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兵庫県立美術館「超・名品展」(5)

第二次世界大戦までの昭和時代(上)
 村上華岳「岩の山」(1939)という少し変わった作品が気になった。岩の山というわりには、なにかモコモコしたカタマリがいくつか描かれるのみで、ある意味抽象画のようでもある。彼は、「山は遠くから眺めるだけでなく、自分が入り込めないといけない」と言って、自ら山登りや山道の散策を好んだと、絵の説明文にあるのをみて、この絵は親しみを感じた岩山と自分を心理的に一体化したものを描いたものかも知れない、と勝手に想像してみた。そう思って絵をしげしげと見つめると、やはり一瞥したときとは異なるなにか迫るものを感じる。甲州武田氏の末裔の家に生まれ、早くから両親と別れて複雑な家庭に育ち、美術の才能を武器として日本画を研鑽しながら喘息の持病に苦しみ、51歳で没した画家の人生は、今でこそ早世のようだが、当時の本人としてはそれなりに生き切ったのかもしれぬ。Photo_20200617061201
 富岡鉄斎「夏景山水図」(1912)がある。この人の絵は、これまでにも何点かは見ているが、実に自由奔放でかつ知的である。大正・昭和期のわが国の洋画家たちから高い評価と人気を博したのも自然に頷ける。天保期の京都に法衣師の子として生まれ、猛烈な勉学好きで、富岡家の家学である石門心学をはじめ、国学、勤王思想、漢学、陽明学、詩文などを広く学んだ。さらに出家した大田垣蓮月尼が少年であった鉄斎を侍童として受け入れ育て、人格形成に大きな影響を与えたという。わが国最後の文人と言われるだけあって、生涯にわたって詩文、教育、そして画業に膨大な作品を残した。本人は画家と呼ばれることを嫌い、あくまで学者であると主張したというが、それだけに描く絵は何を気にする必要もなく、自由そのもので魅力に満ちている。
 洋画家の巨匠、安井曽太郎の「座像」(1929)がある。美しい女性を描くというには少し画面の緊張感が過ぎていて、画家の猛烈なエネルギーと集中とが強調されているような重い作品である。説明にあるとおり、画面の隅々まで周到に設計して描き込まれ、一分のスキもない力作である。説明文によると、彼は同じモデルを複数回採用したことはめったになかったのに、この絵のモデルの女性だけは、なんどか描いたという。絵を観てなにかざわつく感じを受けるのは、そんな事情もあるのかも知れない。でもそれならもっと女性を美しく描くこともできたと思うが、そこは真剣に画業に取り組む安井曽太郎の矜持なのだろうか。

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