前に「マルガリータ王女」の絵でもそうであったが、ルノアールの絵のように精密に描き込まれたようには見えないのに、少し引いて眺めると、布の毛羽まで浮き立つような、見事にリアルで詳細な表現に見える。
Photo_2 クロード・ロラン「聖セラピアの埋葬のある風景」(1639)がある。題材は聖人伝説で、2世紀ころに殉教者聖セラピアを埋葬したことが後日政府に咎められ、埋葬にかかわった女性までが処刑されたという事件を描いている。この絵の勘所は、古くギリシア・ローマ時代に遡りつつ、画家が理想と考える風景を、画家の頭脳で構成して絵画に落とし込んだことにある。オリンポスの宮殿、ローマの円形競技場などを自由に組み合わせて登場させ、地中海の陽光の中に美的な理想郷を表わしている。17 世紀のスペインでは、風景画は他のジャンルほどには隆盛はみられなかったが、スペインの王侯や絵画愛好家たちの間で人気があり、イタリアやフランドルの風景画家たちの作品が輸入され、流通していたらしい。

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プラド美術館展 兵庫県立美術館 (3)

画家と宮廷4_2
 ベラスケスは、1599年、ポルトガルからスペインに移住してきた改宗ユダヤ人(コンベルソと呼ばれた)の子としてスペイン南部のセビリアに生まれた。11歳で当時の有力な画家であったフランシスコ・パチューコに弟子入りし、すでに18歳にして独立し、まもなく師のパチューコの娘フアナと結婚した。24歳の時、マドリードに出て、政府高官の伝手で国王フェリペ4世の肖像画を描く幸運に恵まれた。フェリペ4世は、出来栄えにたいそう気に入り、若くして宮廷画家に抜擢した。
 ベラスケスにとつて、フェリペ4世はまさに人生の恩人であるが、そのフェリペ4世の肖像画のひとつが「狩猟服姿のフェリペ4世」(1632)である。財政難にあった王室を考慮し、フェリペ4世は質素倹約を説いていたというが、それを反映してか王は豪華な衣装でなく、実用的な狩猟服をまとっている。狩猟犬を従え、半身に猟銃をつかむポーズは、君主の狩猟画としては標準的なものであった。ただ、ここでベラスケスは、君主の威厳を最大限に表現するために、その身体の向きと位置、そして手に持つ猟銃の長さを懸命に試行錯誤した形跡が絵に残っている。
 ファン・カレーニョ・デ・ミランダ「甲冑姿のカルロス2世」(1681)は、フェリペ4世のあとスペイン王位を継いだ人物を描く。カルロス2世はフェリペ4世のあとスペイン王位を継いだが、幼少期から病弱で精神疾患もあったとされ、スペイン・ハプスブルク家の断絶を導いた人物である。王子の肖像画であり、精一杯美化して描いているはずだが、それでもいかにも自信なさげで愚鈍な人物に見える。
Photo_3 ベラスケスは、王宮にいたさまざまな階層の人物にも関心があった。王宮内には、王族や貴族の子供たちの遊び相手、あるいは生きた玩具として、小人や障害児が養われていた。その一人を描いた「バリューカスの少年」(1635)がある。知的障害・発達障害をもつ少年を描いて、その手にはトランプを握らせている。トランプは、虚しさ、愚かさの寓意であるという。この不幸な少年をみるベラスケスの視線は、きわめてニュートラルで、蔑視も美化もなく、淡々とかつしっかりと表現している。
 アントニオ・デ・ペレーダ「ジェノヴァ救済」(1634)という大作がある。1625年、フランスとサヴォイア公国がジェノヴァに攻撃を加えたが、スペイン軍が介入してフランスとサヴォイア連合軍を撃退し、ジェノヴァ共和国を救済したことを描き、スペイン軍のサンタクルス侯爵がジェノヴァ共和国元首に迎えられている場面である。アントニオ・デ・ペレーダはこの絵を制作したときはまだ20歳そこそこであったが、この作品で若くして認められたのであった。Photo_2
 この他、フランシスコ・デ・スルバランの「ヘラクレスとクレタの牡牛」(1634)と「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」(1634)の連作がある。スルバランらしく、しっかりした筆致で描かれているが、題材にも表現にも特別なものはない。
 宮廷画らしい大型の作品としてはジョヴァンニ・ランフランコ「ローマ皇帝のために生贄を捧げる神官」(1635)がある。幅3.6メートル、高さ1.8メートルの大作で、画面に横並びに多くの登場人物が描かれている。

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プラド美術館展 兵庫県立美術館 (2)

神話と裸体
Photo ルネサンスは、教条的なキリスト教絵画の枠を突き破って古代ギリシア・ローマの神話の題材を開放した。
 カソリック教会を奉じるスペイン・ハプスブルク家も、カソリック芸術を重視する一方で古代ギリシア・ローマ神話を扱った美術作品も大量に導入したが、あわせて多数のヌード作品をも取り込んだ。ただしヌードはさすがに大っぴらに収蔵・展示するのではなく、アルカサル、すなわち王が居住する王宮の中に密かに蓄えられた。芸術家は、ヌードの性的魅力、煽情的魅力のみを追及したのではなく、美術家としての技能を試し向上するための課題として、審美的嗜好と美術革新の契機として裸体に向き合った。Photo_3
 ベラスケスに1世紀先立つ名作として、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「音楽にくつろぐヴィーナス」(1550)がある。ここではヴィーナスが神聖化されず、ごく普通の美しい魅惑的な女性として描かれている。これをじっくり鑑賞して模写を重ね、自らの美術家としての修練を磨くことができるということが、宮廷美術家の特権でもあった。
 ペーテル・パウル・ルーベンス「アンドロメダを救うペルセポリス」(1640)では、白い肌から静脈が透き通る生き生きしたアンドロメダの裸体が見事に描かれているが、ルーベンスはなんどもティツィアーノの作品を模写して修行に励んだ結果だという。
 男性の裸体画としては、ディエゴ・ベラスケス「マルス」(1638)がある。ここで描かれたマルスは、雄々しく戦うエネルギッシュな姿ではなく、ゆっくりくつろぐ戦士、あるいは戦いに疲れ切って憔悴した戦士として描かれている。ベラスケスは敢えて輪郭をあいまいにして、わずかに取り入れた金色を生かしつつ、穏やかにくつろいで座りつつも、あるいは今にも立ち上がって動き出すかも知れないような雰囲気を作っている。

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プラド美術館展 兵庫県立美術館 (1)

 スペインのマドリードにあるプラド美術館の所蔵品を、今回はディエゴ・ベラスケスを軸にした展覧会が、兵庫県立美術館で開催された。
 15世紀末にイサベル女王統治下のカスティーリャ=アラゴン連合王国は、アメリカ大陸発見など大海洋時代をリードし、それを受け継いだスペイン・ハプスブルク家は、16世紀初頭にはアメリカ大陸、カリブ海、太平洋にわたって広大な領地をもつ大国となった。今回の展覧会では、スペイン・ハプスブルク家の下でのスペインの最後の隆盛期、衰退期にさしかかるころのフェリペ4世の17世紀中期が主な舞台である。

芸術の社会的地位向上への意識Photo
 ディエゴ・ベラスケス「ファン・マルティネス・モンターニェースの肖像」(1635)がある。ファン・マルティネス・モンターニェースは、宮廷芸術家としてディエゴ・ベラスケスの1世代先輩にあたる彫刻家である。ベラスケスほか多くの芸術家たちは、このころには自分たち芸術家の社会的地位をなんとか向上したいとの強い意欲があったという。画面右下には主君フェリペ4世の彫刻が未完成ながらも描き込まれ、その彫刻を制作するファン・マルティネス・モンターニェースが、学者のような装束と表情で描かれている。この絵で、美術家は絵画や彫刻の技能にとどまらず、高度な知的営為にもとづく活動であることを主張している。
 アロンソ・カーノ「聖ベルナルドゥスと聖母」(1650)は、聖ベルナルドゥスがある日、聖母像に礼拝し「あなたの母たることをお示しください」と言ったところ、聖母の彫像の乳房から聖ベルナルドゥスの口に向かってひとすじの母乳のビームが発せられた、というものである。ヨーロッパ全域をルネサンスが拡大するなか、カソリック教会側では対抗宗教改革として「神秘の授乳」がテーマのひとつに取り上げられたという。
Photo_2 フランシスコ・デ・スルバラン「磔刑のキリストと画家」(1650)がある。全体として暗い背景のなかに、画面左手からの光がキリストの半身とそれを見上げる画家の顔を浮かび上がらせる、そのコントラストが印象的である。フランシスコ・デ・スルバランは、ベラスケスと同年代の画家で、優れた描写力と陰影・明暗の対比の使い方、厳格・正確な表現で、その技量をベラスケスからも認められ引き立てられ、この時代を代表する画家のひとりであった。
 エル・グレコ「聖顔」(1586-95)がある。これはベラスケスより1世紀以前の作品である。習作らしく背景は白地のままで、灰色の布がひろがり、その中にキリストと思しき人物の顔が描かれている。この顔の表現は、タイトルに反してかなり世俗的で、今これを眺める現代人からは、ロックンロール音楽のスターの顔に見えなくもない。Photo_4
 ディエゴ・ベラスケス「メニッポス」(1638)は、紀元前3世紀ギリシアの哲学者メニッポスを描いている。メニッポスは、キュニコス派に属する哲学者で、世の中に普及している価値や富に懐疑的で、自らは犬のように乞食同然の生活をしたことから「犬儒派」とも呼ばれた。服装や人物は古代ギリシアよりは当代、すなわち当時のルネサンス期風で、シニカルな微笑を浮かべて斜に身構え、いかにも懐疑的な表情である。
 ペーテル・パウル・ルーベンス工房「泣くヘラクレイトス」(1636)は、紀元前5世紀古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスを、古代の服装で描いている。小アジア半島イズミール地方のエペソスの哲学者ヘラクレイトスは、貴族政治を主張し、潔癖・孤高の学者であったが、そのヘラクレイトスが泣くのは、人間としての限界、愚かさを表現している、という。
 ヤン・ブリューゲル(父)、ヘンドリク・ファン・バーレン他「視覚と嗅覚」(1620)がある。「バベルの塔」で有名なピーテル・ブリューゲルの子であるヤン・ブリューゲル(父)が関わるこの絵画は、ピーテル・ブリューゲルと同様に、これでもかこれでもかと言わんばかりの細密画である。「嗅覚」はさまざまに咲き乱れる花で、「視覚」はおびただしい数の画中画で表現する。よく見ると100ほどにものぼる多数の画中画がていねいに描かれている。こんなにマニアックに労働集約的な作品だが、出来栄えは芸術作品としての品格も水準もある。たいへんな労力であったろう。

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