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ヴァイオリニスト大谷康子さんの言葉

 ラジオ番組で、偶然ヴァイオリニスト大谷康子さんのインタビューを聴いた。
 大谷さんは、幼少期からヴァイオリンを学び、高い演奏技術を身に着けた。高校時代のはじめまで、コンテストに出場するたびに、確かで丁寧な演奏技術に対しては、いつも褒めてもらった。しかし優等生として認めてもらっていることはわかったが、なにか足りないような気が自分にもあった。それが高校時代のあるコンテストで日本一になったとき、演奏技術ではなく、温かみと拡がりと余裕のある大きな表現力を褒められた。自分ではなにが変わったのか、しばらくは理解できずにいたが、しばらく後に、ふと思い出して気づいたことがあった。そのコンテストの少し前の時期、友人の薦めでそれまでめったに観なかった映画を観たことを思い出したのであった。映画「風と共に去りぬ」は、とても感動してすっかり感情移入してしまった。自分がスカーレット・オハラになり切ってしまったような気分になり、スカーレットの気持ちの浮き沈み、愛の感情、後悔などが、自分のことのようにわかり、自分のことのように悩み、落ち込み、葛藤した。そのときは、いつも打ち込んでいたヴァイオリンの練習さえ、集中できないほどであったという。あのときの疑似恋愛の苦悩のような経験が、自分に新しい表現の力を与えてくれたのだと、確信したのだそうだ。
 もちろんしっかりした技術の基盤があってこそだが、芸術たる映画が、ヴァイオリニストに大きな決定的なインスピレーションを与えたのであった。
 凡人の私には、そんな雷鳴のようなインスピレーションの経験はないし、理解もできないのかも知れないが、優れた芸術の力というものは、私なりにわかるような気がする。そして、芸術を、インスピレーションを獲得する源とするためには、受け手側にその条件として、意識的か無意識的かを問わず、なんらかの強い問題意識と欲求が必要であり、そういう条件を満たした受け手に対してのみ、芸術は啓示を与えのだろう。
 これから何年生きられるのかわからないが、せっかくの貴重な時間に、できるだけよい芸術に出会いたいと、あらためて思った。

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