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コロナ・パンデミック騒動にかんするメディアの問題

 今回の数奇な経験となったコロナ・パンデミック騒動で、メディアについての問題を簡単に整理しておく。
 こういう自然災害に準ずるような大事件の報道では、いちばん大切なことは判明している事象をできるだけ事実に忠実に、できるだけ早く伝達する、ということである。問題の性質上、重要な範囲は非政治的である。しかも、新型コロナウイルスという既知の範囲がきわめて小さい問題の場合、その「未知」「不明」という事実も正しく伝えなければならない。実際、専門家の医学研究者の見解も非常に多様で、極端には真反対の意見もあった。
 そのなかでのメディアの実態だが、不正確な、あるいは誤った情報が、朝から晩までひっきりなしにテレビなどで放送されていた、という事実があった。典型的なひとつの例がPCR検査である。
 PCR検査は、新型コロナウイルスの感染を100%の正確さで判定することはできない。これはかなり早期に専門家から述べられていたことであり、またこの検査に限らず世の中のすべての検査は、そういうものである。新型コロナウイルスのPCR検査の場合、これまで臨床例が少なかったために、とくにその判定の正確さの度合いがよくわかっていない。現在のところ、感度が70%程度、特異度が99%程度と推定されている。感度70%というのは、100人の罹患者がいれば、そのうち70人は陽性として検出できるが30人は見落とす、見逃すということである。特異度99%というのは、罹患していないひとが100人いても検査したら1人は陽性=罹患者と判定してしまう、ということである。東京都の人口を仮に1000万人として、5000人の罹患者がいるとすると、この全員にPCR検査をしたとき、3500人の罹患を検出できる一方で、(1000万人─5000人)×0.01=99,950人を、実は罹患していないのに罹患している(陽性)と判定する。そして1500人の罹患者を見逃す。つまりPCR検査が「陽性」と判定したうち、わずか3.4%だけが検出したい罹患者で、残り96.6%の「陽性」と判定されてしまった人々は罹患していないのである。感度70%なら罹患した人でも30%は見落とされるから、PCR検査「陰性」だからといって安心できるわけではない。PCR検査で「罹患していない」と「保証」することは不可能なのである。法定伝染病なのでPCR検査が「陽性」なら、当初は入院措置だったし、最近でもホテルないし自宅で待機して厳しい行動制限が要請される。それが本来不要なのに10万人近くが発生するのである。たとえ一部のみ入院だとしても、すぐにベッドが払底して、ほとんど無意味に医療崩壊となる。罹患の可能性が高い人にのみ検査するときは、感度で検知する「陽性」の比率が、特異度で誤って「陽性」とする数に対して相対的に大きくなるから、無駄な(誤りの)「陽性」を抑えることができる。わが国が採用した、罹患している可能性が高い人を選んで検査するという方法は、「医療崩壊を防ぐ」という目的に照らして合理的な面をもつのである。ついでに指摘しておくと、6月後半から東京都の新規感染者が再び増加と喧しいが、このひとつの要因が、1日あたりのPCR検査数が4月ころの1日あたり約500件から約2000件に増えたことが当然ある。特異度が99%なら検査数の1%が「陽性」になるので、2000件なら20人が、実はなにも感染していないのに「感染者」としてカウントされるのである。感染を正しく検知することは、これくらい難しいという事実は国民が理解すべきだし、その周知にメディアが貢献しないのは異常だし怠慢だろう。
 数値的に考えればごく当たり前のことなのだが、すべてのメディアはこれをしない。かわりになにも考えずなにもわからずに「PCR検査をどんどん増やすべきだ」、「韓国のようにPCR検査が大量にできないかぎり、ほんとうの感染状況は把握できない」などと間違ったことを繰り返し喚き続けてばかりであった。「PCR検査をしてくれさえしたら、陰性だと安心できるのに」などという誤解にもとづく市井の声を、繰り返し放送していた。しかし上記のPCR検査の基本的な限界の問題については、当初より一部の報道では専門家が話したり書いたりしていたことであった。番組に出てくる「識者」「コメンテーター」なる者たちが、いかに勉強不足か、なにもわかっていないか、のほんの一例である。ついでに言っておくと、最近新型コロナウイルスのワクチンの開発についても話題になっているが、そもそもワクチンなるものは、完成して実用化がはじまったとしても、その効力も検査と同様に100%ではないのである。ワクチンがあれば100%安心ということにはならない。そういう厳然たる事実・現実も、メディアはきちんと伝える責任があるはずである。
 かようにまともな知識がない、より厳しく言えばまともに知識を得ようとしない特性を有する「識者」「コメンテーター」が「自分はすべてよく知っている、わかっている」という顔をしてエラそうに放言を繰り返す。さらにはいわゆる芸人、俳優、ミュージシャン、ラッパーなどなど、この分野に素人で報道にも素人のさまざまな人たちが入れ替わり立ち代わりいい加減なこと、思い付きをしゃべり散らかす。さらにくわえて、スポーツ新聞やネットなどでは、それら素人の発言を「○○が持論を展開」などと繰り返し取り上げる。言論の自由があり、誰がなにを発言しようと、それ自体は結構なことであるが、たいして意味のない発言を、繰り返し紹介することにどれだけ意味があるのか、それがメディアの使命に則るのか、その内容の事実関係がまちがったものであれば、大きな実害が発生するのである。テレビなどのぶっつけ本番的な番組では、どうみてもその場の思い付きにすぎない発言が多すぎた。
 そして冒頭にのべたように、新型コロナウイルス問題は基本的に非政治的なイシューである。正確にいえば、「政治党派的」なものではない。しかるにテレビなどの報道やバラエティー番組では、きわめて「政治党派的」な意図、端的には「反安倍的バイアス」が多々あった。「反安倍」「安倍憎し」などの政治的立場や発言そのものは、個人の思想信教の自由、言論の自由の原則から、一般論としてはあっても当然で問題ではないが、新型コロナウイルス問題に無理やりこじつけたような扱いが多すぎた。
 こういう特殊な非常事態に対処するには、まずは「政治党派」に関係なく政府のリーダーの指揮を尊重して国民が整合的に行動しなければならない、そうせざるを得ない、ということがある。大勢の当事者たちが、それぞれ勝手な方向に区々に行動したら、銘々が大変な努力を傾注したところで達成できることは限られてしまう。実際、今回も大部分の国民は結果として政府の指揮にしたがって協調して行動した。しかるに、政府がなにか発信するたびに、誰にとっても初体験でわからないことが多いのにかかわらず、どんな結果になるかもわからないうちから、メディアでは何に対しても否定的発言を繰り返す、ということが多々あった。論理的に反論するならまだしも、感覚的・感情的、さらにはさしたる根拠もなく「・・・のような気がします」などと繰り返すような無責任な発言が多すぎた。
 途中から私は、ニュースを含めてテレビをあまり見なくなったので、垣間見る範囲に過ぎないが、民放の大部分のニュースやバラエティー番組が事実の伝達よりも「識者」「コメンテーター」「芸人」たちの「感想」「意見」「(誤った)解説」に終始するのに比べて、相対的にはNHKのニュース番組が淡々と事実を伝達していたように思えた。やはり民放の場合は、「視聴率」という桎梏があるのだろう。
 このような、私から見たら実に情けないメディアの状況をみると、メディアに反省を求めるよりも、それを見たり聞いたりする我々自身の側でしっかりと情報の選別と評価をしていく必要を、今回のコロナ騒動で一層強く感じた。

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