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北米東海岸クルーズ (31)

セント・ジョン-5 ニューブランズウィック博物館
セント・ジョンの造船業
Photo_20200125061601  セント・ジョンの産業で、特筆されるべきは木造帆船である。1799年から1805年までヨーロッパを席巻したナポレオン戦争は、ここニューブランズウィックに大きな影響を与えた。ナポレオンのフランスが、軍事力でヨーロッパ全体に侵略をはじめ、イギリスは対応を迫られた。島国イギリスにとって、海軍は軍事力の要であったが、当時の戦艦は木造帆船であり、それを製造するための木材の不足が大問題であった。
 そこでイギリスが眼をつけたのが、ノヴァスコシアやニューブランズウィックなどのアメリカ大陸東北部の植民地であった。莫大な森林資源に恵まれ、しかも陸地の周囲は天然の良港に恵まれていたのである。
 イギリス政府は、さっそくニューブランズウィックの豊富な木材をイギリスまで船で輸送して、イギリスの造船所で木造帆船の戦艦を増産した。しかし、大量の木材を遠くへ運ぶ費用と時間、さらに海難などのリスクを考えると、造船技術をカナダ側に移して、木材原産地の近傍で造船することの合理性に気づいた。その結果、19世紀初めからニューブランズウィックの、とくにセント・ジョンの造船は急速に成長・拡大した。セント・ジョンには、造船業で莫大な富を蓄えた富豪がたくさん生まれた。Photo_20200125061501
 ナポレオン戦争の後には、商船や客船の普及拡大があり、さらに1860年代にはアメリカの南北戦争が莫大な戦艦の需要を発生した。木造帆船全体としては1820~1890年代が隆盛期であったが、とくにセント・ジョンでは1840~1890年が黄金時代であったと伝えられている。
より大きな船、より速い船が要求され、帆船としての最高峰を飾ったのが設計技師ジェイムズ・スミスによる、1851年進水のマルコポーロ号であった。Photo_20200125061502
 当時の木造帆船は、主要な材料は木材であったが、木材を継ぎ合わせたり、帆を固定したり操ったりする器具や装置をつくるための、金具・金属部品がとても重要であった。その需要からセント・ジョンでは、鍛冶屋の技術の開発・高度化・蓄積が進み、この技術は造船業が衰退してからも、セント・ジョンの産業界にとって重要な基礎技術であり続けた。
 1880年代には、蒸気船が急速に発達・普及し、船体にも木材より鉄が用いられるようになった。そうなるとニューブランズウィックの木材資源は必要でなくなり、新しい蒸気機関や鉄製船体製造の技術を欠くセント・ジョンは、造船業の衰退を余儀なくされた。
 ただ、造船の黄金時代の経済的蓄積は、19世紀後半からの鉄道の敷設、電気の導入、電気通信の普及などに大きく貢献し、今日のセント・ジョンの経済・文化の礎となった。

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