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北米東海岸クルーズ (25)

ハリファックス-6 ハリファックス大爆発事件
Photo_20200111061701  1917年12月6日の朝、フランスの輸送船モンブラン号は、ニューヨークから軍事物資としてTNT火薬・火薬用のピクリン酸、ベンゾール、ニトロセルロースを満載してきて、大西洋に出ていくために、ドイツの潜水艦攻撃を避ける護送船団に合流のためベッドフォード湾に入ろうと、ナローズと呼ばれるハリファックス市とダートマス市の間の海峡を通過しようとしていた。このころ、第三国の船舶は、ハリファックス港での検査を義務付けられていたのであった。そこへ海峡の反対側から、ノルウェーの食料・衣料の輸送船キモ号が、これからニューヨークに行って食料・衣料を搭載し、占領下のベルギーに救済物資として届けるために、空の状態で入ってきた。
 狭い航路ですれ違う場合、互いに相手の右側を通行することが義務つけられていた。しかし水先案内ボートとのやり取りや、互いの船の情報交換のミス、そして急いでいたイモ号の速度違反など、ささいな行き違いが蓄積して、午前8時45分、イモ号が急旋回してその舳先がモンブラン号の船腹に突っ込んでしまった。モンブラン号の船体ものものの損傷は軽微であったが、その接触で発生した火花が、気化したベンゾールに引火し、その火がピクリン酸やTNTに類焼していった。キモ号は衝突の衝撃で座礁し、モンブラン号は漂流しはじめた。
 そして20分ほど後の午前9時5分に、モンブラン号の火薬が大爆発した。数千メートルもの高さの火柱が突きあがり、爆発の衝撃波が音速の数倍の速さで周囲500メートルを超える範囲に伝搬し、瞬時にすべてを吹き飛ばした。さらに赤熱した船の破片は、夥しい数で数キロメートル遠くまで飛び散り、シタデルの火薬庫など多くの施設・建物に引火した。Photo_20200111061702
 このとき、大陸横断鉄道のハリファックス事務所に勤務していたヴィンセント・コールマンは、衝突した船から数百メートルの至近距離の車両基地にいたが、事前にその船に大量の危険物が搭載されていることを船員から聞いていて、まもなく大きな爆発が発生するかも知れないと考え、周囲の人々が避難するなか、ひとり持ち場へ戻り、爆発の危険があるのでハリファックスへ向かう列車を直ちに停止するよう電信で伝えた。この結果、ニューブランズウィック州セント・ジョンからハリファックスに向かっていた列車は途中で止まり、すくなくとも300人以上の人命が救われたが、コールマン自身は爆発により即死した。
Vincent-coleman  被害者は、即死1,600人を含んで2,000人の死者、900人の負傷者、破壊した住宅1,630、損傷した住宅12,000、住処を失った人は6,000人を数え、工場の倒壊など経済的ダメージは試算値として3,500万カナダドル以上と甚大なものとなった。
 この事件の責任については、1918年2月4日Wreck Commissioners Court(難破船委員会法廷)はモンブラン号に非あり、1918年4月28日ノヴァスコシア財務法廷はモンブラン号が過ち、1919年5月19日カナダ高等裁判所は両方に責任あり、1920年5月22日イギリス枢密院は両方に責任あり、とそれぞれ裁定している。
 1945年の第二次世界大戦末期の、アメリカによる日本への原子爆弾投下までは、地上で発生した爆発で最大規模のものであった。

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