野田市郷土博物館と野田市街 (3)
茂木佐平治邸庭園
郷土博物館の建屋の向かいに、茂木佐平治邸庭園への門がある。そして庭園は、茂木佐平治家の屋敷の庭である。
茂木佐平治家はこの地域の人々から「茂木佐さん」と呼び親しまれて来たというが、「茂木佐家」とも呼ばれ、茂木本家にあたる茂木七右衛門家の初代の二男が分家独立した家で、当初は穀物商であったが、第3代茂木佐平治は天明2年(1782)から醤油醸造をはじめた。茂木佐家の登録商標(「本印」と呼ばれた)が「亀甲萬(きっこうまん)」であり、これが現在の「キッコーマン」ブランドにつながる。 この家は以降も常に野田で最有力の造醤油家の一角を占め続け、4代目の天保9年(1838)には幕府御用醤油造の下命があった。また4代目、5代目は地代官をも務めた典型的な豪商農であった。
大正6年(1917)野田と流山の醸造家8家が合同して「野田醤油株式会社」を創設したが、そのときこの「キッコーマン」印がこの新会社の本印となった。
この邸宅は、大正13年(1924)建てられた。のちに野田醤油株式会社(現在のキッコーマン)に所有が移され、昭和31年(1956)10月に同社の創立40周年記念事業として、郷土博物館建設資金とともに宅地と建物が野田市に寄贈された。
折しもこの建物を建設している最中に関東大震災(大正12年9月)があり、建物の基礎や土台は一段と強固に設計しなおされたという。
現存の建物は平成9年(1997)国の登録有形文化財に、庭園は平成20年(2008)県内初の国登録記念物に認定された。
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