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鎌倉散策 (6)

建長寺 河村瑞賢顕彰碑と墓地
 建長寺の寺域はとても広くて、境内にはたくさんの塔頭もあり、ハイキングコースに連なる裏山付近もどこまでが寺域なのかさだかでないが、その一隅に河村瑞賢の墓があった。
 河村瑞賢は、元和4年(1618)伊勢国度会郡東宮村(現在の三重県度会郡南伊勢町)の農家に生まれた。10歳代前半にして江戸に出て、江戸幕府の土木工事の人夫頭などを勤めつつ懸命に働き、徐々に資産を増やしたという。やがて材木屋を営み、明暦3年(1657)明暦の大火の際に木曽福島の材木を買い占め、土木・建築を請け負って莫大な利益を得た。そして寛文年間に老中稲葉正則と出会い、以後政商として幕府の公共事業に関わってきた。
 河村瑞賢の功績は、大きくは海運ルートの開拓と河川治水事業である。Photo_20200521082401
 まず海運ルートについては、それまで奥州から年貢米を江戸へ輸送する廻米は、本州沿いの海運を利用して危険な犬吠埼沖通過を避け、利根川河口の銚子で川船に積み換えて江戸へ運ぶ内川江戸廻りの航路が使われていた。瑞賢は寛文11年(1671)、阿武隈川河口の荒浜から本州沿いに南下、房総半島を迂回して伊豆半島下田へ入り、西南風を待って江戸に廻米する外海江戸廻りの「東廻り航路」を開いた。さらに奥羽山脈を隔てた最上川の水運を利用し、河口の酒田で海船に積み換えて日本海沿岸から瀬戸内海を廻り、紀伊半島を迂回して伊豆半島下田に至り、やはり西南風を待って江戸に廻米する「西廻り航路」を開いた。加えて途中の寄港地を定め、入港税免除や水先案内船の設置を行い、わが国近世の海運の発展に大きな貢献をした。
 河川治水事業については、延宝2年(1674)に発生した淀川の大洪水がきっかけとなり、貞享元年(1684)から同4年(1687)までの貞享期淀川治水事業、続いて元禄11年(1698)から12年(1699)までの元禄期期淀川治水事業を指導し、淀川の河川整備・治水に大きく貢献した。彼は、上流山間部で発生した土砂が川を下って下流の川底を埋めて洪水が発生する、したがって上流の治山と下流の治水を一体的に整備すべき、と考えてその基本方針のもとで治水事業を実施して成功したのであった。
 ほかにも全国各地で治水・灌漑・鉱山採掘・築港・開墾などの事業を始動・実施して、その功により晩年には旗本に加えられた。その活躍は新井白石の『奥羽海運記』や『畿内治河記』に詳しく、「天下に並ぶ者がない富商」と賞賛された。

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