倉敷散策 (5)
大原美術館
ようやく大原美術館に入場した。16年ぶりの再訪だが、そのときどんなものを鑑賞したのか、すっかり忘れてしまっている。
倉敷紡績の経営者であった大橋孫三郎が、同年代の画家であった児島虎次郎の才能を愛し、支援して明治41年(1908)から児島をヨーロッパに留学させた。児島はその期待に応えてベルギー・ゲント大学美術アカデミーを主席で卒業した。児島は帰国ののちも、大橋の支援により2度にわたってヨーロッパに留学し、当時のヨーロッパ美術作品を日本の人々になんとか直接見せたいと考えるようになった。児島は大橋に、すぐれた西欧絵画の購入を提案し、その考えに賛同した大橋は、児島をヨーロッパに派遣して、すぐれた美術作品を購入せしめた。こうしてわが国では最初の西欧絵画のコレクションが大橋のもとに形成された。児島は、西欧以外にも、エジプト・中東・中国などの美術品をも買い集めた。
しかし児島が47歳の若さで昭和4年(1929)死ぬと、その翌年大橋は、それらのコレクションと児島の作品を展示するために、大橋美術館を創設した。当時これは、西欧近代美術作品を直接展示する美術館として画期的なものであり、わが国には先例がないものであった。 第二次世界大戦ののち、大橋孫三郎を継いだ長男大橋總一郎は、「美術館は生きて成長していくもの」との信念で、前衛的な作品や、日本の新しい美術運動による美術・工芸品、すなわち濱田庄司、河井寛次郎、宗像志功などの作品にまで蒐集の範囲を拡大し、それにともなって展示場も増設した。
展示作品を眺めると、私たちが少年期・青年期に学校の教科書で観たような有名な作品も多々あり、コレクションの幅広さ、先見の明にあらためて感銘をうける。
今回は、エル・グレコ「受胎告知」を観た。このテーマは、世界中の画家たちがさまざまに描き、エル・グレコだけてもいくつもの作品があるそうだ。この作品は有名で、私もなんども本の写真ではみているが、実物はやはりインパクトがある。実物はさほど大きな絵ではないが、投影法的な技法でなく、光と色と質感だけでみごとに表現された立体感に、感銘を受ける。やはり絵は、直接観ないとわからない、とあらためて思った。

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