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2019年11月

北米東海岸クルーズ (7)

ボストン-6 旧州議事堂
Photo_20191129064301  ワシントンストリートを北に上って数分歩いていくと、右手に煉瓦造りの旧州議事堂が現れる。この建物は、1658年に建てられた旧町会集会所が焼失した後、焼け跡に1713年に建築されたボストンで現存する最古の公共の建物であり、アメリカでも最古の公共の建物の1つである。1798年までマサチューセッツ州議会が、ここで行なわれていた。現在は、ボストンの歴史学協会であるボストニアン・ソサエティが運営する歴史博物館となっているが、時間の制約から今回見学することはできなかった。
 この建物は、独立戦争までの60年間、イギリスの植民地政府が置かれていた。アメリカが独立してからは、コモンウェルス(現在のマサチューセッツ州)の政府が置かれ、初代州知事ジョン・ハンコックの就任式も、1780年にこの場所で執り行われた。


ボストン虐殺地跡
 旧州議事堂の真ん前の地面に、円形のモニュメントが埋め込まれている。ボストン虐殺地跡を示すものである。Photo_20191129064201
 1760年代ころ、アメリカは本国イギリスからさまざまな課税を課せられ、不満が鬱積していた。1765年には、イギリスから印紙条例が発布され、アメリカでは反対運動が盛り上がり、条例を廃止に追い込んだ。イギリス王ジョージ3世は、課税を課すことができるようにしようと、アメリカに連帯兵を派遣し、ボストンの市内で多数のイギリス兵が目につくようになっていった。こうしてボストン市民の不信感や不満が募るなか、1770年3月5日、些細なことから市民とイギリス兵の間で諍いが発生した。興奮した市民は、税関前に立つイギリス兵に対して、雪や石、氷を投げつけた。やがて群衆の数は増加し、イギリス兵には暴徒化しつつあるように思えた。突然ひとりのイギリス兵が殴られると、この兵士は忍耐の限界に達したのか銃を発砲した。これがきっかけとなり、他のイギリス兵たちまで銃を市民に向けて発砲した。この結果、3人のボストン市民が射殺され、さらに2人が重症を負った後に死亡した。
 アメリカ植民地の独立指導者サミュエル・アダムズは、この事件を「ボストン射殺事件」と呼んで、反イギリスのプロパガンダとして最大限に利用した。当時のアメリカ植民地は、歴史上最高の繁栄を満喫している最中でもあったので、すべての市民にイギリスからの独立を決心させることは容易ではなかった。サミュエル・アダムズは、問題は犠牲者の数の多少ではなく、イギリス政府が軍隊を常駐させ、イギリス議会によって制定された植民地の法制度に真っ向から反する法律を、軍隊の力によって施行しようとするイギリスの政策にある、と主張した。この事件は、後のボストン茶会事件などの導火線となり、アメリカ独立の運動がエスカレートしていく大きな要因となった。

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北米東海岸クルーズ (6)

ボストン-5 オールドコーナー書店
 ベンジャミン・フランクリン立像の場所の前の道はスクールストリートというが、その通りを少し東に歩くと南北に走るワシントンストリートに交わるその角に、オールドコーナー書店の建物がある。ボストンの旧市街といっても、さすがにこのような農家の納屋の形をした屋根をもつ建物は珍しい。ここは、現在はメキシコ料理のレストランになっているが、かつては書店であった。Photo_20191127061101
 この建物は、もともとはイギリスで英国国教会の腐敗を糾弾したためにイギリスを追われ、新大陸に自由と解放を求めてやってきた女性の宗教活動家アン・ハッチンソンの住処であった。ハッチンソンは発言する女性に慣れていない男性中心の社会の中でその考えを自由かつ痛烈に発言したため、アメリカにおいてもピューリタンと認定されない聖職者となったが、その聡明な心と親切さで賞賛と追随者を生み、マサチューセッツ、ロードアイランドおよびニューネーデルラントにおける先駆的開拓者となった。しかし植民地指導者を攻撃して大きな論争となり、政府や牧師からなる陪審員団の前での大変な裁判の後に、1638年に最終的にマサチューセッツ植民地から追放された。
 1712年、薬剤師であったトーマス・クリーズが店舗兼住居として改築し、1800年代中頃には当時出版社大手であったティクナー・アンド・フィールズ社のオフィスとして使用された。オフィスは、オールドコーナー書店という名前で、ラルフ・ウォルド・エマソン、ナサニエル・ホーソーン、ヘンリー・ワッズワース・ロングフェロー、チャールズ・ディケンズ、オリバー・ウェンデル・ホームズらのアメリカを代表する文学者たちが集まり、語り合った場所であった。 

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北米東海岸クルーズ (5)

ベンジャミン・フランクリンの立像とボストン・ラテン学校跡
Photo_20191125060501  キングスチャペルのすぐ東側に、ボストンの旧市庁舎の建物があり、その前にベンジャミン・フランクリンの立像がある。この場所は、かつてアメリカ最初の公立学校であったボストン・ラテン学校があったところである。その学校は、ボストンの初期の開拓者の出身校でもあったイギリスのリンカンシャーにあるボストン・グラマー・スクールBoston Grammar Schoolをモデルにしたアメリカ最初の公立学校で、ピューリタン信仰・伝道に必要な読書力を教育するため、広く民衆に開かれた学校として設立された。
1635年に設立されたときは男子生徒のみを受け入れ、男性の教師のみを雇っていた。最初の女子生徒を受け入れたのは19世紀半ばになってからであった。しかしその後間もなく女子ラテン・スクールが設立されたので、その後1世紀近くは能力ある女子生徒は女子校に入学することになった。1972年になってやっとボストン・ラテン・スクールは共学校になった。Photo_20191125060601
 ボストン・ラテン学校は、サミュエル・アダムズ、ジョン・ハンコック、チャールズ・ブルフィンチ、ラルフ・ウォルド・エマソンなどの、アメリカが誇る偉人の多くを輩出した。
 旧市庁舎の前に立つベンジャミン・フランクリンの銅像は、ボストン最古のブロンズ像である。ベンジャミン・フランクリンは、ここから数ブロック離れたところで誕生し、ボストン・ラテン学校に学んだボストニアンであったが、後の人生の大半をフィラデルフィアで過ごした。
 ベンジャミン・フランクリンは、私たち技術者にとっては物理・電気工学の草分けの偉大な科学者だが、政治家・思想家・文筆家としても偉大な貢献をした。
 1706年にボストンのろうそく屋の息子として生まれ、印刷屋の兄の下で働き、フィラデルフィアに移って印刷業者として独立し、そのかたわら新聞記事や評論を執筆した。政治家としても、独立の少し前にイギリスで植民地代表として外交活動に活躍し、独立直前にはフランス大使としてフランスとの同盟条約締結に奔走した。アメリカ独立後も政界の重鎮として活躍し、トーマス・ジェファーソンが独立宣言を起草するときにも重要な助言をした。

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北米東海岸クルーズ (4)

ボストン-3 キングスチャペルとキングスチャペル墓地
 パークストリート教会、グラナリー墓地のあるトレモント通りをさらに北東に歩くと、右手に背の低い少し異形の教会がある。キングスチャペルである。Photo_20191123072501
 これは1686年、ボストンで最初の英国国教会として創建されたが、イギリス本国で弾圧を受けたピルグリムたちやピューリタンたちは、英国国教会の教会建設に猛反対して、教会用の土地を売らなかった。イギリス支配の植民地政府は、これを強行突破して、当時の公営墓地(現在のキングスチャペル墓地)の裏手の一角に木造の教会を建設した。さらに1749年から5年間をかけて、ピーター・ハリソンPeter Harrisonの設計による花崗岩の石造りの建物に改築された。建物の内部は優雅なジョージア風の内装で、英国国教会の面影を色濃く残すという。この建物には塔がないのが大きな特徴である。教会の中には、銀細工師であり独立戦争のヒーローでもあったボール・リビアが製造した名物の鐘があり、美しい音色を奏でるというが、残念ながら聴く機会はなかった。
Photo_20191123072502  この教会は、アメリカ独立戦争中は、「石の礼拝堂」と呼ばれながら固く閉鎖されていたが、アメリカが独立したのちは1780年代から、アメリカ最初のユニタリアン派の教会となった。
 この教会が最初に建てられた場所を提供した墓地は、1630年にボストン地区で最初の、名もない庶民のための共同墓地として創設されたもので、現在キングスチャペル墓地として隣接している。

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北米東海岸クルーズ (3)

ボストン-2  パークストリート教会とグラナリー墓地
 ボストンコモンからフリーダムトレイルに沿って歩き出すと、最初は北に向かって現在のマサチューセッツ州議事堂に出る。どっしりした風格ある立派な建物だ。Photo_20191121073601
 さらにトレイルをたどると、今度はボストンコモン公園の東側を南下し、公園のすぐ東に隣接してパークストリート教会の高い尖塔がある。
 これは1809年に創建された会衆派教会保守派の教会である。会衆派教会というのは、アメリカではピルグリム・ファーザーズがアメリカに持ち込んだ伝統ある会派で、アメリカのニューイングランドで支配的な教会であった。

Photo_20191121073801   イギリスでは、1534年にヘンリー8世によって英国国教会ができたが、その娘のエリザベス1世のとき、ルターの宗教改革に影響を受けた司祭ロバート・ブラウンが、宗教改革が徹底していないとして英国国教会を厳しく批判し、分離派改革運動を起こした。彼らは弾圧され、一部の人々は信仰の自由を求めて1620年にアメリカに渡ったが、これこそがピルグリム・ファーザーズであった。アメリカにおける会衆派教会は、アメリカの政治、社会思想や制度組織に大きな影響を与えた。会衆派の人々の政治・社会生活のスタイルはピューリタン神権政治とも呼ばれ、神学教育だけでなく一般教育にも関心が深く、ハーバード大学、イェール大学、スミス大学、アマースト大学(同志社の創立者、新島襄の学んだ大学)、オーバリン大学など多くの大学を設立した。
 パークストリート教会は、米英戦争中に教会内に火薬を貯蔵していたこと、また説教が熱心かつ激しいことから「硫黄の角」とも呼ばれたという。伝統的に布教活動、福音主義の教義、社会問題に対する聖書の応用に熱心である。エドワード・ドア・グリフィン(1770-1837)が初代牧師となり、日曜夜の説教が有名になった。1816年、オールド・サウス教会と共にCity Mission Society を形成し、社会福祉活動を行なった。Photo_20191121073701
 パークストリート教会に隣接してグラナリー墓地 Old Granary Burial Groundがある。これはボストンで3番目に古い墓地で1660年に設立された。ポール・リビアなどアメリカ独立戦争時代の多くの著名な愛国者、ボストン虐殺事件の犠牲者、アメリカ独立宣言に署名したサミュエル・アダムズ、ロバート・トリート・ペイン、コモンウェルスと呼ばれていた当時のマサチューセッツ州初代知事ジョン・ハンコック、など著名人が埋葬されている。

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北米東海岸クルーズ (2)

ボストン-1 フリーダムトレイル散策開始
Photo_20191119064701  出航の翌日は終日航海が続き、その次の日朝7時にボストンのクルーズ・ポートに着いた。港からタクシーでボストンコモンという公園に行き、ここから「フリーダムトレイル」という散策コースを歩いた。
 公園のなかに観光案内所があるが、その前から約4キロメートルにわたってボストン旧市街の歩道の上に、あるいは塗料で、あるいは煉瓦で、またあるいは着色タイルで、赤い線が続き、その上をたどって歩いていけば、アメリカ独立以前の全米でも最も古い町の、先人ゆかりの家や場所の史跡を訪ねることができる。ところどころ線が途絶えているところもあるけれど、やはりこういう連続的なガイドラインは、旅行者にはありがたい。
Photo_20191119064702  ボストンは気温が20℃前後で、残暑が厳しい日本から来た我々にとっては、とても過ごしやすい気候である。街行く人々の服装は、これまたさまざまで、タンクトップやノースリーブ、半ズボンなどの真夏のファッションもあれば、暗色の長袖の秋らしいファッションもある。こういうヴァラエティの多彩さも、アメリカの街のひとつの特徴である。

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北米東海岸クルーズ (1)

航海の開始と自由の女神
 友人ご夫妻2組と私たち、計6人でクルーズ旅行に出かけた。Anthem-of-the-seas
 飛行機でニューヨークに飛んで、ニュージャージー州ベイヨンのニューアーク港クルーズパッセンジャー・ターミナルからAnthem of the Seas号に乗船した。16.9万トン、船長347メートルの、かなりの大型船である。 
 午後4時に出航すると、船はそのまま外洋に出るのでなく、乗客に海上からマンハッタン島と自由の女神を見せるため、いったん逆方向に進路を取りマンハッタン島に向かう。
Photo_20191117054401  やがてリバティ島の「自由の女神」像が見えてくる。その近くのエリス島はマンハッタン島最南部のバッテリー・パークから南西方向2.5キロほどのニューヨーク湾海上にある、ニューヨーク市の飛び地である。アメリカ独立の150年ほど前にオランダ人はマンハッタン島を開拓して「ニューアムステルダム」としていたが、アン女王戦争の結果イギリスの領地となり、ニューヨークと改名された。エリス島は、リトル・オイスター島と呼ばれ、実際ニューヨークの住民は19世紀まで、この島の沿岸で牡蠣を採り、港周辺の宿で提供していた。エリス島は以来なんどか所有者が移り、1774年にニューヨークの商人サミュエル・エリス(Samuel Ellis)が買い取り、以来「エリス島」と呼ばれるようになった。アメリカ独立後、エリス島はニューヨーク湾を守る戦略的な要衝となり、19世紀初めころは政府の武器庫として利用され、さらに砦が建設され、軍事施設として利用されていた。
 1892年1月からエリス島に移民局が建設され使用されるようになり、エリス島はヨーロッパ移民が最初にアメリカに踏み入れる土地となった。「自由の女神」は、エリス島から南に500メートルほどのところにあるリバティ島にある。ヨーロッパから大西洋を渡り、ニューヨーク湾に入ると、移民たちは左舷にリバティ島に立つ自由の女神像を望みながらエリス島に到着した。Photo_20191117054301 
 1892年から1954年までの60年あまりの間に、1700万人あまりのヨーロッパ移民がここからアメリカに入国した。エリス島は新天地における最初の土地「希望の島(Island of Hope)」で、入国した移民を出迎えに来た親族や友人と最初に出会う場所はキスや抱擁が行われることから「キッシングポイント(Kissing Point)」とも呼ばれた。一方移民希望者の2%ほどは入国を認められず本国へ送り返され、家族が生き別れになることからエリス島は「嘆きの島(Island of Tears)」とも呼ばれた。
 夕暮れがせまるなか、ようやく船は外洋に向けて、ヴェラノザ・ナローズ(Verranoza-Narrows)橋をくぐり抜けて大西洋に出た。

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映画「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」

結局は他愛のないコメディー
 もとはブログのエッセイだという。1970年代の栃木県のちいさな町が舞台で、ここの高校生のワルガキどもと、駐在さんとして町に来た警官との、いたずら抗争のお話しである。さまざまな悪ふざけが続くが、最後は気の利いたこころ温まるエピソードでまとめている。
 主演は市原隼人、駐在さんに佐々木蔵之介、元ヤンキーの駐在さんの美人妻に麻生久美子、などが出ている。市原隼人は、たしかに魅力ある俳優だ。
 私たちの年代にとっては、1970年代の若かりし頃の時代の雰囲気など、懐かしさも楽しめる。

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映画「ゴールデンスランバー」

ケネディ暗殺事件の日本パロディー化版か
 国家警察の策謀で、首相暗殺の濡れ衣を被せられた主人公が、大立ち回りで逃げ回るというストーリーである。物語構成は、未だに謎に包まれたままの半世紀前のケネディ大統領暗殺事件から多くの素材を採用している。主演を堺雅人、その元恋人を竹内結子、大学時代の友人を劇団ひとり、吉岡秀隆、謎の神出鬼没の殺人鬼を濱田岳、ターミネイター的な殺し屋を永島敏行、陰謀の首謀者らしき警察幹部を香川照之など、多彩な豪華メンバーが出演している。なにか政治的批判のようなものを秘めているのかも知れないが、よくわからない。ひとまず娯楽作品として成立している。

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映画「町田くんの世界」

現実性は薄いがそれでも感動する
 コミックの実写化作品だという。勉強も運動も苦手でとても不器用で地味でなんの取柄もなさそうな町田くんだが、どんな相手でも困っているのを見過ごすことができない、天使のように優しい人柄である。そんなあり得ない男子生徒がもし存在したら、というファンタジーである。世の中の普通の価値基準を、ファンタジーで見直してみよう、皮肉ってみよう、ということだろうか。主人公もヒロインも、私は知らなかった人だが、脇をかためる女優や俳優は豪華な有名俳優である。松嶋菜々子、岩田剛典(三代目 J Soul Brothers)、高畑充希、前田敦子、仲野太賀、池松壮亮、佐藤浩市、北村有起哉などなど。たくさんの有名なアラサーが高校生を演じているが、これはこれでおもしろい。

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映画「今日も嫌がらせ弁当」

家族の関係の歴史とリアリティー
 八丈島を舞台に、明るく奮闘するシングルマザーと反抗期の高校生の娘の、3年間にわたる対決と成長のお話しである。主人公のシングルマザーを篠原涼子が、反抗する高校生の娘を芳根京子が、それぞれ演ずる。篠原涼子は、若いころは典型的なダイコン役者であつたが、市村正親と年の差結婚したころからか、すっかり演技派の女優に成長して、なんとなく女性としての魅力も増し、達者で楽しい演技を見せてくれる。決して重苦しい雰囲気の映画ではないが、交通事故で夫を亡くしたという設定で、現実にもこういう境遇のおかあさんはいるだろうと思うと、いささか迫ってくるものがある。大都会でなくちいさな島が舞台というのは、人間同士の自然な交流が多彩できめ細かく、人間の暖かさを表現するのに適しているのかも知れない。

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映画「The Best of Enemies」

実話の迫力と数奇さ
 実話にもとづくドラマ映画である。1971年のノースカロライナ州ダーラムが舞台である。ここは、人種分離政策が実施されていて、黒人女性の公民権運動家アン・アットウオーターはさまざまな不平等に抗議して戦っていた。一方この地にはKKKの会合があり、ガソリンスタンドを経営するエリスはKKKの幹部であった。
 ラーレーから来た弁護士が指導して、この黒人公民権運動家とKKK幹部を中心に関係者を集めて2週間の、人種差別問題を議論するための会合を役所が主催して開催し、ちょうど問題としてあがっていた子供の教室の人種別分離の問題から議論がはじまった。最初は対立のみが目立ったが、なんとか話し合いを続けるうちに、黒人公民権運動家とKKK幹部の双方が徐々に理解し合うようになり、ついに画期的な和解に至る、という感動的なストーリーである。これが実話で、実名の役柄に対応する実在の人物が最後に登場する。
 なにより実話であり、ノースカロライナ州ダーラムやラーレーは、私自身がかつて仕事で何度か訪れたことがあり、一層印象の深い作品であった。

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映画「ダブリンの時計職人」

人間が生きるということ
 ロンドンで失業した実直な時計職人フレッドが、ホームレスになり気持ちも落ち込んで、生まれ故郷のダブリンに帰ってきたところから映画がはじまる。失業保険を申請しようとするが、ホームレスのため郵便のあて先がないという理不尽な理由で断られてしまう。しかたなくボロ車のなかで生活するが、やがて同じような車での生活を送る若者カハルと、またスイミングプールでピアノ教師の未亡人ジュールスに出会う。いずれも不器用な生き方しかできない人間でたちであるらしい。しずかに時が流れ、静かに悲劇が起こり、しずかに新たな生活がはじまる。人間が生きていることの意味を、しずかに控えめに訴えるような、とても地味だがしっとりとした良い映画である。

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映画「TEEN SPIRIT」

ありそうな話として惹きこまれる
 イギリスのワイト島に育ったポーランド系の少女ヴァイオレットは、母の不倫で家を出て行った父のため母子家庭で育ち、母の不倫に傷ついていた。内気で地味な女の子だが、歌が好きで歌手になることを夢見ていた。17歳になってようやくテレビのオーディションに参加するチャンスを得た。
 歌手のデビューが、並大抵のものでないことは、私たち門外漢にも容易に推測ができるが、この映画でも、さまざまな思惑を持つ人物が歌手をめざす有望な女の子に接触してくる。もとオペラ歌手で、歌手のマネージャーとして一儲けをたくらむアル中の中年男、コンペティションの始まる前に有利な契約をせまる音楽会社、急に有望となったヴァイオレットに言い寄ってくるイケメン男など。現実にも歌手の登竜門のプレッシャー、緊張感に加えて、騒々しい周辺の擾乱は大変なものだろう。たった2日余りの出来事だが、緊張と誘惑と裏切りと疲労と不退転の集中と、さまざまな要素がいかんなく描かれて、見応えのある映画となっている。主役のエル・ファニングが歌っているのか、それとも歌は吹替なのか否かは知らないが、劇中歌はそれ自体がいずれも素晴らしい魅力溢れたものである。

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映画「ちはやふる─結び」

美形男女の青春劇画
 人気コミックの実写映画で、映画としての最終章らしい。若手人気女優の広瀬すずが主人公千早(ちはや)を演じ、競技かるた部の仲間に野村周平、上白石萌音、新田真剣佑、ライバルに松岡茉優などの人気俳優が大勢出演している。
 私自身はかるたを知らないし、まして競技かるたなどというものをまったく知らないが、なかなかエネルギッシュな激しいスポーツのひとつのようだ。波乱をふくんだストーリー、若手美女と典型的イケメンをキャストに揃え、競技かるたの大きな宣伝にもなっているように思う。
 小難しいところは何もなく、きれいな若い男女を見て、適当にわくわくして、楽しい映画となっている。

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