Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(2)
序
世の中の社会構造を2つに分類してみる。ひとつは人間が基本的には対等に相互に結び付いている関係で、これをnetwork=ネットワークという。その象徴は人々が同じ目線で集う広場であり、すなわちsquareである。もうひとつは上位下達、命令服従の対等でない関係で、これをhierarchy=ヒエラルキーという。その象徴は明確に階層が分断されている塔であり、すなわちtowerである。
これまでの歴史学は、圧倒的にヒエラルキーをもとに考えられ構築されてきた。その主たる原因は、考察の根拠たる史料が国家、組織などヒエラルキーに基づくものがほとんどを占めていたからである。ネットワークに基づく史料は、私信、書状などごく限られかつ断片的な形態の文書でしか存在しなかったので、歴史学に豊富に情報を提供することができなかったのである。
しかし現実の歴史的事実を改めて考察してみると、比較的少人数の小さなネットワークが貢献をして、結果として大きな変革が起こったことは意外に多い。ここでは、ネットワークの働き、貢献を尊重しながら人類の歴史を見直してみる。
1.ネットワークとヒエラルキー
人類は、12,000年前に社会的ネットワークをつくりはじめ、力を合わせて協力して行動することを習得し、そのことにより飛躍的に強い生物に変革した。
しかし多数の人間を動員しパワーを行使するとき、もっとも有効な関係はヒエラルキーである。短時間に議論不要で直ちにひとつの目的に結集して行動できる。多数の人間をおなじ目的に動員する農業社会に適したヒエラルキーは、ネットワークと同じくらい早くから人類史に登場した。
ネットワークは、日常的感覚としてはかなり強い関係で結合しているネットワークを想像するが、実は必ずしも常に意識にのぼるわけでないような弱い結合によるネットワークが重要で、その弱い結合にかかわらず非常に大きな変革の力になることがある。アイデア(思考)や行動は、文字よりも直接的に接するネットワークの各段階を通じて伝達する無意識の模倣(copy)が伝達の大きな要因である。文化は複雑であればあるほどその伝達には、一定規模の同調者集団のマスが必要かつ有効である。
そのような弱い結合のネットワークを考えると、段階の数が大きいネットワークが身近に存在することになるが、実はせいぜい6段階もたどるとほとんど世界中全員の人々とつながってしまうのである。
そしてグラフ理論を用いて数学的に解析すると、ヒエラルキーが少し拡張したネットワークのひとつの特殊形態であることが証明できるのである。
集中化せず、クラスターを含み、弱い結合を持つことができるので、ネットワークはヒエラルキーよりも進化に適している。悪いアイデアを良いアイデアにつくり替えることもできる。しかし、ネットワークは時間的にも空間的にもひとつの方向にまとまりにくいという欠点をもつ。
ヒエラルキーは、本質的にリジッドで固定的であり、トップダウンで横方向の繋がりがないので、思想や文化が伝達して広がることに適さない。その半面では悪いことが伝染病のように感染拡大しにくいメリットがあるとも言える。
ネットワークは、とどまらず常に変化する。思想やイデオロギーがウィルスのように伝染する。位相変化してより複雑なネットワークに進化することも容易である。ほんの少しの要素が加わっただけでラディカルに変貌することもある。
ネットワークの性質を理解して歴史を振り返ると、何かを滅ぼすから歴史が変わるのでなく、連続して多様なモノを加えつつ変化して歴史が変わる様相が見えてくる。古びて機能が劣化したヒエラルキーも、新しいネットワークの挑戦を受けて生まれ変わるのである。リジッドで固定的なヒエラルキーは自己変革できなくても、ネットワークからのインパクトにより生まれ変わることができる。
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