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2020年12月

「今こそGUTAI」展(下)

Photo_20201231060901  16年前に作品群をまとめて眺めたときには、ふと頭の中にグループ・サウンズの音楽を思い出し、技量や才能はさておき、自分の感性と感覚を信じてともかく突き進もう、というイメージで見たことを記憶している。このたびは少しちがって、具体の抽象美術が、欧米の抽象美術とかなり違うものだと感じられることに気づいた。良い意味で余計な影響を受けず、日本的なオリジナリティが感じられる。その要因について、作品を眺めながら考えてみた。すくなくとも一つの要因は、具体の抽象美術では、細かな部分への執着・注力という特徴があるのではないか、と思う。
 田中敦子の電球と電気配線の集合のような絵にしても、山崎つる子の多様な色彩の絵にしても、嶋本昭三の丹念な絵にしても、いずれも抽象的な造形が細やかに精緻に描かれている。写真でなく実物を目の前にすると、気ままに描き込んだというより、かなりの意志と意図と情熱をもって懸命に描いたということが観る者に伝わってくる。「神は細部に宿る」というコトバを、ふと思いだした。芸術家の頭の中に、かなりの思考、躊躇と果断、悩みと解決などが錯綜して、それらのひとつの結果として画面ができた、という創作の過程の一端が感じられる。Photo_20201231061001
 私は、オートマティズムという作風は、芸術家の真摯な思考過程を反映しないと思って、あまり好まないが、白髪一雄のフット・ペインティングなるものをあらためてまとめて眺めると、画家が単純に偶発性のみで創作するのではなく、それなりの意志表現として創作しているような気もしてきて、今回はじめて白髪一雄の作品を部分的であれ共感でき理解できたような気がした。
Photo_20201231061002  吉原治良の「黒地に赤い丸」、あるいは元永定正の「N.Y.No1」などは、大胆に簡素化した構成で、その表現方法としては西欧の抽象絵画に似ていそうなものだが、不思議に西欧近代美術あるいは西欧現代美術の模倣という感じが無い。簡単な構成のなかに、高度に思考して設計された意思とそれを表現するための精緻さを明確に読み取ることができる。これもひとつの「細部」といってよいだろう。Photo_20201231061101
 具体の作品は、さまざまな美術展のなかの一部の展示作品としてときどき間歇的・断片的に眺めてきたように思うが、こうして改めてまとめてじっくり鑑賞すると、当初想定していたよりも安心して入り込める感じがした。

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「今こそGUTAI」展 (上)

 Photo_20201229060201 兵庫県立美術館で「今こそGUTAI─県美の具体コレクション」と題した特別展が開催された。今年は兵庫県立美術館開館50周年記念の年だが、あいにくコロナ騒動のためにさまざまな予定が延期や変更となった。この時期は、当初の年間計画ではフランスのスーラージュ美術館と提携して「スーラージュと森田龍子」展を開催するところを、具体コレクション展に変更したのであった。
 コロナ騒動の影響は入場制限をもたらし、完全予約制となったお陰で、混雑に悩まされることもなくなったが、入場希望日と入場時刻を事前に決めて申し込む必要があるので、鑑賞に出かける身としては、いささか窮屈ではある。Photo_20201229060301
 私はこの同じ美術館で、16年前にやはり具体グループの作品展を鑑賞した。兵庫県芦屋市に在住した吉原治良が昭和29年(1954)に立ち上げた芸術運動で、「現代の美術が厳しい現代を生き抜いて行く人びとの最も解放された自由の場であり、自由の場における創造こそ人類の進展に寄与し得ることであると深く信じる」とのメッセージを「具体」の活動理念として提唱したこと、16人ではじまった活動が、1960年ころから若手も多数参加して拡大し、1970年の大阪万博でピークを迎え、その2年後の1972年リーダー吉原治良の急逝で解散したこと、などはすでに知っていた。
Photo_20201229060001  具体の活動期間は私自身の小学校入学直前から大学卒業ころ、すなわち私の少年期・青年期にぴったり一致していて、当時のわが国の時代的雰囲気を共有しているので、この展示会の受け取り方も、今の若い人たちとは当然かなりちがうのだろう。当時は世の中全体がとても貧しくて自分の手にはほとんど何もなく、しかし高度成長時代で経済も生活も日々良くなっていく方向性は身をもって感じることができ、夢や希望は無限に広がっていた。そんな時代の活力・エネルギーのようなものを、あらためて感じるのである。

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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(1)

まとめ
 ふとしたことからこの書を知り、英語kindle版で読んだ。
 広場すなわちスクエアーでネットワークを象徴させ、塔すなわちタワーでヒエラルキーを象徴させて、ネットワークとヒエラルキーを論ずるこの書の題名としている。著者は歴史学者だが、この書は歴史書というより、歴史をどう読み解くべきかを論ずる歴史エッセイである。
 世の中の政治・社会の基本構造をネットワークとヒエラルキーとに分類すること、さらに理論的にヒエラルキーはネットワークのひとつの特殊解と位置づけられる、というのがこの論考の基礎である。
 歴史において、ネットワークとヒエラルキーはともにおなじくらい古い歴史をもつ。人間が社会的生活を介して外敵から護られることが専ら大切であった古代農業社会では、ヒエラルキーの有効性が優って、先ずは古代帝国が誕生した。
 ネットワークが機能するためには構成員が情報を交換できる必要がある。なんの媒体もなかった太古では、直接対話することから始まった。この媒体の進化として著者は15世紀のグーテンベルクの印刷機の発明と、21世紀本格化したインターネットとをとくに顕著な革命として取り上げる。
 ヒエラルキーは、定まった目標に向けて構成員全体を結集し、短時間に素早く行動するには適したシステムである。だから古代帝国にはじまり、ローマ帝国、中国の何代にもわたる帝国、キリスト教を軸とした帝国、さらには近代の多くの王室の統治による帝国など、多数の帝国が登場した。
 ネットワークは、ヒエラルキーと異なり、構成員の結合は強いものも弱いものもあり、拡がりの境界もアイマイなことが多い。短時間にひとつの方向にまとまるには適さない。しかし融通無碍なことから自己変革も容易で、他のネットワークやヒエラルキーに関与・影響することにも適している。ネットワークは、ヒエラルキーに接触してヒエラルキーを変容させたり、崩壊させたりする強さも持ちうるのである。Square-and-tower
 これまでの歴史学は、ほとんどヒエラルキーにかんする部分のみを取りあげ論じてきた。それは論考の根拠となる史料が、ほとんど国家・団体などの堅固なヒエラルキーによって与えられたものが圧倒的多数であり、ネットワークから得られる史料が、私信、書簡などごく限られた、かつ断片的なものしかなかったからである。
 しかし印刷だけでなく、インターネットが普及する時代になって、ネットワークの時間的高速化と地域的拡がりは莫大なものとなり、ネットワークの貢献はますます大きくなった。かつ史料としての提供も飛躍的に増加した。これからの歴史学はネットワークの存在と働きを取りあげないわけにはいかなくなるであろう。
 本書の主な主張はだいたい以上のようなものである。
 この書そのものについての私の感想を以下に記す。
 この書に限らないが、最近話題となる歴史に関わる本を読むと、いずれもほんの少し前に思える西暦2000年のあと、21世紀の20年の重みを改めて感じる。たった20年の間に、とくに科学技術の急速な進展でさまざまなことがすでに変容していることを教えられる。
 この著者がヨーロッパ出身の人だからなのか、第一次世界大戦については詳しく述べながら、第二次世界大戦についてはほとんど触れていないのは、日本人読者としてはいささか奇異に感じる。触れることが少ないという点では、マスメディア、つまり新聞・雑誌・テレビ・ラジオについても触れられていない。著者にしてみたら、15世紀のグーテンベルクの印刷機ほどのインパクトはない、と言うことかも知れないが。
 次に、この著書の文章についてである。この書に限らないが、友人からの感想および書評などで、翻訳を読んだ場合に「悪訳」が目立つという声をよく聴く。私が原書を読んで思うのは、それは翻訳の問題だけでなく、原文にも責任があるだろうという点である。この本についても、全般にひとつの文章が長く、それは多くの場合出てくる単語とくに名詞・固有名詞に関係代名詞や過去分詞構文で頻繁に修飾がつくことに起因する。それを読む側からすると、主語・動詞・目的語の関係が直ちに理解しにくい、構文が直ちに把握しにくい、という問題がある。さらに、もしそれを翻訳するとなると、単に日本語をおなじ順序で並べたのではわかりにくくなり、意味が滑らかに通じるように文章全体を組みなおすことが求められる。したがって翻訳を引き受ける限りはそのような工夫や手間も実行すべきという意味では「悪訳」は翻訳者の側に責任があるのだろうが、原文がすっきり見通しの良いものであれば、もとから発生しない問題ともいえるのである。たとえば、これに先立って読んだYuval Noah Harari, "Sapiens, A Brief History of Humankind"の場合などは、文章が短く、構文も簡明で、とてもわかり易かった。そのような場合は翻訳も相対的にずいぶん容易だろうと推測する。
 最後に、この本のレジュメを書いたのだが、今回はとくに省略した部分が多いという言い訳である。500ページ余りのなかに50件以上のエピソードを取りあげ、したがって1件あたりに割り当てられる紙幅は少なく、テーマによっては予備知識が十分でないためにわかりにくいことも、あるいは著書が書き尽くせなかったがために伝わりにくいこともあったのかも知れない。つまり文章も構成も、私にはわかり易い本ではなかった面があり、自分が理解できる範囲を自分のための備忘録として記したのである。

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間人かに旅行(下)

城崎温泉散策
 翌朝は、やはりカニをベースとした朝食からはじまった。前日夜にたらふくカニを食べて、空腹感もないのだが、丁寧に調理された彩り豊かな朝食は、これまたとても美味しかった。
Photo_20201225062601  この日は朝から好天に恵まれ、青空から透明感溢れる優しい冬の陽射しが降り注ぎ、とても快適な一日となった。京都丹後鉄道で網野から豊岡に向かう。車窓からは、昨日までの雪を被った田畑や家々を眺める。まさに「絵に描いたような」雪化粧の美しい景色なのだが、現実にそこに住んで生活する人々にとっては、雪はとても厄介なことだろう。雪が積もると、道路の移動・輸送の機能は著しく低下する。道の脇や家屋・店舗の廻りを雪かきする人たちをなんども見かけたが、大変な労力だろう。眺めるだけの我々旅行者は、美しい雪景色を愛でるのみですむのだが、それでも以前おなじこの地を訪れたときに、鉄道が積雪で停止して、何本もの列車が運休となり、駅で長時間再開通を待ったこともあった。
 豊岡から20分ほどJR線に乗ると、城崎温泉駅に着く。ここも何度も訪れているが、こんなに天気のよいのは、おそらく初めての経験である。Photo_20201225062701
 今回は、GoToトラベル・キャンペーンのお陰で、宿で大幅割引をもらったうえに、GoToトラベル地域共通クーポン券というのをいただいた。結構な金額だが、宿泊日とその翌日の2日間のみが有効期間なのである。急にカネを使おうと思っても、すぐにアイデアは出ず、なんとかこの地元に還元すべく頭をひねりながらの散策となった。
 いつものように観光案内所に立ち寄り、散策マップをもらって歩きはじめた。駅前通りの商店街を過ぎて地蔵の湯で左折し、旅館や外湯の立ち並ぶ通りを過ぎると、温泉神社への参道となる。
 山門をくぐるとき、突然頭上から雪の塊が落下してきて、危うく直撃を受けそうになった。屋根の上に降り積もった雪が、晴れて陽射しを受けて溶け出し、こうして次々に落下してくる。私たちの日常では経験できないことである。
Photo_20201225062801  続いて極楽禅寺にも立ち寄った。その道の途中には、最近新設されたと思われるお洒落でモダンなカフェができていた。伝統ある温泉街だが、時代を積み重ねるとともにこうした洋風のお店もますます増えてくるのだろう。ちょうど若いカップルが入っていった。
極楽禅寺は庭園の美しい寺院だが、この日ばかりは庭の全面が真っ白一色の雪に覆われていた。お寺の山門の前の多数のお地蔵様が立ち並ぶ小さな山のようなところも、この日は全面的に雪に覆われて、仏像のお顔がよくわからない。Photo_20201225062802
 極楽寺からもと来た道を帰るとき、やはりかなり新しいお土産店のコンプレックスがあり、少し見て回った。ここのお店の様式も、伝統的な純和風ではなく、大きなガラスや現代的照明を多用した明るいお洒落な雰囲気の施設となっている。
昼食をとろうと、シックな雰囲気のすし屋に立ち寄った。正面のファサードは地味だったが、なかは最近改装したのか新しく明るいきれいな店内であった。昭和17年創業で、まだ若そうなご主人は三代目だという。かつてはこの城崎温泉街にも多数のすし店があったそうだが、現在は3軒ほどになってしまったと話されていた。握りずしランチをいただいたが、海鮮なネタもシャリも美味で、添えられていたうどんも身体が温まりそうでおいしくいただいた。
 腹ごしらえもしっかりできたところで、念願の外湯に入った。なんどか同じ湯屋に来ているが、いつも温泉には大満足だ。漬かっているときは暑く感じずに自然に時間が経ち、出てくると身体の芯まで温まっていることを感じる。
Photo_20201225062901  着替えをしているとき、偶然この湯屋の従業員らしい人と地元のなじみの客らしい人との雑談が耳に入った。ひとりは、今回の政府の年末年始期間のGoToトラベル・キャンペーン中止宣言に対して強く憤慨していた。GoToトラベル・キャンペーンのお陰で、ようやっと来客が部分的にも復活して、いよいよこれからというときに、突然中止なんてとても受け入れられない、と。もうひとりが、多分日本中で同じ気持ちの人たちが多いだろうから、政府も宣言を至急取り消すのではないか、と。予約取り消しの電話対応には、ずいぶん困惑したとも。GoToトラベル・キャンペーン停止の混乱は、やはり関係者には大きな問題らしい。Photo_20201225063001
 外湯を出て、毎回訪れている地酒販売店に立ち寄り、いつものようにご主人が推奨する地酒を購入した。今回の酒は、イギリス人が日本に渡来して杜氏となり開発した純米酒である。フィリップ・ハーパー氏はバーミンガムに生まれオックスフォード大学英文学専攻を卒業した人で、日本に興味を持ち、英語の教師として過ごすうちに日本酒に出会い、やがて日本の酒造会社で働きながら醸造の実践を学んだという。日本人女性と結婚し、杜氏の資格を得て、いまではみずから開発した日本酒を製造している。今回買ったのは「純米酒ひやおろし『玉川』」という「生詰め酒」で、新酒を65℃で低温殺菌したものを、通常は出荷前にもう一度加熱して瓶詰するところを、最初の低温処理のみで出すものだという。店のご主人がとても薦めてくれるので、一升瓶を購入して提げて帰宅したが、果たしてほんとうに美味な酒であった。
 酒、入湯料、昼食の寿司ランチ、そして若干のお土産と、GoToトラベル・キャンペーンの地域共通クーポンは、無事順調に現地で消化できた。冬至に近い早い日没のころには、帰路の列車に乗りこんでいた。

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間人かに旅行(上)

間人の宿とかに料理
 12月中旬に、北丹後へカニ旅行に出かけた。GoToトラベル・キャンペーンがあるので、今シーズンは年内に行ってみることにしたのだ。今年は2月に同じ宿にカニを食しにいったので、10か月ぶりということになる。今回は家人と、久しぶりに長女も一緒である。
 京都経由で福知山に向かったのだが、大雪のため綾部近くの線路に樹木が倒れ込んだとのことで、しばし運休となり、予定を変えて園部駅で途中下車して、少し早めの昼食をとることにした。天気予報では、この冬一番の大雪がこの日の朝から、翌日の午前中にわたって来襲しそうだとのことであった。Photo_20201223060701
 園部駅の周辺はいたって閑散としていて、飲食店も少ないうえに、まだ午前11時になっていなかったので、食堂の選択肢はなかった。折よく偶然開店していた一軒の食堂に入って、ランチ定食をいただいた。早朝のNHK-BSで「こころ旅」という全国散策の番組があり、地方の訪問先の通過点で道端の食堂に立ち寄っている情景が放送されているが、今回は私たち自身がその当事者になったような気分であった。さいわい店のご主人も、従業員の方たちも、とても気さくで親切な方ばかりで、1時間も過ごさなかったが日常とはちがう風景、気候、空気感のなか、気持ちの良いひとときを過ごすことができた。
 ふたたび山陰線の列車に乗って、福知山に到着したときは、すでに午後になっていた。
 福知山には今年2月に訪れて、福知山城や明智光秀が造営したと伝える由良川岸の「蛇ケ端御藪(じゃがはなおやぶ)」などを訪れたが、今回は地面に雪が積もっていて散策には不都合なので、屋内施設である駅前の私立図書館に立ち寄った。新しい最新設備の立派な図書館で、明るく快適な環境のなか、ひとときを寛いだ。
Photo_20201223060702  福知山から、京都丹後鉄道で網野に向かった。車窓からみる景色は、列車の進行につれてますます雪が深くなっていく。少し内陸の福知山と日本海に面した宮津や天橋立では、かなり積雪の量がちがう。
 網野駅から送迎バスで宿に向かう。バスの運転をしていただいたご主人の話では、今年はここ2~3年ではもっとも積雪が早く、雪も深いとのことであった。折しもコロナウイルス肺炎の蔓延で、当初計画されていたGoToトラベル・キャンペーンが年末年始休暇期間に取りやめとなり、その期間の予約取消でかなり混乱したとの由である。私個人の見通しとしては、コロナウイルス感染拡大とGoToトラベル・キャンペーンとはほとんど関係がないと思うが、メディアに煽られた世論なるものが強く中止を叫ぶようになり、政府もやむを得ず中止したのだろう。


Photo_20201223060801

 早速温泉に漬かって、待望のかに料理を満喫した。かにの刺身から始まって、焼きガニ、かに味噌、かに鍋が続き、かに雑炊で締める。さらにかに茶碗蒸し、アワビ飯、カニ汁が付く。途中から満腹感を感じながらも、不思議にコース最後まで食欲が追いかける。かに料理は、食べ飽きにくい、食べ過ぎても胃にもたれないのが特徴のようだ。新鮮なカニは、自然の心地よい甘味があって、ほんとうに美味である。

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(45)

第9章 Fake News
9.4.アメリカ大統領選挙に対するロシアのCyberattack
 2016年9月、ロシアがアメリカ大統領選挙に対してCyberattackをかけてきた。民主党全国委員会Democratic National Committeeとクリントン選挙運動委員長Clinton Campaign Chair John Podestaがターゲットとなった。クリントン候補の電子メールが大量に盗まれ、さらに州レベルの投票システムに侵入した。これは国家的インフラへのCyberattackであったが、アメリカでは未だCritical Infrastructureとテクニカルに指定していなかった。
 これはロシアの重大な挑戦であった。しかし振り返ってみれば、プーチンは大統領に復帰以来、攻撃的・積極姿勢に一貫していて、NATO, EUに対する反発・牽制からか、イギリスのEU離脱の国民投票にも関与が疑われていた。プーチンは、西側の民主主義を弱体化する目的で、Cyberattackを仕掛けたということは、十分考えられた。民主主義のオープンさopennessがつけいられる弱点だった。プーチンのこの行為はアメリカにとって、かつてないレベルの外交的いやがらせharassmentであった。
 2014年のソチ冬季オリンピックのころから、ウクライナの東部地域がロシアに侵攻されてクリミア半島がロシアに併合され、マレーシア航空の旅客機が襲撃を受けて墜落し283人の犠牲者が出ていた。いずれの場合も、いかに明確な証拠が突き付けられてもロシアは関与を否定した。
 サイバー空間におけるロシアの態度は、Zeus事件とYahooハッキング事件のあとますます悪くなり、ウクライナでは実戦の裏側で広範囲にCyberattackが行われていた。
 2016年のアメリカ大統領選挙にかんするロシアの介入にたいして、どのように対応すべきかが難しい問題であった。事件の内容の詳細を知り得たのは、当時の政権与党であった民主党側であり、その体制下の官僚が問題を取りあげることは複数政党制のもとでやりにくいということ、そして問題を公表することでアメリカが分裂すると、それはロシアの目的からみてロシアを喜ばせる結果となること、が懸念された。
 結局、今後はこのような時にどのように公表して対応すべきか、前もって与野党含めて協議して決めておく必要がある。基本は、①証拠を集め、②公表し、③事態に適合した対抗手段を決定して実行する、ということである。
 大統領選挙が終わったあと、12月29日オバマ大統領は、ロシア外交官の国外退去を命じ、ロシア関連施設の閉鎖を宣言した。SONY事件のあと北朝鮮に対して実施したと同様な処置をしたのであった。
 2017年の春には、ロシアはあらたにNotPetyaと呼ばれる身代金ソフトransom-wareを用いて、アメリカの会社を次々に襲撃した。運送会社FedExは$300M、製薬会社Merkは$310M、広告会社WPPは$15Mの損害を被った。ロシアのプーチンは、オンラインの大悪党といえる。
 2017年、FBIはスペイン国家警察と連携して、ロシアの名うてのスパム・ハッカーであるPeter Levashovを逮捕した。彼は長らく逮捕できないロシア内にいたが、このときは休暇でスペインに来ていたのだった。現在、ロシアのハッカーで指名手配されている者を連ねて記載した本がある。しかしロシアにいる限り逮捕できないのが今の現実である。[完]

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(44)

第9章 Fake News
9.3.オバマ大統領爆撃未遂事件というフェイクニュース
 2013年4月23日、午後1時過ぎに「ホワイトハウスで爆発があり、オバマ大統領が負傷した」という臨時ニュースがアメリカを突然かけめぐった。これはSEAがAP (Associated Press)をハッキングして流したFake Newsであった。
 しかしこの波及効果は甚大で、株式市場は大混乱してわずかの間に$136Bの市場価値が喪失した。数分後にはAPから訂正を発して説明したので、株価は短時間で修復した。しかし、サイバー攻撃の影響の大きさが、広範囲に知らしめられる事件となった。
 同年の夏には、SEAはさらに活動を広げ、オーストリアのメディアがハックされた。続いてアメリカ海軍US Marinesのサイトが侵入され「命令を拒否せよ!」というメッセージが流れた。
 これらは、後にアメリカでFake Newsと名付けられることになる一連の新しい事象のはじまりであった。
 捜索により、Ahmad Umar Aghaという22歳の容疑者が割り出された。さらにSEAのハッカーのリーダー的存在であったFiras Dardar(27歳)と、ドイツにいるシリア人Peter Roman(36歳)も容疑者として割り出された。
 さらにこれらの容疑者たちは、インターネットを介してアメリカ以外を含む14社から50万ドルを盗んでいることもわかった。

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(43)

第9章 Fake News
9.2.シリア電子軍との闘い
 ISILへの対抗策が難しいひとつの要因が、オンラインでさまざまな様相で闘っていたシリアの存在であった。シリアのアサド政権を支援する体制派に、シリア電子軍Syrian Electronics Army (SEA)というハッカー集団があった。SEAは、すでに数年にわたって活動し、シリアの民主化運動に対してインターネットを介して攻撃していた。当初はFacebookを主な道具として、そのなかでどのようにしたらFacebookの他のページをシリア・アサド政権支持のコメントで埋め尽くすことができるかを拡散した。2011年には、ホワイトハウスに、続いてABC News, アメリカ財務省US Department of Treasuryにも侵入した。侵入先のネットワークサービスを停止させることもあった。アサド大統領は「Syrian Electronics Armyはヴァーチャルリアリティの中の、本物の軍隊だ」と賞賛していた。ただ、アサド大統領とSEAの関係は正式には発表されておらず、SEAは政府には属していないと表明していた。
 アサド政権を支援するSEAに対して、アサド政権に反対する無名のハッカー集団があって、アサド政権側のウエブサイトの破壊を図った。彼らはSEAと小競り合いを繰り返した。やがてSEAは、Facebookを離れて草の根運動を装うインターネットでの暴力的運動に転じた。2011年9月にはハーバード大学のネットワークに侵入し、ホームページを破壊してアサド大統領の写真を表示し「SEAはここにいる」とハッキング宣言した。続いてWashington Post, Reutersにも攻撃をかけた。アレッポから敗走した反政府軍のリーダーにインタビューしている、というFake Newsの表示もした。ニュース・ウエブサイトは、SEAが好んで攻撃する対象であった。シリアをめぐるさまざまな勢力の抗争は、オンラインでのプロバガンダ戦争に反映された。
 これらのネットワークがSEAにハッキングされた原因の重要なひとつが、二要素認証two-factor authenticationの不採用であった。つい煩雑さを厭って避けてしまいがちだが、二要素認証はかなり有効な対抗手段であることが判明している。
 SEAのハッキングには、国連の人権委員会を偽装するものもあり、SEAの活動は執拗persistence、強靭resilience、高度化sophisticationが特徴である。

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(42)

第9章 Fake News
9.1.ISILのリクルート活動
 2015年春は、OPMのデータ盗難の問題のほかに、さらにISILがHome grown Terrorismのためのジハード戦士を、ソーシャルメディアでリクルートする活動がもっとも活発化していた時期でもあった。いつテロが襲ってきても不思議はないような雰囲気であった。
 当初シリコンバレーは、ソーシャルメディアに出てくるテロリストが問題化されることに抵抗があった。とくにツイッターは、ISILのことで責任を引き受ける気はなかった。しかし時がたつにしたがいISIL関係のアカウントが急増して、政府としてはソーシャルメディアを技術的に支えているシリコンバレーに協力を依頼せざるを得なくなった。2016年1月、ホワイトハウスの諜報官はシリコンバレーを訪問して、対応を依頼した。2月には国務長官John Kerryがロスアンゼルスに出かけてエンターテイメント業界と協議した。このような経過を経て、ツイッターはISILのリンクを大幅に削減した。
 ISILの活動は明らかにソーシャルメディアを利用した宣伝活動であった。我々はソーシャルメディアとも、映像サービスとも、それぞれの業界と緊密に連携して対抗策を講じる必要があった。

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(41)

第8章 Black Vine
8.3.中国との折衝と成果
 2015年オバマ大統領と習近平主席の最初の首脳会談に備えて、中国は大人数の代表団をアメリカに送り込んできた。彼らは、ホワイトハウスのサイバーセキュリティー・コーディネーターMichael Danielと会談したが、形式的ものに終始して進展はなかった。しかし、彼らの帰国前日の夜、彼らから突然追加的な会合を提案してきた。翌朝6時30分から帰国に発つというきわめて切羽詰まった真夜中の打合せであったが、かなり実質的な内容のある議論ができた。彼らは、これをもとに首脳会談で署名すべき合意書の草庵をつくった。
 その9月、中国で初めてハッカーが中国国内で逮捕された。
 2015年9月25日、オバマ大統領と習近平主席の会談が行われた。オバマ大統領は、サイパー問題にかんする懸念を提示し、中国とともに真剣に解決に取り組む必要を訴えた。習近平は、中国政府の関与は引き続き否定したが、アメリカとともに解決に努力することには合意した。著者などFBIをはじめアメリカのサイバー問題担当者は、首脳合意に懐疑的であった。しかしその後、中国は実際に国家が関与して中国の経済的利益を目的とするアメリカ民間会社へのCyberattackをすることは控えるようになった。これは合意内容を狭く解釈するならば合意を遵守していることになる。完全・十分ではないが、かなりの進歩というべきものであった。

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(40)

第8章 Black Vine
8.2. U.S. Office of Personnel ManagementへのCyberattack
 アメリカ人事管理局U.S. Office of Personnel Management (OPM)が中国からCyberattackを受けた。2015年4月、OPMのIT請負会社が調べたところ、OPMのシステムの暗号データのトラフィックの異常が検出された。そしてさらに精査すると長期間にわたる情報盗み出しが行われていたことが判明した。OPMのネットワーク・システムがかなり旧式でセキュリティー対策も不十分であったことも判明した。これもBlack Vineの仕業であり、盗まれた情報もAnthem社と同様に、人事関連情報であった。
 5,000人の公務員の人事関連データが、個人の名前、生年月日から、職務内容、健康状態、人事評価結果、給与、さらに軍務従事記録、家族の構成とその個人情報、などプライバシーの観点からはきわめてデリケートな範囲を含むものである。Black Vineの目的は未詳だが、人事データから個人の弱みをみつけて、その個人の適性とともに彼らの目的に適したスパイをリクルートすることも十分想定できる。とても不気味なアプローチとして、十分用心と防御を考える必要がある。
 これは国家公務員のデータであり、単なる個人情報ではなく、国家安全保障にかかわる問題である。単なるITの問題ではなく、国家安全保障の問題として対応する必要がある。
 民間でも同様な個人情報を盗まれる案件がある。アメリカ国家安全保障会議National Security Councilは企業にCyberthreat対応の指導のため企業幹部を集めることがあるが、多くの企業は最高ランクでもCIOを派遣してくる。企業へのCyberattackでも、単なるITの問題ではなく、会社の機能保全にかかわる問題であることの認識の徹底が大切である。

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(39)

第8章 Black Vine
8.1.中国のCyberthreatとアメリカの保険会社へのハッキング
 2015年4月1日、オバマ大統領はアメリカ国家としてのCyberthreatへの対応について、国家としてCyberattackをしてくる場合、アメリカは対抗措置をとることに署名した。ひとつ前進であった。国がかりでサイバー攻撃を受けたときは、中国、イラン、ロシアなどを国家として罰することにしたのである。
 2014年12月、SONY事件への対応で忙しい最中に、中国のインターネット担当官で監察官でもあるLu Waiがアメリカにきた。彼は、司法省に来る前にFacebookのMark Zuckerbergや、AmazonのJeff Bezosに会って、にこやかに談笑する様子がメディアに報じられた。しかしワシントンでは国防会議National Security Councilのメンバーたちと緊張感あふれる会議をした。Waiは、中国とアメリカは共通の利益の達成を目指して、インターネットにおいても共有するルールを守らなければならない、ということで合意した。しかし彼がまだアメリカからの帰途につく前にも、すでに重大なCyberattackが中国からかけられていた。
 2015年1月6日、メディケアと健康保険のアメリカ大手企業Anthem社のシステム管理責任者が、本人が知らない間に彼のアカウントを用いてデータベースに何度もアクセスされている、すなわち誰かがシステムに侵入していることに気づき、FBIに届け出た。Anthemのシステムには、7,800万人の顧客の個人情報、健康状態、診療履歴、などが蓄積されていた。そのうち医療関連以外のデータ、すなわち名前、電子メールアドレス、社会保障番号Social Security Number、誕生日、雇用状態、世帯所得などのすべてが盗まれた。
 情報の盗難を防ぐうえでAnthemに欠けていたのはデータの暗号化であった。暗号化さえされていれば、かなりの確度でデータの盗難が防げるのだが、Anthemに限らず暗号化を実行している企業は少ない。データの日常的な出し入れがかなり煩雑になるという理由からである。
 Anthemのデータベースは、国家的な重要インフラとは言えない。また盗まれたデータは、盗まれた側の個人にとってみれば重要な情報だが、これまで安全保障の観点から重要視されてきた対象ではなかった。しかし、このようなデータも国家的Cyberattackで盗まれるということは、今後再考しなければならない。最近では大型コンピューターでビッグデータの処理も進んでいて、一件なんでもないかのように見える大量のデータからさまざまな思いがけない情報や知見を取り出すこともできる。
 また個人の健康関連情報は、きわめて経済的価値の高いデータとされる場合があるとの指摘もある。あるhacking forumでは一人分の完全な健康関連データは50~60ドルの値段で取引されるという。
 民間のサイバーセキュリティー会社が捜索したところ、このハッキングは中国のハッカー・グループBlack VineまでTrace backできた。Black Vineは、中国のハッカー・グループの渾名のひとつである。FBIの捜索でも、このサイバー攻撃は中国にあるインフラから発していると判定した。

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京都嵐山紅葉散策(3)

常寂光寺へ
 広大な大河内山荘の順路をめぐったうえで、今度は北方向に、常寂光寺に向かって歩いた。
 この途中の道も嵐山らしい美しい風情である。Photo_20201207060101
 途中に工房にカフェテラスが併設されて軽食を提供するお店があったので、ピザとホット・コーヒーをいただいた。快晴の秋の陽射しを浴びた屋外のテーブルで、のんびり軽い昼食を楽しんだ。
Photo_20201207060102  カフェテラスを出て少し歩くと、常寂光寺に着く。
 常寂光寺は、もと本圀寺の住持であった日禎上人が文禄5年(1596)開基した寺である。日禎は、藤原北家日野氏流、広橋国光の子で、本圀寺で日栖に入門しわずか16歳で本圀寺16世に任ぜられたが、文禄4年(1595)豊臣秀吉が東山方広寺大仏殿を建立し、全国から宗派に関係なく多数の高僧を集めて「千僧供養」を実施したとき、出仕に応じず秀吉から排除されたのを機に、本圀寺を出て小倉山のこの地に新たに隠棲の場としてこの常寂光寺を開創したのであった。秀吉が露骨な方法で宗教を屈服させようとしたのに対して、日蓮宗の不受不施派(『法華経』の信者ではない者からは布施を受けず,施業を与えないという方針の派閥)の立場を貫いたのである。Photo_20201207060201
 境内は小倉山の山麓斜面にあり、仁王門をくぐって登っていくと、途中に多宝塔がある。日禎上人が文禄5年からここに隠棲を始めたのち、第2世日韶上人が小早川秀秋の助力を得て桃山城の客殿を移築して本堂とし、元和2年(1616)本圀寺客殿の南門を移築して山門にしたと寺伝にある。それらの経緯から、この多宝塔は江戸時代初期、慶長から元和ころの創建であったと推測されている。Photo_20201207060401
 嵐山エリアの一部を、のんびり散策した。紅葉のピークは少し過ぎていたが、絶好の好天と優しい日差しに恵まれ、京都の秋を満喫することはでき、満足感を感じる散策であった。

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京都嵐山紅葉散策(2)

天龍寺から大河内山荘へ
 宝厳院を出て、天龍寺に向かう。この途中の小路も、道の風情とともに紅葉が見事である。嵐山地区の全体がひとつの大きな紅葉のテーマパークとして楽しめる。Photo_20201205060501
 まもなく天龍寺に着いて、庭園に向かう。今日はここではじめて入場券を購入するための待ち行列があったが、ごくささやかなものであって、平年紅葉期の混雑ぶりとは大いに異なる。
Photo_20201205060601  インターネット情報では「紅葉見ごろ」となっていたが、さすがに11月も終わろうとするなか、わずかながら盛りは過ぎていた。それでも絶好の秋晴れの散策は気分が良い。
 春の花見であれ、秋の紅葉であれ、天龍寺は境内が広大であり、かなりの混雑であっても通行が困難という事態にはなかなかならない。今日は、コロナ騒ぎのお陰もあって、例年に比べたら閑散としている。
 歴応2年(1339)足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために、夢想国師を開山に招いて創建した臨済宗総本山である。もとは嵯峨天皇の后であった檀林皇后が創建した檀林寺があったところで、後嵯峨上皇の仙洞御所(上皇など退位した天皇の御所)亀山殿となり、天皇家にも深いゆかりのある寺院である。寺院の堂塔整備の資金調達のため、元との貿易に乗り出した「天龍寺船」でも有名である。創建以来なんども火事に見舞われ、現在残る建物の多くは明治時代の再建である。Photo_20201205060602
 天龍寺の北側の出入口から出ると、すぐに大河内山荘がある。一世を風靡した映画俳優大河内伝次郎の私邸であった広大な屋鋪である。入場券に抹茶が附属しているので、まずはお茶をいただいて、しばし休息した。あまりに天候が良過ぎて、季節柄を慮って着用してきた上着がいささか暑い。そんな事情もあって、喉が渇いていたのか、お茶が印象深く美味しかった。

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京都嵐山紅葉散策(1)

渡月橋から宝厳院へ
 東京から友人が京都に来るというので、晩秋の紅葉見物を兼ねて、京都嵐山を散策した。Photo_20201203060301
 阪急嵐山駅で落ち合い、渡月橋に向かう。例年ならこの季節は、駅から降り立った直後から人だかりで混雑するのだが、今年は新型コロナウイルス肺炎の大流行のため、かなり人出が少ないようだ。渡月橋に来ると、例年なら橋の北側の欄干沿い歩道が嵐山方面行き、反対側歩道が駅行きと、完全一歩通行になっているところが、今年はさほど混雑していないお陰で自由通行である。幸い雲一つないほどの絶好の秋晴れの下で、川面には遊覧船が出ていた。好天の青空を反映した水面が美しい。


Photo_20201203060601


 渡月橋を渡って、宝厳院に向かう。宝厳院に来たのは、10年余り以前であったが、京都とは言え観光地であり、途中の道の景観がかなり変わっていた。Photo_20201203060501  
 宝厳院は、天龍寺の塔頭のひとつで、室町幕府の細川頼之管領が天龍寺開山夢想国師の第三世聖仲永光禅師を迎えて寛正2年(1461)創建した寺院である。当初はかなり大規模な寺院であったと説明があるが、応仁の乱で焼失し、なんどか再建を繰り返して現在に至っている。ここは天龍寺庭園に比べると規模は小さいが、こじんまりしたきれいな紅葉が楽しめることで有名になっていて、この季節はにぎわう。それでも今年はコロナ騒ぎでそんなに混雑していない。

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(38)

第7章 The Guardians of Peace
7.4.アメリカ司法省の結論とSONYの対応
 1年前のイギリステレビ局の件は、一般には知られていなかったが、諜報機関とサイバー対策グループには周知の案件であり、それらも総合して犯人が北朝鮮であることは初期から目ぼしをつけていた。しかし証拠を集めて固める必要があった。
 ①プロファイリング、②ハッカーの行動の痕跡、③Technical Fingerprints、④諜報チームIntelligent Teamが協力し、さらに⑤追加的なディジタル証拠を加えて、情報を練り上げ、再構成し、証拠を確立した。こうして我々は、北朝鮮の仕業であることは自信をもって説得性ある論理で示すことができた。これらの証拠がためにおける確信と謙虚さと慎重さの重要性は、イラク戦争時のサダムフセインに対する大量破壊兵器開発の誤診への反省からきている。
 しかしSONYは北朝鮮の攻撃にたいして、どのように対応したらよいのか判断しかねた。俳優のジョージ・クルーニーは、なんとかSONYを支援したいと団結の嘆願書の回付まで行った。彼は、SONYだけが怖気づいているのではない、ほんとうはハリウッドが怖気づいているのだ、と主張した。しかしクルーニーの団結の呼びかけは成功しなかった。スタジオ、エージェント、企業のいずれもがSONYにエールを送れなかった。クルーニーは「今回の攻撃はSONYだけに向けられたものではない。この国のすべてのスタジオ、すべてのネットワーク、すべてのビジネス、すべての個人に対する攻撃なのだ。いま犯人からこんな攻撃を蒙って、表現の自由、プライバシー、個人の自由が脅かされているのだ」と書面で抗議した。しかし誰もSONYと一緒に戦おうとしない。クルーニーは、みんな次は自分が攻撃されるのではないかと怖がっているのだ、と批難した。作家のAaron Sorkinは、別途ニューヨークタイムズのop-ed (社説の横の署名記事)に「メディアはSONYを攻撃し貶めることで売れ上げを競うありさまで、メディアの使命を見失ってしまっている。これではメディアは加害者側に加担してしまっている」と書いた。SONYから漏洩された情報が、ゴシップの側面が強調されて軽蔑されたのである。ハッカー側は、読者のその戸惑いをみて、ハッキングが武器にできたことに味をしめた。アメリカ大統領と司法省としては、この件で北朝鮮の攻撃が結果として成功することを許すわけにはいかなかった。深刻な事態であった。
 さらにGuardians of Peaceから、もし映画を公開したら、大変なことになるぞ、と重ねての脅迫のメッセージが届いた。これに対して、クリスマスに大々的に封切りすることを当初約束していたアメリカ全土の映画館が、上映を取りやめると言い出した。結果として、SONYと映画館のネットワークの両方が、世間から批難されることになった。しかしSONY Pictures幹部はそのまま引き下がらなかった。なんとかしたいと考えていたアメリカ政府の同意を得たうえで、独自に映画館の一部に個別折衝し、それらの映画館とあらたにネットでのクリスマス公開を発表した。
 12月19日FBIは、ハッキングは北朝鮮政府によるものであり、SONY事件のすべての責任は北朝鮮政府にあると公表した。正式な起訴の準備の前にこのような発表をしたことは、FBIとしては前例がなく画期的なことであった。さらにオバマ大統領は、年末の定例スピーチでSONY事件について、SONYの状況に同情を表明し、SONYと行動をともにしなかったスタジオの対応について批判して、北朝鮮のアメリカの価値観への挑戦に対して明確に一線を画した。そして北朝鮮のCyberattackに対して、「戦争行為」という代わりに「サイバーの暴力行為Cybervandalism」と批難した。 Cybervandalismというコトバもしっくりしない人々がいる。Code Warの時代になって、伝統的な語彙が必ずしも十分に事態を表現できなくなっているのであろう。
 SONYは、結局オンライン配信で$40Mの大きな収入を得たが、その前に北朝鮮のCyberattackで蒙ったシステム損傷の修復に、そのほぼ同額を費やしていた。サイバー攻撃の被害は、けっして小さくはない。

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