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鎌倉散策 (5)

建長寺
 鶴岡八幡宮に参拝して、本殿から階段を降りずに西側に出て巨福呂坂を経て建長寺に向かう。鎌倉に住んでいたころは私もまだ若く、週末には自宅から由比ガ浜・七里ヶ浜を経てこのさほど急ではないが長くて苦しい巨福呂坂を登り、植木の自宅まで15キロ余りのコースをジョギングしていた。すでに時間が経過して私の記憶も鮮明とは言えないが、道路の景観も少しずつ変化していて、それでもとても懐かしい。Photo_20200519062401
 建長寺の総門に着く。これは近世後期の天明3年(1783)、京都に建立された般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)の門を、昭和15年(1940)に移築したものである。建長寺第十世住持一山一寧の筆になる「巨福山」の額がかかっている。
 この建長寺は、建長5年(1253)鎌倉幕府第五代執権北条時頼が建立したわが国最初の禅宗専門寺院である。正式には「巨福山建長興国禅寺」といい、鎌倉五山のひとつ、臨済宗建長寺派大本山である。
Photo_20200519062402  開山は中国からの渡来僧蘭渓道隆で、彼は中国の高僧無明慧性(むみょうえしょう)を師とし、寛元4年(1246)に33歳で来日した。肖像画を見てもとても聡明そうでなかなかの美貌である。彼は九州と京都に過ごしたのち、北条時頼に請われて鎌倉に来たという。禅風は中国宋時代の純粋かつ厳しいもので、多くの僧を集めて中国文化を広く普及させたと言い、その教えは「法語規則」に残されている。北条時頼自身も深く禅の教えに帰依し、覚了房道崇(かくりょうぼうどうすう)の名をもっていた。Photo_20200519062501
 創建当時の建長寺は、中国宋時代の禅宗寺院の伽藍配置を踏襲し、総門・三門・仏殿・法堂・方丈を直線状に細長く並べ、その両脇に大禅堂・大食堂などを配置するものであった。14~15世紀には、幾度かの大火に見舞われ、建物の多くが焼失した。近世にはいって、沢庵和尚や金地院崇伝などの進言で、徳川幕府が支援して再建・復興が進められた。現代になって、平成15年の創建150周年記念事業によって、ほぼ現在の形に整備された。
Photo_20200519062601  20年余り以前に私は何度となくここを訪れ、さらに代表的なハイキングコースであった「天園ハイキングコース」の終着点であったため、ハイキングのときもこの境内を通過したのだが、当時から少し様子が変わっているらしいことになる。最後に訪れてからずいぶん時間が経過したこともあり、正直なところこまかいところは記憶があいまいなままである。たしかに、こんなに金色が輝く勅旨門は、観た覚えがないと思う。

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