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京都嵐山紅葉散策(3)

常寂光寺へ
 広大な大河内山荘の順路をめぐったうえで、今度は北方向に、常寂光寺に向かって歩いた。
 この途中の道も嵐山らしい美しい風情である。Photo_20201207060101
 途中に工房にカフェテラスが併設されて軽食を提供するお店があったので、ピザとホット・コーヒーをいただいた。快晴の秋の陽射しを浴びた屋外のテーブルで、のんびり軽い昼食を楽しんだ。
Photo_20201207060102  カフェテラスを出て少し歩くと、常寂光寺に着く。
 常寂光寺は、もと本圀寺の住持であった日禎上人が文禄5年(1596)開基した寺である。日禎は、藤原北家日野氏流、広橋国光の子で、本圀寺で日栖に入門しわずか16歳で本圀寺16世に任ぜられたが、文禄4年(1595)豊臣秀吉が東山方広寺大仏殿を建立し、全国から宗派に関係なく多数の高僧を集めて「千僧供養」を実施したとき、出仕に応じず秀吉から排除されたのを機に、本圀寺を出て小倉山のこの地に新たに隠棲の場としてこの常寂光寺を開創したのであった。秀吉が露骨な方法で宗教を屈服させようとしたのに対して、日蓮宗の不受不施派(『法華経』の信者ではない者からは布施を受けず,施業を与えないという方針の派閥)の立場を貫いたのである。Photo_20201207060201
 境内は小倉山の山麓斜面にあり、仁王門をくぐって登っていくと、途中に多宝塔がある。日禎上人が文禄5年からここに隠棲を始めたのち、第2世日韶上人が小早川秀秋の助力を得て桃山城の客殿を移築して本堂とし、元和2年(1616)本圀寺客殿の南門を移築して山門にしたと寺伝にある。それらの経緯から、この多宝塔は江戸時代初期、慶長から元和ころの創建であったと推測されている。Photo_20201207060401
 嵐山エリアの一部を、のんびり散策した。紅葉のピークは少し過ぎていたが、絶好の好天と優しい日差しに恵まれ、京都の秋を満喫することはでき、満足感を感じる散策であった。

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