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Niall Ferguson,”The Square and the Tower”(1)

まとめ
 ふとしたことからこの書を知り、英語kindle版で読んだ。
 広場すなわちスクエアーでネットワークを象徴させ、塔すなわちタワーでヒエラルキーを象徴させて、ネットワークとヒエラルキーを論ずるこの書の題名としている。著者は歴史学者だが、この書は歴史書というより、歴史をどう読み解くべきかを論ずる歴史エッセイである。
 世の中の政治・社会の基本構造をネットワークとヒエラルキーとに分類すること、さらに理論的にヒエラルキーはネットワークのひとつの特殊解と位置づけられる、というのがこの論考の基礎である。
 歴史において、ネットワークとヒエラルキーはともにおなじくらい古い歴史をもつ。人間が社会的生活を介して外敵から護られることが専ら大切であった古代農業社会では、ヒエラルキーの有効性が優って、先ずは古代帝国が誕生した。
 ネットワークが機能するためには構成員が情報を交換できる必要がある。なんの媒体もなかった太古では、直接対話することから始まった。この媒体の進化として著者は15世紀のグーテンベルクの印刷機の発明と、21世紀本格化したインターネットとをとくに顕著な革命として取り上げる。
 ヒエラルキーは、定まった目標に向けて構成員全体を結集し、短時間に素早く行動するには適したシステムである。だから古代帝国にはじまり、ローマ帝国、中国の何代にもわたる帝国、キリスト教を軸とした帝国、さらには近代の多くの王室の統治による帝国など、多数の帝国が登場した。
 ネットワークは、ヒエラルキーと異なり、構成員の結合は強いものも弱いものもあり、拡がりの境界もアイマイなことが多い。短時間にひとつの方向にまとまるには適さない。しかし融通無碍なことから自己変革も容易で、他のネットワークやヒエラルキーに関与・影響することにも適している。ネットワークは、ヒエラルキーに接触してヒエラルキーを変容させたり、崩壊させたりする強さも持ちうるのである。Square-and-tower
 これまでの歴史学は、ほとんどヒエラルキーにかんする部分のみを取りあげ論じてきた。それは論考の根拠となる史料が、ほとんど国家・団体などの堅固なヒエラルキーによって与えられたものが圧倒的多数であり、ネットワークから得られる史料が、私信、書簡などごく限られた、かつ断片的なものしかなかったからである。
 しかし印刷だけでなく、インターネットが普及する時代になって、ネットワークの時間的高速化と地域的拡がりは莫大なものとなり、ネットワークの貢献はますます大きくなった。かつ史料としての提供も飛躍的に増加した。これからの歴史学はネットワークの存在と働きを取りあげないわけにはいかなくなるであろう。
 本書の主な主張はだいたい以上のようなものである。
 この書そのものについての私の感想を以下に記す。
 この書に限らないが、最近話題となる歴史に関わる本を読むと、いずれもほんの少し前に思える西暦2000年のあと、21世紀の20年の重みを改めて感じる。たった20年の間に、とくに科学技術の急速な進展でさまざまなことがすでに変容していることを教えられる。
 この著者がヨーロッパ出身の人だからなのか、第一次世界大戦については詳しく述べながら、第二次世界大戦についてはほとんど触れていないのは、日本人読者としてはいささか奇異に感じる。触れることが少ないという点では、マスメディア、つまり新聞・雑誌・テレビ・ラジオについても触れられていない。著者にしてみたら、15世紀のグーテンベルクの印刷機ほどのインパクトはない、と言うことかも知れないが。
 次に、この著書の文章についてである。この書に限らないが、友人からの感想および書評などで、翻訳を読んだ場合に「悪訳」が目立つという声をよく聴く。私が原書を読んで思うのは、それは翻訳の問題だけでなく、原文にも責任があるだろうという点である。この本についても、全般にひとつの文章が長く、それは多くの場合出てくる単語とくに名詞・固有名詞に関係代名詞や過去分詞構文で頻繁に修飾がつくことに起因する。それを読む側からすると、主語・動詞・目的語の関係が直ちに理解しにくい、構文が直ちに把握しにくい、という問題がある。さらに、もしそれを翻訳するとなると、単に日本語をおなじ順序で並べたのではわかりにくくなり、意味が滑らかに通じるように文章全体を組みなおすことが求められる。したがって翻訳を引き受ける限りはそのような工夫や手間も実行すべきという意味では「悪訳」は翻訳者の側に責任があるのだろうが、原文がすっきり見通しの良いものであれば、もとから発生しない問題ともいえるのである。たとえば、これに先立って読んだYuval Noah Harari, "Sapiens, A Brief History of Humankind"の場合などは、文章が短く、構文も簡明で、とてもわかり易かった。そのような場合は翻訳も相対的にずいぶん容易だろうと推測する。
 最後に、この本のレジュメを書いたのだが、今回はとくに省略した部分が多いという言い訳である。500ページ余りのなかに50件以上のエピソードを取りあげ、したがって1件あたりに割り当てられる紙幅は少なく、テーマによっては予備知識が十分でないためにわかりにくいことも、あるいは著書が書き尽くせなかったがために伝わりにくいこともあったのかも知れない。つまり文章も構成も、私にはわかり易い本ではなかった面があり、自分が理解できる範囲を自分のための備忘録として記したのである。

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