2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ

« 2019年5月 | トップページ | 2019年7月 »

2019年6月

江の島 (3)

  江の島の頂上を経て奥津宮へ
Photo_20190630095601     中津宮を過ぎてしばらく石段を上ると、江の島シーキャンドルと名付けられた天望灯台がある頂上広場に着く。この一角に「一遍上人の島井戸」の碑がある。鎌倉時代に時宗の祖であった一遍上人がここを訪れ、この地の人々が飲料水に窮しているのを救うために掘り当てた井戸であると伝えられている。水は今でも湧き出るという。また「一遍成就水」と一遍上人が自ら書いたと伝える額が、江島神社に残っているそうである。行基といい、一遍上人といい、昔の高僧は日本のあちこちを実にくまなく歩き回ったものである。
Photo_20190629061901   頂上の広場から西の方角に少し降りたところに「山ふたつ」という立て札がある。これはは、辺津宮や中津宮、そして港などがあるメインランドたる東島の部分と、これから行く江の島西側の奥津宮や稚児ケ淵などがある相対的に小さな西島との境目である。海面が鋭く陸地にせり込んでいて、二つの陸地の間に海が開け、ひとつの景勝になっている。 Photo_20190629062002
断層に沿って海蝕されてできた海蝕洞が崩落してできた谷であり、両側が高くなっているので、このように呼ばれてきたという。東島側の崖面には、赤茶色の地層が見えていて、これは箱根・富士山の火山灰が堆積した関東ローム層であるとされている。
 山ふたつを過ぎて奥津宮、さらに稚児ケ淵に至る急な下り坂は「御岩屋道通り」と呼ばれている。稚児ケ淵の奥にある「江の島岩屋」に通ずる道だからである。しかし現在は安全上の懸念から江の島岩屋は閉鎖されている。
Photo_20190629061902  御岩屋道通りを少し進んだところに「奥津宮」がある。その社殿の前の鳥居は、いまではコンクリート造の鳥居だが、もとは源頼朝が寄進したと伝える鳥居である。『吾妻鑑』によると、養和2年(1182)頼朝は、奥州平泉の藤原秀衡を調伏するために、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁財天を江の島岩屋に勧請し、参詣のときに鳥居を寄進したと伝える。平成16年(2004)の台風で破損し、全面的に建て替えたものである。ただ、様式はわかっている範囲でかつてのものに従っているという。
 さてその奥津宮だが、ここには宗像三女神のうちの「多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)」を祀っている。江戸時代まで本宮御旅所と言って、岩屋の御本尊をこの奥津宮に移し、4~10月の間に台風などで海岸崖の岩屋に波浪が入り込み本尊が水浸し、あるいは流出するのを避難していた。社殿は、天保12年(1841)全焼し、その翌年に再建されたときに現在の様式である入母屋造りとなった。平成23年(2011)に全面改修を経ている。Photo_20190629062101
 拝殿の天井の絵は、「八方睨みの亀」と呼ばれるもので、どの方向から眺めても亀が睨みつけているように見えるという。江戸時代の高名な画家であった酒井抱一が描いた絵である。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

江の島 (2)

辺津宮と中津宮
Photo_20190627060801  弁財天仲見世通りの商店街を抜けると、目の前に朱色が鮮やかな鳥居が見え、鳥居をくぐってすぐの急な石段のうえに竜宮城を連想させるような、どこか中華風の「瑞心門」がある。
 ここをくぐってさらに石段を上ると「辺津宮(へつのみや)」の社殿に着く。
 江の島には、辺津宮・中津宮・奥津宮の3つの宮があり、これらが「江島神社」を構成している。この3つの宮は、それぞれ宗像三女神を祀り、このうち辺津宮は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)を祀っている。社殿は、もとは僧良真が建永元年(1206)遷宮したと伝えるが、現在の社殿は昭和51年(1976)に改修されたものである。Photo_20190627060901
 辺津宮を過ぎて八坂神社の前を通り過ぎると、絵の島港を見下ろす天望台がある。そのすぐ手前は「中津宮広場」というお花畑となっている。ちょうど春の草花が色とりどりに咲き誇っていて美しい。展望台から見下ろす港の景観も、絶好の快晴の中、海面が青く輝いてとても美しい。
Photo_20190627061001  中津宮広場から石段を上がったところに「中津宮」がある。鮮やかな朱色のお社である。ここは宗像三女神のうちの「市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)」を祀る。仁寿3年(853)に、慈覚大師が創建したと伝える。江戸時代の元禄2年(1689)に再建され、さらに平成8年(1996)に大改修を経て、現在の姿になった。江戸歌舞伎の中村座と市村座から寄進された石灯篭が残っていて、江戸時代に江の島参詣が盛況であったことを偲ばせている。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

江の島 (1)

江ノ電江ノ島駅から江の島まで
 私たち家族が鎌倉に住んでいたのは15年以上も前であるが、当時はときどき江の島を訪れることがあった。この度、久方ぶりに江の島を散策した。Photo_20190625060201
 江ノ電江ノ島駅は、大きく変わったとまでは言えないまでも、随所にマイナーな改装がされて、きれいになっている。
 駅から江の島弁天橋までの小路も、たしか以前はこんなに小ぎれいに舗装されていなかったように記憶する。
Photo_20190625060401  この途中に「江の島弁財天道標」が建っている。先端部は少し損傷しているが、四角錐の頭頂部を持つ四角柱で、正面に弁財天を表す梵字の下に「ゑのしま道」と彫り込まれ、右側面には「一切衆生」、左側面には「二世安楽」と記されている。江の島弁財天に参拝するすべてのひとびとの、現世・来世の二世での安楽を願うものである。このような道標は、藤沢市の内外で十数基が残っていて、そのうち藤沢市内の12基が市重要文化財に指定されている。もともとこれらは、この地で「菅鍼術」という管を併用して鍼を刺す施術法を開発したとされる杉山検校という鍼灸師が建てたという。20
 この小路を数分歩くと、海岸に着き、江ノ島のトンボリの砂洲の上に架かる江の島弁天橋に着く。江の島は、三浦丘陵や多摩丘陵と同じく第三紀層の凝灰砂岩の上に関東ローム層が乗る地質構造をもつ、周囲4キロメートル、標高60メートルほどの陸繋島である。遠い昔は、引き潮の時のみ洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなった。大正12年(1923)の関東大地震で島全体が隆起して以降は、ほぼ地続きとなった。対岸の片瀬川河口付近の形状が時代とともに変遷し、満潮のときのみ冠水した時期や、常時陸続きとなった時期があり、砂嘴の位置も少し移動している。
 江の島弁天橋を渡ると、弁財天仲見世通りの商店街となる。このなかに江の島郵便局があり、その建物の前には、明治20年ころの黒い郵便ポストが建っている。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ル・コルビュジエ─ピュリスムの時代 国立西洋美術館(3)

  ピュリスム以後のル・コルビュジエ
Photo_20190623061501  1925年、それまでともにピュリスムを推進してきたアメデ・オザンファンと決別することになったル・コルビュジエは、以後従弟のピエール・ジャンヌレや、女性デザイナーのシャルロット・ペリアン等と建築・家具などの造形を進めていくことになった。ただル・コルビュジエは、建築と並行して、公表はしないが私的には絵を描き続けていた。
 ル・コルビュジエ、シャルロット・ペリアン、ピエール・ジャンヌレ「寝椅子(シェーズ・ロング)」(1928)がある。これは今でも製造・販売されている簡素な造形美をもつ機能的な寝椅子で、使用する人間の身体の寸法や姿勢に応じて形を調整できるように設計されている。Photo_20190623061601  
 ピュリスムの時代を経てル・コルビュジエの思想は大きく発展し、絵画から建築、都市計画、インテリア・デザインまで、きわめて広い領域にわたって「近代の精神」の実現をめざす活動を繰り広げた。
 1925年のパリ万国博覧会、いわゆる「アール・デコ(装飾芸術)博」では敢えて装飾のない『エスプリ・ヌーヴォー館』を設計し、アール・デコ装飾の展示館が並ぶなかで異彩を放って話題を集めた。1922年のサロンドートンヌでは『300万人の現代都市』を、1925年にはパリ市街を超高層ビルで建て替える都市改造案『ヴォアザン計画』を、そして1930年には『輝く都市』をあいついで発表した。これらは低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であると提案するもので、パリでは実現しなかったが、以降の世界の都市計画の考え方に大きな影響を与えた。
1929  第二次世界大戦以後は、日本でこの国立西洋美術館などを「ドミノシステム」の延長で設計する一方で、異なったコンセプトの、後期の代表作とされる『ロンシャンの礼拝堂』(1955年竣工)を設計した。カニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、シェル構造の採用など鉄筋コンクリートで可能になった、曲面の多い自由な造形を示している。ここでは従来主張していた近代建築の指標である機能性・合理性を超える新たな表現に達したが、それはこの展覧会の範囲の外である。
 今回の展覧会を観て、ル・コルビュジエが当時の時代背景からどのように影響を受け、先行する芸術をどのように受けとり、創造して発展していったのか、その経緯の概要を知ることができた。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ル・コルビュジエ─ピュリスムの時代 国立西洋美術館 (2)

ル・コルビュジエとピュリスム
Photo_20190622063401  アメデ・オザンファンと共にル・コルビュジエ(本名: シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)は、「ピュリスム(純粋主義)」の運動を推進した。絵画や建築は造形芸術であり、そこには単なる主観的着想だけに基づくのみでなく、客観的で厳正な規則が必要だとする。オザンファンとル・コルビュジエは、近代生活を支える科学が法則に基づくのと同様に、芸術にも普遍的な規則がなくてはならないと主張し、比例と幾何学によって明快な構成を作りあげるピュリスム絵画を二人三脚で追求した。機械文明の進歩に対応した「構築と総合」の理念を、芸術と生活のあらゆる分野に浸透させることを訴えた。絵画には、黄金律を繰り返して構成する計算しつくされた構造を導入した。このころの二人の絵画は、そのような規則に基づいて構成された造形が描かれている。
Photo_20190622063501  1910年代から美術界を席巻していたキュビスムに対して、オザンファンとル・コルビュジエは、最初は主観的、感覚的で理知性に欠けるとして反発していた。しかし第一次世界大戦後にキュビスムのブラック、ピカソ、フェルナン・レジェなどは、静物を中心に、抑制的で洗練された、落ち着いた保守的な表現の傾向となり、第二の隆盛期を迎えた。またキュビスムのめざす方向をオザンファンとル・コルビュジエが徐々に理解を深めたことで、めざす方向は同じであると認識するようになり、キュビスムを尊重するようになっていった。この結果、ル・コルビュジエは、キュビスムから多大な刺激を受けることになった。とくにフェルナン・レジェには親近感を持ったようだ。
 1922年に、ペレの下で働いていた従兄弟のピエール・ジャンヌレと共に事務所を構えた。1923年に『エスプリ・ヌーヴォー』に掲載された自らの記事をまとめた著作『建築をめざして』を発表し、世界中の建築家から注目を集めた。この著作の中の「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉は、彼の建築思想の代表的なものとしてよく引用される。
 ル・コルビュジエはキュビスムのジャック・リプシッツの力強い彫刻を評価し、彼と親交を結んだ。1924年にパリ郊外ブーローニュに建てられたリプシッツ邸は、ル・コルビュジエがピュリスム時代に設計した住宅のひとつである。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ル・コルビュジエ─ピュリスムの時代 国立西洋美術館 (1)

Photo_20190621055901 ル・コルビュジエと「新しい建築の5つの要点」
 四半世紀近く前に、ル・コルビュジエの建築についての特集展覧会を観たことがあった。貧しい私の頭脳では、その時の記憶はかなりあいまいになってしまったけれど、今回開館60周年を記念した国立西洋美術館での展覧会は、やはり懐かしさもよみがえる印象深いものとなった。
 ル・コルビュジエ(本名: シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)は、スイスの時計職人の子として1887年に生まれ、地元の装飾美術学校で彫刻と彫金を学んだが、高等教育を受けたわけではない。ただ彼の才能を認めた美術学校長から建築家を紹介され、やがてパリに出て実地で建築を学ぶ機会を得た。当時すでにスイスの時計工業が斜陽を迎えていたことと、彼に視力の問題があり時計の細かい仕事にハンディキャップを感じていたこととが、彼の進路に関与したであろうという。
 パリで鉄筋コンクリート建築の先駆者であるオーギュスト・ペレから、鉄筋コンクリートの可能性と将来性を教えられ、1914年には「ドミノシステム」という鉄筋コンクリート技術を基礎とした斬新な建築コンセプトを発表した。
Photo_20190621060401   これはそれまでの伝統的建築が組積造(石積み・レンガ積み)だったのを、スラブ(床)、柱、階段のみが建築の主要要素だと大胆に主張するもので、そうすることで建築物の基本形状やファサードなどに、大きな自由度をもたらしたものであった。
 これにもとづき、ル・コルビュジエは後に「新しい建築の5つの要点(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサード)」を「近代建築の五原則」として提唱した。
 1920年には、ダダイスムの詩人ポール・デルメ、ピュリスムの画家アメデ・オザンファンと共に雑誌『エスプリ・ヌーヴォー(新精神)』(L'esprit Nouveau)を創刊して、自らの芸術理論、建築理論を論考し発表するようになった。このころから彼は「ル・コルビュジエ」というペンネームを用いている。
 この展覧会では、主にこの1920年ころから10年間余りの間の彼の芸術理論・建築コンセプトの変遷を中心に展示している。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

新作歌舞伎「NARUTO」京都南座

 京都南座に、家人と一緒に、新作歌舞伎「NARUTO」を鑑賞した。
 ちょうど1年余り前に「ワンピース」という、やはり人気マンガを歌舞伎にした公演を観たが、なかなか良かったので今回も観ることとしたのであった。Photo_55
 落ちこぼれの若手忍者ナルトが、ライバルでかつ親友のサスケと、協力したり対決したりしながら、忍者の  里を侵略しようとする悪の忍者集団と必死に戦い、忍者としてまた人間として逞しく成長していく物語りである。
 私たちは原作のマンガ作品を知らないので、物語の進行内容そのものがなかなかわかりにくいという難点がある。名前も普通の演劇で使用されるような名前でなく、またマンガの画面に類似した特殊な衣装とメークで登場するそれぞれの配役の区別も容易ではないことがある。そういういくつかの困難があるにもかかわらず、若手の魅力あふれる歌舞伎俳優たちのエネルギッシュな演技は、観ていて飽きることが無く、たしかに楽しめる。
 主人公ナルトを坂東巳之助、ライバルでほとんど主人公とおなじ重要度をもつサスケを中村隼人、悪の首魁マダラを中村梅玉が、それぞれ演ずる。終盤のナルトとサスケの目まぐるしい殺陣のカラミは見応えがあり、とくに滝の下でびしょ濡れで水しぶきの中で取っ組み合う場面は、若手俳優ならではの大変な重労働の演技である。ヒール役のイタチを演ずる客演俳優市瀬秀和も、なかなか魅力的である。
 観客席は、平日なのにほぼ満員で、人気の高い演目だということがわかる。西欧人らしい客もかなりいる。イヤホンガイドには、英語版もあるらしく、歌舞伎のためにはとても良いことだと思う。
 初夏の一日、延べ5時間あまりをすっかり堪能した。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

スカイツリー (2)

  スカイツリーからの展望
Photo_52  スカイツリーの展望室は、構造上360度の眺望というわけではなく、北方向から東方向の間は多少見えない角度がある。説明板やパンフレットの図と眼前の眺めを比較しつつ、見える対象を照合しようとするが、なかなか容易ではない。
 ゆっくり展望室を1周してから、今度はより高い450メートルの天望回廊に上る。しかし率直な実感としては、350メートルから450メートルまで、100メートルさらに上がっても、景観の印象には大きな差がないように思えた。もちろんいずれも値打ちある景観だけど。Photo_54
 ここからほぼ真北の100キロメートルあまり先には、日光があるはずだという。その背景に男体山や赤城山らしい山影がうっすらと見えるようにも思えるが、定かではない。それらのはるか手前では、北西から南東に向けて流れる荒川の大きな流れがあり、そこに向かって北上して荒川の手前間近で西に急カーブを描く隅田川が見える。今では、荒川の手前は高層ビルが林立し、荒川の向こう側にも多数のビルが立て込んでいることに改めて感銘を受ける。
 西方向には、真下にアサヒビールの黄金のモニュメントがあり、隅田川の対岸には浅草寺の建物と仲見世も見える。上野公園と皇居の緑地の拡がりも見える。その右奥には、新宿副都心の高層ビル街があり、ビルの多い東京市街地のなかでも、とりわけ高層ビルが多いのがわかる。
 早春の絶好の快晴に恵まれて、のんびりと展望室から下界を眺めて回っただけでも、十分満足できたひとときであった。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

スカイツリー (1)

 東京に出かける機会があり、当初は別の訪問先を予定していたが、たまたま快晴との天気予報に予定を変更して、はじめてのスカイツリー訪問となった。

スカイツリーへの行程と富士の眺め
 地下鉄浅草駅から京浜急行線に乗り換えて、スカイツリー最寄りの押上駅に向かう。Photo_50
 浅草駅からは、スカイツリーが間近に見える。私は中学1年生の夏休みに初めて東京に来て、東京タワーを見た。そのときは東京タワーが建ってからまだまる3年が経っていなかった。当時はビルの高さは31メートル以下に規制されていて、東京市街といえどもせいぜい8回建てのビルしかなかったので、東京タワーは大東京の市街地にさっそうと聳え立つ、とても高い、とてもインパクトの大きい建造物であった。その思い出に比べると、たとえ視角による錯覚とはいえ、現代のスカイツリーは、高さが東京タワーの2倍近くあるにも関わらず、高層ビルの間から覗くことのできる、なにか可愛らしい塔という印象である。
Photo_51  押上駅の地下コンコースには「Tokyo Skytree Town」の看板を掲げた回廊があり、そこから地上4階までエスカレーターで上ると、スカイツリー入り口に着く。スカイツリーには、地上高350メートルの「天望デッキ」と地上高450メートルの「天望回廊」の2つの展望施設がある。まずは入場券を購入して「天望デッキ」まで、長い高速エレベータで上る。
 地上高350メートルまで上ると、たしかに遠くまで眺望が開ける。少し春霞のためか、うっすらと霞がかかっているけれど、南西方向にはるか100キロメートルかなたの雪を冠った富士山が見える。
 その左手の方に、8キロメートルほど離れている東京タワーが見える。これは高層ビルに挟まれて、塔の上部のみが覗いているという感じである。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

松竹演劇「三婆」

 大阪松竹座で「三婆」を家人と一緒に鑑賞した。昭和36年(1961)有吉佐和子原作で、若いころにテレビドラマや舞台中継として、テレビを通じて何度か見たかすかな記憶があるが、話の内容はほとんど覚えていない。
Photo_49    一代で大きな金融業を立ち上げた社長が、突然妾宅で亡くなった。実は最近彼の金融事業はうまくゆかず、大きな借金を残しての急死であった。その社長の本妻と、唯一の肉親である妹、そして妾の3人の中高年女性があとに残された。
 長らく自宅に寄り付かず寂しい思いをさせられた本妻は、当然妾を快く思っていない。妹は長らく身体が弱かったこともあり、初老の現在にいたるまで独身だが、住処を兄の借金の抵当に取り上げられて、本妻宅に押しかけてくる。肉親の妹として妻に劣らぬ相続権が、自分にはあると信じている。妾も住処を失い、自分が経営することになっている料亭の建築が落成するまでのひと月だけ置いてほしいと、これまた本妻宅へ押しかけてくる。互いにいがみ合う立場の3人の初老の女たちが、問題だらけの奇妙な同居生活をはじめる。
 本妻宅には、妙齢の女中がいて、これももはや身寄りのない本妻の幼女になって財産を乗っ取ろうと狙っている。みんなほんとうのワルではないが、人並みの欲にとらわれた人たちである。このややこしい女性たちを脇から支えたり調整したりできる唯一の人物が、死んだ社長の側近であった専務の重助であった。
 波乱続きの同居は数年続き、ついに同居解消と合意したものの・・・
 ストーリーの本質は、人間は憎み合ったり、嫌ったりしても、しょせん一人きりでは生きられない、嫌うのも十分意識しているからであり、誰も本心ではひとりきりになりたいとは思っていない、というごくありきたりのものである。演劇としてのポイントは、3人の老女たちの達者な掛け合いである。もしへたな女優たちが演じたら、おもしろくもなんともない、味気ない演劇になるだろう。しかし幸いにして今回の舞台は、死んだ社長の本妻を大竹しのぶ、妹を渡辺えり、妾をキムラ緑子 という錚々たる練達ぞろいである。この舞台の見ものは、偏にこの3人のベテラン女優たちのあの手この手の名演であった。
 脇を固める重助役の佐藤B助、女中役の三倉茉奈も、とても良かった。なんの難しいところもなく、只管良い女優たちの演技を堪能し、満足できたひとときであった。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (21)

21.瞑想 Meditation
 人間はすでに述べたように宗教・イデオロギー・文化などから創生された物語を受け入れていて、しかもそれらはすべて事実ではない。そのため人間は、自分自身の心を実はよく知らない、知ることができない。この自分の心を知る方法こそが瞑想であり、瞑想によって人間ははじめて自分の心の事実を知ることができるのである。
 人間を団結させ、強くし、生き延びさせるため、歴史を通じてますます複雑な物語を自身に対してつくってきたので、「私自身とはなにか」を知ることはますますむずかしくなっている。技術の進歩は、武器を発展させ、社会秩序を不安定にした。壁の絵からテレビにまで伝達手段を発展させ、物語を伝える力を増強した。将来は、アルゴリズムが「私はなにもの」を決めてしまうかも知れない。
 「頭脳」と「心」はまったくちがうものである。頭脳は器官として客観的に科学的にさまざまに調査・分析・観察ができる。しかし「心」は主観的な経験の流れ(痛い、楽しい、怒り、など)であり、これを観察できる可能性があるのは自分自身の心のみである。しかし自分自身の心に対しても、それを客観的に観察するのは至難である。唯一の方法として、瞑想がある。[完]

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (20)

20.意味 Meaning
 人間が「意味」を問うことについて考察する。
 往古より、人は「私は何者」「人生でなにをやるべき」「人生の意味はなに」との問いをしてきた。つまり①自分がやるべきことの明示と、②個人の領域を超えたより広い範囲での自分の位置づけ、すなわち自分自身のアイデンティティの確認、を求めているのである。
 そもそも人間にとって世の中のすべての概念は、長い歴史を通じて蓄積されたフィクションでできている。そのフィクションを誰もが幼いころ、未熟なころから自然に教え込まれ、知性がそれを疑うよりも合理化しようとする。さらにわれわれ個々のアイデンティティが、そのフィクションの上に形成されてゆく。そして私たちが生活する社会そのものもそれらのフィクションを集めて組み立てられているのである。こうして形成された社会という構造物は、その基礎はフィクションだから本来きわめて脆弱なのだが、その上に載っているものが国の法律、社会規範、経済機構などなどきわめて重いがために、基礎の脆弱さにかかわらず屋根の重みで維持されているような事情になっている。
 このような社会を形成している物語(フィクション)を疑うには、とてつもなく強靭な神経が必要である。もしその物語が誤りだとすると、我々が知る世界は直ちに崩壊してしまうからである。
 こうして我々はすべてフィクション(物語)に囲まれ守られて生きているので、我々が「意味」を問うと、答えも当然フィクション(物語)でできている。しかし我々はそれを信じるのである。
 フィクションを人間に信じ込ませるのに大きく貢献しているものに儀式・儀礼がある。儀式や儀礼は、抽象を具象に、フィクションをリアルに変換する役割を果たしている。
 人々は、物語を信じているが、その物語は多くの場合唯一とは限らない。自分の嗜好でいくつかの物語をリザーブして、適宜信ずるものを切り替えて問題に対処する、という柔軟さをもっている。いわばアイデンティティのポートフォリオを組んでいるのだ。この反例としてたとえばファシズムは、複数でなく唯一の、国家の利益になるという価値基準で唯一の物語を選択し、真実か否かは全く問わないのである。このような極端な単純化は、ひとびとにとって大きな魅力となり得て、ある種の条件下で猛烈な人気となり、夥しいひとびとから支持されたりする。ファシズムは醜い、間違っていると非難するだけではファシズムの再発を防止できない所以である。
 ファシズムでない普通の人々は、複数のフィクションを必要に応じて信じてきたが、心底ではどのフィクションも真実とは確信していなかった。その不確実さは、宗教をゆるがした。それでもかつては、証拠なしに信じることが良いこと、疑うことは罪で忠誠こそが大切と考えようとした。それをひっくり返したのが、近代の科学と文化であった。忠誠は心理的奴隷に過ぎず、疑うことこそが自由への糸口と思えてきた。17世紀のシェークスピアによる「ハムレット」のto be or not to beが近代へのパラダイムシフトのヒーローであった。
 しかし近代は過去から引き継いだ数多の物語(フィクション)を拒否はしなかった。その結果、スーパーマーケットの棚に載せられたさまざまな商品のように、さまざまな物語が、ひとびとの求める物語の選択肢として提供されることになった。
 ファシストは、その選択肢の自由度の大きさに耐えられず、唯一の物語を絶対的なものとして取ったのであった。多くの人は、自分の嗜好によって物語を吟味し受け入れた。こうした事情から、我々が意味を問うたときに得た解答は、すべてフィクションであった。
 聖書、コーラン、ヴェーダ、などすべては人間が書いたものだ。フィクションと人間とは互いに依存しているので、人間の心がフィクションに力を与えている。
 人間には、欲求することを自分の意志で実行する自由がある。しかし自分の心は受け入れた物語で構成されているので、なにを欲求するかの自由は人間にはない。欲求は物語によっていて、したがって文化や宗教、さらには生物学的個性によって決められる。すなわち「自我」とはつまるところフィクションであり、こみ入ったわれわれの心の機能が、常に更新したり書き直したりしている結果である。
 人間は、フィクションをつくり、伝え、共有し、信じることで地球を制覇するほどに成功し発展した。それがために人間は、フィクションと真実とを判別することを苦手とする。この人間にとって難しい判断を、できるだけ正しく行うためのキーポイントは、つまり対象とする物語が真実か否かを判定するキーポイントは、その物語の主人公が苦しむか、苦しむことができるか、という問いかけである。1831年のロシア侵攻において、ミツキェヴィッチは「ポーランドは死なず」と鼓舞した。しかし「ポーランド」とは人の心に抽象概念として存在する国家であり、したがってそれが苦しむことはない。一方でロシア兵に蹂躙されるポーランド女性は生身で苦しまねばならない。ポーランド女性の苦痛はリアルであり、真実である。一般に政治家が「犠牲、永遠、純粋、救済」などの言葉を発するときは、その対象がリアルな実態のことなのか否か、じゅうぶん注意すべきである。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (19)

19.教育 Education
 21世紀には、①情報の意味を知る、②その情報が重要か重要でないかの区別をつける、③個々の情報からより広いピクチャーを構築する、ことが重要となる。この基礎を教育で養成しなければならないのだが、これも容易ではない。
 重要なポイントは、以下の3点である。
⑴変化への対応力: 21世紀は変化のスピードがますます速くなるから、経済や政治だけでなく、まさに「人間であること」の意味が変わってくる。
⑵新しいことを学ぶこと: これまでは15歳ころまでは教えられることに順応して多くのことを蓄えて、それ以後は変化に順応するよりも蓄えた知識に経験を加えて生きるというパターンであった。しかし21世紀は世界・社会の根本的な変化がより速くより大きくなるので、16歳以降、いな中年以降でさえ、つねに新しいことを学び続けることになるだろう。そのため、
⑶新しい状況に耐えて順応できるだけの心の強さ(mental flexibility)が必要となる。
 この弾力性・復元性(resilience)は、講義や本からは学ぶことができない。古い教育方法では無理である。ひとつのアドバイスは「大人に頼りすぎるな」。なぜなら大人たちは時代遅れの教育の産物だから。「汝自身を知れ」が古くて新しい重要ポイントである。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Noah Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (18)

18.サイエンス・フィクション Science Fiction
 学術活動としての科学が重要であることは当然だが、その成果を適宜一般向けに広報することも、科学の使命のひとつである。21世紀も、先端的科学技術をひろく一般に知らしめる手段として、サイエンス・フィクションは重要であろう。しかし、誤解を与えたり、誤った事実を伝えたりすることがないよう、発信側も受信側もじゅうぶんに注意することが必要である。
 ひとつの興味深い例として、ディズニーの2015年のアニメ作品「インサイド・アウト」(日本版のアニメでは「インサイド・ヘッド」と改名された)がある。主人公の少女は、自分の心の声を聴いて、それに従って感じ取り、考え、行動する。ストーリーはハッピーエンドとなっていて、興行も大盛況であったというが、この物語は、実はさりげなく「人間の心は、実は外部の他者がコントロールできる」というAIと生物工学の時代の重大で深刻な問題を訴えていたのである。どれだけの人たちが、この深刻なメッセージを理解したのだろうか。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (17)

17.ポスト真実 Post Truth
 現代も、世界中で虚偽(フェイク)が蔓延っている。ロシアは、ロシア軍機ではないと主張する空軍を派遣してウクライナを侵略した。日本は1931年、中国北東部に満洲国というフェイク国家をつくって支配を正当化した。中国は、チベットが長らく独立国であったことを勝手に否定して支配している。イギリスは、5万年におよぶアボリジニの歴史を全面否定して「無人島のオーストラリア」を併合したと宣言した。シオニストは20世紀初めに、「ヒトのいない土地パレスチナ」に「土地のないヒト=ユダヤ人」が帰ると主張して入植した。
 このようにホモサピエンスは、まさに「Post-truthの種」とも言うべく虚偽に満ちた行動を世界中で展開している。これは、生き残るため、強くなるためにフィクション(物語)に依存して成長してきた、という歴史的事実に深くかかわっている。1か月だけ信用させる物語はフェイクニュースだが、それが何千年なら宗教であり、真実なのだ。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (16)

16.正義 Justice
 われわれが持つ他の観念と同様、「正義」も実は狩猟時代のままなのである。狭い領域をごく少人数で活動していたころの観念を、AIと生物工学が活躍する21世紀に通用させることはできない。まず「正義」は、抽象的価値だけでなく具体的な因果関係を理解することが必要である。しかし、社会構造が複雑化し、莫大な数の人とモノに関わりつつ生きる現代において、因果関係はほとんど個人には理解不可能となっている。たとえば、日常の食事と、食糧になっている動物の生命、投資と公害の関係など。したがって、正義の判断は不可能になっているとの自覚が必要である。
 現代は、憎悪と貪欲だけが罪をつくるのではなく、無知と無頓着が大きな罪をつくるのである。現代の非正義は、個人の偏見によるというより、大規模な構造的偏りに起因している。
 この複雑化した状況を理解しようとして、①事態に関わっていることがわかる範囲内で善玉と悪玉を作って判断する、②涙腺に訴える物語に託す、③陰謀説をつくって訴える、などの問題矮小化の方法がとられるが、もちろんいずれも正しくない。
 正義の議論には、じゅうぶん謙虚であらねばならない所以である。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (15)

15.無知 Ignorance
 人間は自分が思うほどには理性的・合理的な判断はできていない。実際には直観的あるいは情動的に、つまり「反射的に」判断することも多いが、それは石器時代の狩猟生活に適合したもので、われわれに歴史的に染みついた属性となっている。現代のAIと生物工学の時代には実は適合しない判断方法をとっていることがあることを、我々はもっと自覚する必要がある。
 自分が独立した個人として判断していると思っていることも、実は個としてよりも集団としての判断(=groupthink)に依存していることが多い。サピエンスは、集団としての協調行動を通じて強くなったことと深く関係している。古代に比べると人間ははるかに多くのことを知るようになったけれども、それは個々人のことではなくて、集団としてのことである。自分が孤立した個人としては実は無知であること(=Knowledge Illusion)を自覚することが必要である。
 正しい判断をするためには、むしろ無駄にも見えるほど「時間を浪費して」じっくり多面的に思考することが必要となる。
 また、人間は権力を持つようになると、権力を遂行するために、個人としての知識の限界を補うために周囲からのアドバイスを必要とするのだが、権力者へのおもねりから周囲の者は正しいアドバイスをしないことが多い、というジレンマ(権力のブラックホール)があることも自覚したほうがよい。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (14)

14.世俗主義 Secularism
 「世俗主義」を、宗教・信仰・宗教儀式のすべてを否定するものとする考えがある。しかしこれは虚無的で非道徳的に思える。そうではなく「世俗主義」を、もっと前向きで行動的な世界観として、宗教に反対するのでなく宗教の伝統を尊重しつつ、排外的な教義でなく道徳や知恵の財産として、宗教の派閥にとらわれないものとして理解する考え方を取りたい。その尊重すべき道徳と知恵とは、普遍的にすべての宗教に受け入れられる範囲のもの、たとえば正直・思いやり・平等・自由・勇気・責任などである。これらは、現実的な近代的社会組織の、また民主主義や科学の基礎となる。
 ここで「世俗主義の理想」の要件を考える。①まず正直であること。信仰にたいする忠誠以上に、観察の結果、証拠を尊重する。信じるよりも真実のほうが大切とする。②相手・他人へのじゅうぶんな思いやり。とくに他人や相手の「苦しみに対する思いやり」が大切。したがって神が命じるから殺さないのでなく、相手が苦しむから殺さない、という論理が正しい。③科学的真実の尊重。④自分自身がなにものにもとらわれずに正しく判断できるための、自由の尊重。⑤自分が知らないことを率直に認めて、疑って確かめる、それができる勇気。「あなたが答えられない問は、あなたが問えない答よりはるかに良い」。⑥自分の判断と行動は、神まかせや神のせいにせず、自分が責任を負うこと。
 そして世俗主義が各宗教と対立する局面では、各宗教側が譲歩する。また世俗主義側は、各宗教の信者が神を否定しなければならない、あるいは宗教儀礼を停止しなければならない、などを要求してはならない。
 世俗主義の問題は、道徳や責任の欠如ではなく、むしろ道徳や責任への要求水準が無制限になりかねないことである。典型的には、マルクス主義、スターリニズム、戦争中の兵士の倫理などの圧政に見られる。資本主義でさえも宗教のようにドグマを語るときがあり、民主主義も選挙による多数派の権威主義的圧政を生むことさえありうる。20世紀にはファシズムや宗教圧迫に対する手段として「人権」というドグマは有効であったが、これも今後は要注意の面もある。21世紀の生物工学では、「選択の自由」も倫理的に再検討が必要となる局面がある。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (13)

12.謙虚 Humility
 「君は世界の中心ではない」との戒めは、21世紀においても大切である。著者はユダヤ人であり、ここでは例としてユダヤ人の場合を挙げている。
 ユダヤ教徒は、「世界三大宗教」としてキリスト教(23億人)、イスラム教(18億人)、ユダヤ教(1,500万人)を挙げ、ユダヤ教こそがすべての宗教の祖であると誇る。しかしこれは、ヒンドゥー教(10億人)、仏教(5億人)、日本神道(5,000万人)などを勝手に無視した一方的な考え方である。18世紀にはオーストラリア大陸にはじめて入ったヨーロッパ人が、現地でアボリジニが高度な道徳則を持っていたことを発見した。科学的な研究から、社会的動物social mammals(オオカミ、イルカなど)は、すべて倫理則を持っていることがわかっている。たとえばボスザル(アルファ・メイル)は孤児のサルが飢え死しないよう助け育てる。ユダヤ教よりずっと以前から、儒教や仏教は詳細な道徳律を唱えている。また一方では、一神教は多神教に比べて、信徒をより非寛容に駆り立てた。十字軍・ジハード・宗教審問・宗教的差別などには恥ずべきものがある。
 産業革命に関わるような発明は、すべてユダヤ教からみた異教徒(=Gentile)によるものであった。しかし19~20世紀には、ユダヤ人は科学に偉大な貢献をした。ユダヤ人は世界の人口比では0.2%に過ぎないのに、ノーベル賞受賞者の20%を占めたのであった。この背景には、ユダヤ人が19~20世紀にユダヤ教の世界観から距離を置いてGentileの世界観に目覚めたこと、またディアスポラで入った先の国々で軍や役所で厳しい差別を受けたことへの反発などもあったであろう。

13.神 God
 神は、人間の苦悩を癒し幸福にするために存在する。神のために非寛容になったり、対立を煽ったり、戦ったりするのであれば、むしろ神を信仰しない方がよいということになるはずだ。
 神に導かれて人間が道徳的になったとするのは正しくない。道徳やモラルは、神が存在しなくとも、社会的動物ならすべて弁えているのである。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century" (12)

11.戦争 War
 人類史を振り返ると、12,000年前の農業革命のあと15%、20世紀に5%、そして現代では1%の人口が戦争を含む暴力的事件で殺されている。こうしてマクロには着実に戦争を含む暴力による死亡者は減少してきたのだが、2008年のサブプライム・ローン問題による大不況のあと世界情勢は急激に悪化し、またも戦争を叫ぶひとたちが現れ、国家の軍度支出も増加している。そして2014年2月、21世紀に入って唯一の軍事力による侵略が、ロシアによるクリミア占領として発生した。
 こうして今でも戦争はなくならないが、戦争の価値は大きく変わった。経済の本質が大きく変わり、価値の位置づけがモノから情報に移ったのである。中東が世界の主要な割合で石油を寡占しても500~1,000Mドルに過ぎないのに比べ、アメリカ・中国は20,000Mドルの経済力なのである。核戦争は、そもそも全部を失わせるので、勝者はない。クリミアを侵略したロシアは、アメリカ・EUの1/10の経済力であり、相対的には弱小国であり、クリミア侵略で経済的に得たものは些少であった。
 人間は、したがってその国家も、合理的に計算して行動しようとするが、現実世界は人間の能力を超えるほど複雑であるため、人間は結果として愚かな過ちをしでかすのである。その事実は歴史的にも存在する。したがって戦争はほとんど得るものがないにかかわらず、避けがたいとも考えられる。それだからと言って、新しい戦争が必ず起こると措定することは、軍拡・疑惑を招き、その結果開戦を引き起こす可能性があり、危険である。しかし人間の愚かさを考えるとき、今後は戦争が絶対ないと考えることもまた危険である。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

Yuval Harari,"21 Lessons for the 21st Century"(11)

10.テロリズム Terrorism
 少なくとも死者数という点から見る限り、テロの被害者はごく少数にすぎない。世界全体のテロによる死者は2.5万人(主に中東)である。これに対して事故死は125万人、糖尿病による死者は350万人、大気汚染による死者は700万人である。
 テロの目的は、軍事的弱小者が大勢のひとびとに恐怖を与えて、小さな実害で大きな脅迫効果を狙うところにある。
 中世の国家と異なり、近現代の国民国家は明確な統治領域に対して、国民の安全を厳正に護ることが義務であり使命であり、支配の正当性の源泉となっている。このため国家は強大な軍事力・警察力を持ち、国家の静謐を破る者に対して全力を挙げて殲滅しなければ国家統治の正当性が維持できない。この結果、政治的暴力を抑え込むことに成功した、近代国家としてより完全に近い国ほど、テロリズムにたいして弱い、というパラドックスがある。
 テロは、その目的にてらしてテロ被害を受けた国が大きな反撃をすることを期待しているのであり、戦争を引き起こすことができたならテロは大成功なのである。したがって、テロに対する制裁・防御は、①テロリストのネットワークを密かに破壊する、②国家側とくにメディアは大げさに騒ぎ立ててはならない、③ひとりひとりの国民の恐怖心(=想像力)をコントロールして、心理的にテロリストから解放をめざすこと、が重要である。
 最近は核兵器の拡散の問題にも関連して「核テロ」が話題になっている。テロリストが核・サイバー攪乱技術・生物兵器など、広範な被害を引き起こす能力を持つと、これは在来のテロと同じようには考えられない。
 いずれにしても、われわれはテロに過剰に意識し反応することより、もっと重要なことに着手すべきである。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

 

Yuval Noah Harari,"21 Lessons for the 21st Century"(10)

9.移民 Immigration
 3つの独立な視点から考えることが必要である。
 まず受け入れ側の国(ホスト国)が、移民を受け入れる意志があるのかどうか。たとえ義務としてではなく厚意で受け入れたとしても、ホスト国はいずれ受け入れた移民に対して大きな義務と責任を負うことになる。移民に子孫ができたときなどが典型である。
 2つめは、移民側が自分たちの伝統的な文化規範を棄ててでも、ホスト国の文化規範を受け入れる意志と決意があるかどうかが問題である。ヨーロッパのひとびとは総じて寛容であるが、それ故に非寛容な移民の態度を許容できない、という面がある。たとえば非寛容なアラブ人が入ってきていずれアラブ人の人口が増えると、ヨーロッパに非寛容なひとが増えるのみならず、ヨーロッパのアイデンティティが棄損されることを恐れる。
 3つめは、移民がホスト国にじゅうぶん同化するか否かという問題である。歴史的にみても、移民側の非寛容がとくに問題で、古代ローマ、前近代のいくつかのイスラム帝国、アメリカ合衆国の経験からは、移民の同化には少なくとも数十年、多くは数百年を要している。この時間は、個人からみると人の一生の時間よりじゅうぶん長く、当事者からみて決して看過できない長さである。
 そして、以上3点に対する達成度をどう評価するかが、これまた大きな争点となる。移民反対派は、移民側がホスト国に同化する意志がないだろうから、移民はホスト国に同化する見込みが立たず、ホスト国は移民を受け入れることはできない、という論理である。移民賛成派は、移民はホスト国の文化規範を尊重しており、ホスト国にじゅうぶん順応し同化できるはずだから、ホスト国は移民を受け入れるべきだ、という論理である。
具体的なアプローチとしては、①ホスト国は移民を受け入れる意志があるのか否か、それは義務としてなのか、それとも厚意(恩恵)としてなのか、②ホスト国は、どの水準の同化を要請するのか、③ホスト国は、どのくらいの時間で移民を純粋な自国民と同等に扱うつもりなのか、裏返せばどのくらいの時間で移民に十分同化してほしいのか、を明確にしなければ、この問題は解くことができない。②については、たとえばヨーロッパの5億人のひとびとが、移民が受け入れるべき文化規範としてどこまでが譲ることのできない水準なのか、明確にすることが必要となる。
 それでも、現実に移民の同化の程度を公正に評価することは容易ではない。移民賛成派も反対派も、いずれも約束の遵守よりも違反を重視しがちだからである。百万人の移民のなかに、百人のテロリストがいたら、どう判断するのが妥当なのか。移民者がホスト国の街路を歩いていて、100回のうち1回でも人種差別主義者に出会って罵られたら、どう判断すべきなのか。
 これらの議論の前提に、ひとびとの文化に対する見方の問題がある。ドイツのファシズムが破棄された1945年以降、人種差別主義racismは道徳的にも科学的にも誤りと合意されるようになった。しかし、文化の相違にかんしては合意された考えはない。世界のなかで、現実に文化は多様であり、まさにそれ故にこそ人類学anthropologyも歴史学historyも意味がある。文化差別派は人種差別派よりは一般にはるかにフレキシブルで、文化の可変性を認める点で寛容性があるが、可変性を認めるが故に移民のホスト国文化への同化に対して、より厳しく要求し評価する傾向がある。またその場合、たとえば「ムスリムは非寛容」という場合に、何をどこまでいうのかが不分明なのが現実である。さらに、「文化の相違」は通常多数のひとびとの行動の統計的傾向を指すものであるが、移民の文化規範の同化について評価するときは個々人について判断するという矛盾(あるいは不当性)もある。「文化」という言葉の定義にあいまいさをともなう以上、この議論は明快には進まない。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

« 2019年5月 | トップページ | 2019年7月 »