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兵庫県立美術館「超・名品展」(2)

明治時代の絵画作品(続)
Photo_20200609060501  小坂象堂の「草摘み」(1897)と「野辺」(1898)というきれいな作品がある。小坂象堂は、但馬国出石で武士の子として生まれ、明治維新の後出石焼という地元の陶器の絵付け職人となった。しかし絵付けに飽き足らず、なんとか絵描きになりたいと、余暇にいくつもの絵を制作し、岡倉天心にも見てもらったらしいが、あまりに素直・素朴すぎて、理想を掲げて美術の大成・発展をめざす天心にはもの足りず、良い評価を得られなかったという。でもいま客観的に観ると、西洋絵画を精一杯追いかけて技能本意で描いている画家たちとは異なり、ずっと日本国内で生活してむしろ自分の絵の世界を期せずして身に着けている美しい絵とも思える。
 菱田春草「暮色」(1901)は、西洋画・油彩ではなく、伝統的な日本画で絹本着彩の軸である。こうして初期の日本の西洋画のなかに置かれると、当たり前だが基礎技術が確立した安心感と安定感の溢れる見事な絵である。彼は、岡倉天心から「絵は申し分ないが、なぜそんなに輪郭を残さず朦朧と描きたがるのか」と批判され、それならばと意識的に輪郭を明瞭に描いた絵がこれだという。色彩のコントラストは強くないが、線の輪郭ははっきり描かれ、画面全体も光を意識した明るい作品となっている。
Photo_20200609060502  和田三造「南風」(1907)がある。これは今回の展覧会のポスターとなった作品で、国の重要文化財でもある。文部省がはじめた最初の文展で最高賞を獲得した作品で、当時和田三造は、弱冠24歳であった。
1904-5年の日露戦争で勝利した後でもあり、世の中全体が明るく前進と発展の機運に満ちていたこともあり、このような勇壮な作品が好まれたのだろう。4人の男性が描かれるが、筋骨逞しい大柄の男が中央に仁王立ちし、その左手になにやら考えているかのような表情の少し年長の男がタバコを燻らせ、右手には遠くを見据えて膝を抱えるように座る青年、手前には日焼けした鯔背な雰囲気の背中を見せる男が配置される、まるで「男の四態」とも思える構図である。彼は、東京美術学校で青木繁、熊谷守一、児島虎次郎、山下新太郎等と同期であり、この文展の後、文部省交換留学生として渡欧し西洋絵画を学び、さらに工芸図案も習得し、留学の帰途にはインド・ビルマをまわって東洋美術も研究した。後には、文展などの審査員、絵画・装飾工芸・色彩などのさまざまな美術の研究所を設立し、東京美術学校の教授として後進を育成し、また自らも本格的に日本画を制作するなど、非常に広範囲に活躍した。

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