2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト
無料ブログはココログ

« コロナ騒動とワクチン | トップページ | H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(18) »

コロナ騒動と「不要不急」

 ゴールデンウイークの直前に第3回目の緊急事態宣言が出て、「不要不急の外出は、控えるようにしてください」との由である。指示あるいは要請の内容が曖昧だとの批判もあるようだが、それはさておき、この「不要不急」というコトバが多少気になって、少し書き降ろしてみる。
 「不要不急」とは、普通に考えて、無くてもすぐに困らないこと、とくに急いで行う必要が無いこと、というくらいの意味だと思える。私自身は70歳を過ぎた隠居老人であり、生活のための生業は引退しており、子育ての時期をも過ぎているので、ごく一部のパートタイム的な仕事を除いては、社会や身の回りの人びとに対して深刻な責任がない。したがって私の存在そのものが「不要不急」と言えそうである。平凡な老人にもそれぞれ個人的にはしたいこと、行きたいところはあるのだが、「不要不急か否か」と詰問されたら、大部分のことは不要不急ということになってしまうだろう。
 そうであるにしても、である。われわれ市井の凡人は老人に限らず、日常のかなりの部分を「不要不急」の事象に費やし、さらにそこから楽しみ、癒し、安らぎ、もっと大げさに言うなら生き甲斐を感じて生きているのではないだろうか。多少大げさかも知れないが、そういった「不要不急の事象」こそが、文化を養い、先進国らしい材料を提供し、健康で文化的な人間らしい生活を実現しているのだと思う。
 だいぶ前に、あるテレビ番組で「老後は、キョウイクとキョウヨウが大切。今日行くところがある、今日用がある、ということこそが大切」というのを聞いた。老人も、いろいろ行きたいし、用事をしてみたい。それは、むしろとても大切だという見解もあるのだ。
 そして現実の国家の経済構造も、いわゆる第三次産業がスケールアップしており、そのかなりの範囲がひとびとの不要不急の行動で支えられている。「不要不急」とはいえ、「不必要」とは断じがたいものが多いのである。
 そうは言うものの、コロナウイルス感染者が増加し、医療体制が崩壊することは望ましくないので、要請に応じて自分の行いはできるだけ慎みたいとは思う。
 そうであるにしても、である。コトバ尻を捉えたいわけではないが、「不要不急」をキーワードにする限り、私にはやはりオリンピック実施断行というのが、率直に抵抗を感じる。オリンピックは魅力に満ちた世界的行事であり、青少年の健康な成長にも良い影響が多々あり、本来は経済的効果も大きなものが期待できる。なによりオリンピックを目指して、人生の貴重な時間を捧げてきた選手たちがたくさん存在する。少し前に、こんなときはオリンピックなど中止にした方が良いのではないか、と何気なくある知人に話したら、その人はオリンピック強化選手に関わりがあり「とんでもない発言」と厳しく叱られた。それでも「不要不急か否か」、と詰問されたら、やはり「断じて不要不急ではない」とは言えないだろう。オリンピック実施を重視する人たちの気持ちも、私はよく理解できるつもりだが、やはり他の「不要不急」の多くの事象と比較して、オリンピックがそうでないとは言えないと思う。
 私個人の見解としては、コロナ騒動についての多くの無責任なメディアの姿勢に大いに疑問と不満と反感があり、率直に言って思い付きが多くて偏向していて、騒ぎすぎ、煽りすぎだと思っている。政府や自治体の「不要不急」発言も、精一杯の協力要請の表現であることは理解できるし、できるだけ協力するつもりである。それでも、個人的には思うところが残るのである。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

« コロナ騒動とワクチン | トップページ | H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(18) »

時事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« コロナ騒動とワクチン | トップページ | H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(18) »