京都洛西 松尾大社(下)
庭園
本殿向って右側に歩くと社務所があり、ここで拝観料を支払って庭園に入る。
松尾大社の庭園は、昭和50年(1975)に再建された新しいものである。昭和期の代表的作庭家重森三玲(しげもりみれい)の設計によるもので、重森の絶作ともなった。
入場して最初の庭園が「曲水の庭」である。もとあった奈良・平安の時代に造営された曲水式庭園を範とし、曲がりくねった川のような池を中心に、背後の築山の斜面に石組を連続させ、石組の間にサツキの大きな刈込を配置した立体的な構成となっている。流れの中にも石組を取り入れ石橋を架けるなどモダンな雰囲気もある。重森三玲が得意とした伝統とモダンの組み合わせである。
次に進むと「上古の庭」がある。上古の時代にはどこにも神社の社はなく、山の中の巨岩などが神霊の宿る聖地となった。そんな場所を「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」と呼んだ。いまから1300年以上昔、大宝元年(701)に本殿が建立される以前には、この地の後方の松尾山の頂上近くにある磐座で人々が集まり祭祀を執り行った。その古代祭祀の場であった磐座を模して山麓に造営されたのがこの「上古の庭」である。庭の奥中央にある巨石ふたつは当社御祭神の男女二神を象徴している。その周りを囲む大小多数の岩は、随従する諸神を象徴している。一面に植えられた笹は、高山の趣を象徴している。一見、なにもない藪と石だけのようだが、こうして解説を読んでしばらく眺めると、普通の庭園とはまたひとあじ違う抽象的表現の趣が理解できる。 いったん庭園エリアを出て、楼門からも出て、茶店の裏側にまわると、「蓬莱の庭」がある。この庭は回遊式庭園の様式で、私にも多少既視感のある美しい庭園である。全体が羽を広げた鶴の形をしている、という説明があるが、低い目線から眺めるためか、私にはよくわからなかった。蓬莱というのは不老不死の仙人郷の意味であり、それに憧れる蓬莱思想は鎌倉時代にもっとも流行し、作庭デザインにも多く取り入れられた。源頼朝は、松尾大社に対して神馬10匹、黄金100両を献じて深い尊崇を表し、以後代々の武門は変わることなく明治時代まで崇敬を継承したという。
池にはとても大きな鯉がたくさん泳いでいて、それを眺めていても飽きない。雲一つない青空のもと、湿気の少ない心地よい空気に包まれて、心身ともにすっきりくつろげるひとときであった。
そうこうしているうちに短い秋の陽が傾き、夕暮れが迫ってきた。気持ちの良い秋の一日であった。

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