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2021年6月

H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(43)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace(平和を求める闘い)
6.10. 2017年4月南アジア歴訪のまとめ
 私は、今回の外遊の宿題事項への解答を下記にまとめた。
①狭義のテロ対策の戦略は、アフガニスタンの安全が保障できない限り無意味である。アフガンの人々は大変な闘いを続けている。アフガニスタン国家は、タリバーンの再生に対してより強化し、体制転覆、麻薬組織、国をまたがる犯罪組織の連鎖に有効に対抗できなければならない。
②タリバーン、アルカーイダ、その他のテロリスト・グループたちは、相互に密接な関係にあり、切り離すことはできない。
③タリバーンは、信頼して交渉できる相手ではない。とくにアメリが撤退することを知れば、ますます自信を強めて攻勢にでる相手である。
④パキスタンは、タリバーンやハッカニー・グループ、他のテロリスト・グループへの支援をやめる、あるいは大幅に減らすことは期待できない。


6.11.南アジア歴訪から帰国とトランプ大統領の南アジア政策表明
 戦争で死んだ、あるいは負傷した兵士やその家族に同情を表明しながら、その一方で方向性のない戦争を継続するというのは、この上ない皮肉cynicismである。私が2017年4月20日に南アジアから帰国してから、トランプ大統領が2017年8月21日、キャンプデーヴィッドで南アジアに対する方針を演説するまで、予想以上に長時間を要した。その間、アフガニスタンの北バルク地区だけで、タリバーンや自殺テロリストが140人以上を殺戮し160人以上を負傷させていた。5月31日、ハッカニー・グループがカブールを襲撃し、150人を殺し、400人以上を負傷させた。
 トランプ大統領は、以下のように方針を説明した。
アフガニスタンの戦争について、国民は長い期間にわたる勝利のない戦いに、本能的に嫌になっている。しかしISIS、アルカーイダ、その他アメリカが知る20のテロリスト・グループが強勢となるなか、期が熟さない撤退が危険であることを述べ、また南アジアには核兵器の存在も懸念事項であることを述べた。パキスタンがテロリスト・グループを否定しながら、密かに支援し、その安息地を与える矛盾した政策をとっていることを指摘した。そして、テロリストが領土を支配することを否定し、資金の流入を切り、イデオロギー的支援からも孤立させる方針であることを明言した。新しい方針は、意思の闘いであり、アメリカを脅かす組織を打ち負かすことを目的とする。時間を限らず、またタリバーンとは交渉しない。アメリカ大統領として、アフガンが自らの国とその将来を所有し責任を持ち、その社会を統治し、永続する平和を達成するように、アフガニスタン政府とその軍への支援を約束する。国力を外交、経済、軍事のすべてにおいて育むべきことが強調された。
 16年間の戦争を経て、トランプ大統領は、はじめてアメリカの現実的で持続可能な戦略を提示したのである。
 しかしながら、恐れていたとおり、これは長続きしなかったのだ。アフガニスタンでの長い戦争に非常に懐疑的な人々がトランプ大統領に、戦争から早く引き揚げるよう説得したのだ。私が2018年ホワイトハウスから離れてすぐ、戦争の本質を理解できず、脅威を過小評価し、「永遠の戦争」をイデオロギー的に嫌う人たちが、持続的で維持できるアフガニスタンでの軍事的努力を無益で無駄なものと決めつけて、トランプ大統領を説き伏せたのであった。
 2019年6月、パキスタンの首相になったImran Khanがワシントンを訪れてトランプ大統領に会談した。明らかに反米的な、軍に据えられた名前だけの首相だ。トランプ大統領は、公式の場でこのKhanに、戦争を終わらせるように頼んだ。これはテロ対策でアメリカに協力するポーズを取るだけのパキスタンに、アメリカのリーダーが屈したように見えてしまった。その上さらに、トランプはパキスタンとインドのカシミール問題を調停するとまで言って、Khanにボーナスを贈ったのだ。インドのモディ首相から頼まれたとまで言った。しかし、かつて国連がイニシアティブをとったカシミール問題の処理がインドに利益がなかったために、インドは長らく外部の仲介を嫌っていて、インドの首相が到底そんなことを言うわけがないことを、南アジア情勢を知る誰もが知っていた。パキスタンはインドの領有が少しでも弱まることを願うが、インドはカシミールに関する限り徹底して現状維持派なのだ。この会談は、Khanにとって、まったく予想以上の成果だったろう。パキスタンは、アフガンと南アジアでマッチ・ポンプにまたも成功したのだ。
 Khanが帰国したのちも、トランプは間違った理解に耽ってしまい、「私は1週間で戦争に勝てる。一千万人ものひとたちを殺すのを望まないだけだ。」と言った。彼の発言は、アフガニスタンとパキスタンの闘争の本質への誤解を吐露している。アメリカと同盟諸国は、アフガンを、恐怖と狂暴で残酷な支配を企てるテロ勢力から護るために、そんなテロ勢力の復活を抑えるために戦ってきたのだ。アフガンのみならず、南アジア全域、さらに中東までの広範囲が、タリバーンなどジハード主義テロリスト・グループの被害者となっている。残念なことにこの大統領の発言は、58,000人のアフガン兵士と警察官たちが国と社会と家族を護るために死んだことだけでなく、その戦争で死んだ2,300人のアメリカ軍人たちの犠牲までも貶めている。アフガニスタンを維持しようとする意志の喪失は、現地から撤退する決定の合理化を導き、アメリカの戦略の傷と矛盾をほとんど全くの最初からやり直させるものである。2019年には、アメリカはタリバーンと平和交渉さえ始めているのだ。そして悲しいことに、まったく先の見えないアフガニスタンで、2001年のアメリカ同時多発テロ事件時にはまだ生まれていなかった若者を含むアメリカ兵士が、今でも戦っている。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(42)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace(平和を求める闘い)
6.8.Haqqani network
 パキスタン軍が我々に失望を与えざるを得ない根本的な原因のひとつが、彼らが扱いかねる狂暴な組織たるハッカニー・ネットワークHaqqani networkである。また、これこそパキスタン軍が外交の手段としてテロリスト・グループの利用をやめたがらない理由でもある。ハッカニー・ネットワークは、ISIとともにテロリスト・グループに安全な場所を与えている。ハッカニー・ネットワークのリーダーSirajuddin Haqqaniは、タリバーンの司令官をも勤めている。ハッカニー・ネットワークは、ISI、アルカーイダ、タリバーン、その他のローカルあるいはグローバルなテロリスト・グループを結びつけている。パキスタン軍やパキスタン国家にも敵対的なテロリスト・グループもたくさんいる。ハッカニー・ネットワークは、この地域のさまざまな部族を動員し、国際的にあるいは犯罪組織を介して資金を集め、さまざまなメディアを駆使して活動し、高度の軍事力を育成・維持するので、テロリスト・グループにとって価値が高い。タリバーンに対して、アフガンとパキスタンの部族地帯にあるハッカニー・グループが運営する80以上におよぶ宗教学校madrassasから、洗脳した若者をほとんど無尽蔵に供給できる。ハッカニー・グループは、2011年カブールのアメリカ大使館襲撃、2013年ヘラトHeratアメリカ領事館襲撃などを組織し実行した。アフガンの民間人の大量殺戮は、とくに得意とする。


6.9.India
 インドは、アメリカにとって、南アジアのテロリスト・グループとの闘いのみならず、中国共産党とのインド太平洋をめぐっての闘いにおいても非常に重要な国である。インドは、1980年代までの冷戦時代には非同盟主義であり、その経緯もあって明らかな同盟を結ことに抵抗があるようだ。今では、インドとアメリカは、多くの点で協調できる関係にある。
 インドは、1990~2020年の間に、貧困率を半減したがまだ3.6億人の貧困層を抱えている。人口の80%がヒンドゥー教徒、14%がムスリム、残りの少数派がキリスト教徒・シク教徒などである。22の公用語があるが、実際には100以上の言語が話されている。最近の最大の懸念は、中国共産党の専制国家モデルの脅威である。インドこそ、アメリカにとっても世界にとっても、成功してもらわねばならない国家である。
 インドにとって、パキスタンがテロリスト・グループを支援し養成し保護すること、そしてその核兵器が脅威である。エスニックあるいは宗教間の対立も潜在的脅威である。2019年、モディ首相がジャム・カシミール自治区を停止し、完全なインド領土に変更したことも宗教対立の懸念事項のひとつである。
 私が2017年にニューデリーを訪れたとき、諜報部門出身の国家安全保障アドバイザーAjit Dovalと外務官Subrahmanyam Jaishankarと、アメリカとインドの協力関係をいかに拡大するかについて会談した。2人は、中国が排他的地域の拡大を図っていることへの脅威と、それに対抗するための多国間協調の必要性を話した。中国の「一帯一路」が一方的で、インドにメリットがないことも主張した。
 当然の成り行きとして、我々の話題は現実に大きな被害をもたらしている、パキスタンISIが後ろ盾となっているジハード主義テロリストの問題となった。2008年11月のパキスタンからの組織的テロで、たとえばTaj Mahal Palace Hotelでアメリカ人3人を含む少なくとも164人の民間人が殺され、300人以上が負傷した。唯一の生存加害者の証言から、犯人はパキスタンからきたLET(インド攻撃を最初の目的としてカシミール地域で発祥したパキスタンのテロリスト・グループ)のメンバーで、パキスタン軍の指示によることが判明している。この他、多数のテロがインドを襲っている。
 2人は、アメリカがどの程度南アジアへの関与を外交方針として決心しているのか懸念している、と。南アジアでは、いつも、どこでもこの心配が表明される。2008年の経済危機で、オバマ大統領は海外への関与を引き揚げてnation building at homeを掲げた。多くのアメリカ国内の人々の希望に叶うものの、多くの外国のリーダーたちの大きな懸念を誘った。トランプ大統領の外交方針演説America‘s Firstも、やはり彼らを心配させた。インドは独立以来、植民地主義を嫌い歴史的にアメリカの海外介入主義に批判的だが、中国の進出とジハード主義テロリストの攻撃を受けて、今はアメリカの非干渉をきわめて恐れているのである。インドは、BRICSや上海協力機構などにも参加する大国なので、アメリカとは違うルートで、パキスタンのテロ支援への牽制などについて、中国やロシアに影響を与え、利用することができるかもしれない。アメリカと協調して、湾岸諸国、すなわちカタール、UAE、サウジアラビアなどに、パキスタンのテロリスト・グループ支援を抑えるよう働きかける可能性もあり得る。
 最終日には、首相公邸にモディ首相を訪ね、懇談する機会があった。彼も、中国の軍事的膨張にともなう周辺地域への影響力拡大が最大の脅威であり、トランプ大統領の「自由でオープンなインド太平洋」構想を歓迎するという。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(41)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace(平和を求める闘い)
6.7.パキスタン軍
 パキスタンは1947年の立国以来、巨大な隣国インドの脅威を前提に軍を定義してきた。パキスタン軍は、これまで4回戦争して4回敗北した。1970年の内戦では、敗戦によりバングラデシュが独立して去り、人口の55%、領土の15%を失った。領土問題は未だに残り、カシミール地方では軍事衝突が頻発していて、常にインド・パキスタン間の紛争の発火点となっている。2002年の夏のように、核戦争勃発が懸念されたことさえあった。
 パキスタン軍の将校は、イギリスあるいはアメリカで学び、西洋式のマナーを身に着け、クイーンズ・イングリッシュを流暢に話し、ポロに興じ、良いウイスキーを嗜むので、アメリカの軍人からも、その第一印象に好感を持たれることが多い。しかし彼らは、パキスタンの国家的利益に責任を持ち、パキスタンのイスラム的アイデンティティの保護者として育成され、軍は国家の外交・経済に拒否権vetoを持つ。
 パキスタン軍は、1947年にジハードとしてはじまり、以後ジハードを停止することはない。1980年代から1990年代初めまで、アメリカはアフガンでソ連と戦うイスラム教徒を支援したが、彼らはパキスタンの強力な諜報機関ISIに流入した。ISIが動かしたソ連占領に対する抵抗運動は、タリバーンの発生をもたらし、一方でアフガニスタンの穏健な政治改革のチャンスを犠牲にした。ISIはアフガンの麻薬取引に参画することで、パキスタンがテロリストを代理勢力に使うため、さらに核兵器を開発するために必要な蓄財を、密かに進めてきた。しかしISIからフランケンシュタインの怪物が派生した。テフリク・イ・タリバン・パキスタンTehrik-i-Taliban Pakistan(TTP)とISIS-ホラサンISIS-Kohrasanである。これらのタリバーンから派生した新しい狂暴なテロリスト・グループは、パキスタン政府・軍に対しても攻撃を加えることがしばしばあり、ついにパキスタン防衛大臣Khawaja Muhammadは「すべてのタリバーンは悪いタリバーンだ。見つけ次第殲滅する。」と宣言した。しかし、結果的にはそれは実現しなかった。私とHale大使が思った通り「パキスタン軍が行動を変える」という憶測は、必ず間違うのであった。
 互いに深い不信感・不満がありながら、軍の専門家としての共通する経験から、意外に表面的にはたがいに尊敬を感じるムードで会談ははじまった。私とヘイルHale大使が会ったのは、軍長官Qmar Javed Bajwa将軍とISIのトップNaveed Mukhtar将軍とであった。
 私は先ず、8,000人以上が犠牲となった9.11アメリカ同時多発テロ事件、2万人のパキスタン市民が犠牲となった近年のパキスタン国内のテロ、2014年のペシャワールの軍事公立学校のテロなどを取り上げ、多数の死者を悼むとともにテロ行為を批難した。私は、パキスタン軍がテロに対して国民を護るために犠牲を払いながら、その一方で政府=軍がテロリスト・グループを支援している矛盾について、彼らがどのように考えているのかを聞き出そうとした。結果は、アメリカ同時多発テロ事件以来、これまで何度も見てきた彼ら独特の言い訳に終始した。1989年ソ連が南アジアから追い出された後、アメリカはここから立ち去ってしまった。アメリカの支援も止まった。このあとはパキスタンこそが歴史の被害者である、と一点張りの言い訳が続く。ソ連のアフガン侵入とその後のアフガン内戦では、大量の難民がパキスタンに流入した。タリバーンの暴力も激化した。パキスタンの核開発にたいするアメリカの経済制裁、アメリカのテロとの闘いに協力した大きな負担と犠牲、インドの激しい攻撃、果てしないカシミール問題、インド主導のパキスタン包囲網の形成などなど、パキスタンがいかに困っている被害者であるかを延々と話してくるのだ。そして「パキスタン被害者論」は「パキスタン弱者論」にシフトする。密かにタリバーンなどのテロリスト・グループを国内に匿っていることを棚に上げて、国際社会に貢献して犠牲を払っているのに報われていない、という論法である。
 このようなパキスタンの説明に対して、典型的なアメリカのリーダーたちの反応は、パキスタンの交渉相手はアメリカの立場に同情的なのだが、要するに変化させる得る力がない、とくにアメリカが期待する時間内では実現が期待できそうにない、というものである。かくて彼らは帰国して、パキスタンの軍幹部の言いたいことの要約、つまりアメリカがもっとカネを支援して、欲しがっているモノを与えて、後は待つより仕方がない、と報告するのだ。アメリカの役人は、軍、諜報、外交、とローテーションする一方で、パキスタンの交渉相手はアメリカ側をくみし易い相手と見て、簡単に騙すのである。
 私はこの悪循環を断ち切るために、彼らの話のポイントを意図的に外した。新しいアメリカ大統領は、ビジネスマンとしてコトバより結果により注目する。すなわちパキスタンを介して間接的に敵に援助するのは、投資としてリターンが悪いと考える。アメリカがパキスタンの犠牲を評価せず、もっと多くのことをやれと要求する、とのパキスタンの不平に対しては、アメリカはパキスタンにもっと多くのことをせよとは要求しない。代わりに、アフガンやアメリカの人々を殺す連中に与えないようにして欲しい、と言った。最低限のこととして、我々はこれまでと同じ失敗はしないと決めたことを納得させようと努めた。これまではパキスタンと交渉して、穏やかな関係が構築できたと理解して(一方的に思い込んで)、約束して(約束できたと思って)満足して帰って、後に結果を知って救いがたいほど失望する、というサイクルであった。私はこれから、先ずは救いがたい失望のまま結果を待ち、もし期待していた結果の達成が確認されたら、その時に満足しようと、サイクルを切替えたのである。
 会談が終わり立ち去るとき、私はBajwa将軍に手書きのメモを渡した。そこにはハッカニー・グループに捕らえられたアメリカと同盟軍の捕虜のリストを書いておいた。Bajwa将軍は、これについてどうしてほしいのか、と私に聞いてきたので、なにか対応しようとするのなら、これからはコトバでなく行動と結果で答えて欲しいと言った。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(40)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace(平和を求める闘い)
6.6.パキスタン首相Nawaz Sharifとの会談
 私は、イスラマバードの首相官邸で、パキスタン首相ナワーズ・シャリフNawaz Sharifと会談した。彼は1990年から断続的に首相を勤めているが、常に軍からの圧力を受け、実権はない。アメリカはもはやアメリカの敵を支援していると想定される相手との関係を維持するという矛盾には耐えられない、という私の説明に、彼は同感できているようであった。ここでいう「アメリカの敵」とは、長期にわたって暴力的に行動し、同盟国の兵士や民間人の死に責任をもつべき者たち、すなわちテロリスト・グループである。したがってアメリカは、もはやパキスタンを経済的・軍事的に支援することはなくなることを告げた。
 アメリカは、これまでパキスタン軍を介してタリバーンや他のテロリスト・グループに資金を供給し、彼らがテロリストを雇い、訓練し、武器を蓄え、部隊を維持することを支えてきたのであった。
 これまで長年にわたり、アメリカ、イギリス、そして他の国々がパキスタンの文民政府を支援してきたが、軍が実権を掌握したまま残存した。シャリフ首相が、共感して聞いてくれても、実はなんの役にも立たない。このあとまもなく、彼と経済大臣はパナマ文書に関わる汚職問題で停職・逮捕となった。2018年軍が新たに据えた首相は、イムラン・カーンImran Khanというクリケット世界大会の代表選手経験者で、見るからにアメリカ嫌いである。
 パキスタンは、国が軍を持つのでなく、軍が国家を持っている。我々が現実的に対応しようとするなら、軍のリーダーたちの考えをよく理解しないと始まらないのだ。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(39)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace(平和を求める闘い)
6.5.パキスタンに対する浅薄な理解と過剰な理論武装
 私はアフガニスタン訪問に続いて、パキスタンを訪れた。長年の友人であり中東外交に熟達したパキスタン大使ヘイルDavid Haleと同行した。ヘイルは中東で多くの困難な仕事をしてきたが、それでもパキスタンの指導者たちは、この世でもっともやりにくい相手なのだ。
 これまで長い間、アメリカの良く変わるバラバラの南アジア外交は、パキスタンにとっては望ましい条件であった。2001年9月12日(アメリカ同時多発テロ事件の翌日)アメリカの国務副長官アーミテージRichard Armitageは、パキスタンISIのAhmed Mahmudに「パキスタンは、アメリカにつくのか、それともそうでないのか、直ちに返事せよ」と伝えた。Mahmudは「テロ組織と同衾するようなことは止めて、全面的にアメリカに味方する」と即答した。これがパキスタンの欺瞞のはじまりであった。アメリカは虚栄心とナイーヴさに付け込まれた。アメリカのこのときのアプローチは、現地のジハード主義テロリスト問題の浅薄な理解superficial understandingと過剰な理論武装overintellectualizationによる失敗だと、ヘイルと私は同意した。「浅薄な理解」とは、アメリカが、タリバーン、他のテロリスト・グループ、そしてパキスタンに対しても、彼らの基本的な動機、目的、戦略を考察することをしばしば省いてしまうことである。「過剰な理論武装」とは、オバマ政権の主要メンバーが陥りがちな思考回路で、つぎのような論理だ。パキスタンはアフガニスタンより重要だ。核保有国で2億以上の人口を持ち、アフガニスタンよりはるかに大国なので、この対処を間違った時の結果は、アフガニスタンへの対処を間違ったときよりも重大だ。パキスタンが崩壊したり、西側から完全に離れてしまったりしたら、ジハード主義テロリストの問題も今よりはるかに大きなものとなるかもしれない。孤立して絶望したパキスタンが、インドと戦争でも始めたら、人口が世界でもっとも濃密な地域で絶望的な核戦争が勃発するかも知れない。したがって一番良い戦略は、パキスタンとの関係を、最悪の事態を回避するために優先することだ、というものである。しかしこのアプローチは隠然と、パキスタン軍やISIが喜んでタリバーンやハッキニー・ネットワークへの支援を削減してくれることを前提としている。しかしそんな前提は、なんの根拠もない。パキスタン指導者は、アフガニスタンに言うことを聞かせるためにテロリスト・グループを利用するし、領土問題で対立するパシュトゥン民族主義者が国境を動かそうとするのを阻止しようとする。ISIは、インド政府に親近感を抱くアフガニスタンの政府を、アフガニスタン内部の一派を利用して、パキスタン包囲網をつくらせないように努めるだろう。パキスタンがアフガニスタン内部にテロリスト・グループの隠れ家をつくることを支援していることが、アメリカ同時多発テロ事件のような事件を結果するという深刻な事実を考えなければならない。アメリカが撤退のスケジュールを公表しているときに、アメリカが「タリバーンやハッカニー・ネットワークと戦う」というメッセージを出したとて、パキスタンはどれだけ真面目に受け取るだろう。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(38)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace(平和を求める闘い)
6.4.アフガンの将来への光明
 私は2017年のアフガニスタン訪問で、ガニ大統領Mohammad Ashraf Ghani、アトマル外務大臣 Mohammad Hanif Atmar、アブドラ・アブドラ行政長官 Abdullah Abdullah、アムルラ・サレハ内務大臣 Amrullah Salehなどの新しいアフガニスタンの指導者たちと会談して、アフガニスタンの将来に希望の兆しを感じるとともに、後悔をも感じた。敵と戦うことだけに集中するのでなく、タリバーンが復活したとしても持ちこたえるような、強いアフガニスタンをつくることこそが、なによりも大切であったのだ。アメリカは、短い時間で済ませようとするアプローチにこだわり過ぎた結果、戦争の慢性的長期化をもたらした。私はトランプ大統領に、アフガニスタンと南アジアの問題に、持続可能な安全保障を達成するような選択肢をとることを提案することに決心した。しかし同意を得ることはなかなか容易でないことも知っていた。
 私のアフガニスタン訪問での最後のミーティングは、American University of Afghanistanのキャンパスに、2016年8月24日テロリストがトラック爆弾で壁を爆破して乱入し10時間キャンパスを占拠し、10人を殺しそれ以上の人数を負傷させたとき、その場にいた学生・OBたちとの懇談であった。7か月間のキャンパス閉鎖の後、下半身不随の治療のためにドイツに居た負傷者1人を除いて、全員がキャンパスに立ち戻った。
 私は彼らたちと話した結果、長期的なテロリスト・グループとの闘いにおいて、教育がいかに重要かをあらためて思った。これらの怖れを知らない逞しい若者たちは、エスニック・アイデンティティを乗り越え、イスラム過激派を拒否し、良い生活を彼ら自身と将来の世代のために構築しようとしている。
 ジハード主義テロリストは、無知に依存する。長い戦争とタリバーンの残酷は、タリバーンやテロリスト・グループの扇動demagogueryを疑うことを教える教育を否定した。未熟で無知なもっとも弱い若者に付け入った。悪夢を起こすような暴行・恥辱・恐怖を経験させて人間性を失わせ、洗脳し、とんでもない暴力や不正な行為を行わせた。彼らに強いられたアフガニスタンの子供たちがアフガニスタンの女子学校を爆破しているときに、麻薬など利益の上がる不正で富を蓄えたタリバーンのリーダーたちは、パキスタンの快適な住処に過ごし、自分たちの子供を良い学校に通わせていた。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(37)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace (平和を求める闘い)
6.3.最大の不安定化要素としてのパキスタン
 アフガニスタンを不安定化させる外国勢力の最大のものが、パキスタンである。2010年、オバマがアルカーイダと戦うためにパキスタンとの協力に注力していたとき、パキスタンは意気消沈したカルザイに密かにアプローチしていた。パキスタンISIトップのAhmad Shuja Pashaは、カルザイにアメリカを排除する契約を持ちかけた。それまでは、カルザイはパキスタンと対決するために熱心にアメリカに接近していたのに、方針を変えた。パキスタンは、アフガニスタンとアメリカの間に楔を打ち込むことが目的であった。カルザイは、2011年10月のテレビ番組で「パキスタンとアメリカの戦争など、神が許さない。しかしもし戦争が起きて、パキスタンが助けを求めたら、アフガニスタンはパキスタンに味方する。我々は兄弟brothersだ。」と言った。ほどなくタリバーンは6回にわたってアフガニスタンの民間人に自殺テロを含む大きな攻撃を加え、大量の死者を出した。2017年までに、私はパキスタンに行動を変えることを期待し続けることは、この何十年にもわたる経過の事実記録から、まったく馬鹿げていると信じるようになった。2017年6月6日、パキスタンが支援するタリバーンのテロリスト・グループHaqqani networkが、アフガニスタン最近の歴史で最大規模の大量殺戮を行い、カブールで150人が殺された。ちょうどその時、アメリカは$6B以上を軍事支援とパイプライン建設などの経済支援としてパキスタンに供与していた。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(36)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace (平和を求める闘い)
6.2.ガニ大統領とアメリカの協力
 ガニ大統領は、Time Magazineのインタビューで、アメリカが多くの軍隊をアフガニスタンに派遣して支援していること、戦争のコストが90%も削減したことを指摘しつつ、アメリカ軍の安全は、アフガニスタンの側に責任があり、アフガニスタンは引き続き非常に大きな責務を背負うつもりだ、と述べた。さらに、最近の18か月にアメリカ兵に50人以上の戦士者が発生し、それはまだ多すぎるとしたえうで、2011~2014年の間には2,300人もの死者が出てしたことを考えて欲しいとした。
 ガニ大統領は、アメリカがアメリカのアフガニスタン内のパートナーの信頼性と徳目virtueについても確信が欲しいことをよく理解していた。したがって彼は、ローレンス大使や駐在していたニコルソン将軍と一緒になって、懸命にアフガン国家改革の明確なビジョンとその効率的な評価法を具体化しようとしていた。カルザイと明確に違うのは、ガニはアメリカや他の援助者が、アフガニスタンに対して援助の条件を明示して欲しいと求めたことである。それは国家改革に動機付けを与えるとともに、ムジャヒディン時代のエリートたちが維持したい贔屓支援ネットワークを抑制できるからである。ガニは私に、まず防衛省と内務省、さらに国家安全保障局 National Directorate of Securityとして知られる諜報担当部門を強化したいと言った。そしてその上で重要なのは、法律をつくる機関と機能の確立である。
 ガニ大統領は、アメリカの影響を必要としていた。しかしアメリカの外交官と駐在軍司令官は、支援に条件を出すことを躊躇していた。問題の深刻さをよく理解していなかったのと、かつての植民地的支配国(イギリス、ソ連)のように民衆から反発されて蜂起されることを恐れていたからである。アメリカの影響力は、選挙されたアフガンのリーダーとともに、アフガンの主権を支援した。ガニは、アフガンの防衛省がアメリカのニコルソン将軍とともに、犯罪的ネットワークを抑えて、アフガン国民軍のリーダーたちの質をいかに大きく改善したかを訴えた。
 私はガニと、アメリカや他の支援国がどうしたらアフガニスタンの分裂を小さくし、統合を育むことができるか議論した。アフガンの人々はエスニック・グループのメンバーである以上に「アフガン人」だとアイデンティティを唱えるが、その一方で数十年にわたる戦争のなか、パシュトゥン・ナショナリズムとイスラム過激派との混成からなるタリバーンが出て、パシュトゥン主導勢力に反対するタジク、ハザラ、トゥルキクなどの少数派が立ち上がって対立を深めた。分裂はタリバーンに対する抵抗を弱めるだけでなく、イランやパキスタンなど外国がアフガンに介入して政治的影響力を増すことを助長した。
 アフガニスタンは、急激に都市化が進展しつつあり、コミュニティの相互連絡・結合が進みつつある。コミニケションはインターネットとソーシャルメディアで加速された。国民は63%が20歳以下で、若者はかつてなく世界と、また個々人の間でも結びつけられていて、彼らの知識は、もはや「先祖の地」の範囲にとどまらなくなった。

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コロナ騒動にみるわが国のパンデミック対応の反省点

 朝から晩までコロナ一色のテレビ報道が、もう一年半も続いている。ごく最近は1年延期した東京オリンピックの開催に反対との報道が喧しいことである。
 世界的にみると、ロックダウンを敢行したところもそうでないところも、コロナの感染の波動(サージ)は繰り返して発生している。わが国の場合も、オリンピックの有無に関わらず、きっと流行の波がまた発生するであろう。
 前回の1月から3月までの2回目の緊急事態宣言の経過をみても、すでに緊急事態宣言なるものの効果は疑わしいものであった。そして4月からの3回目の緊急事態宣言前になると、おそらく感染力の強いコロナウイルス変異株の効果が主要因となって、2回目をうわまわる規模の感染サージが発生した。そして感染者数のマクロな推移動向は、世界的に同じようなことが発生している。もっとも感染者や死亡者の絶対数においては、わが国は非常に少数ではある。
 緊急事態宣言などのロックダウン指向の対策の無意味さについては、最近データが追加されて、衆議院本会議でも話題に上っている(予想されたとおりマスコミは取り上げない)。わが国の50倍弱もの多くの感染者を出しているアメリカのデータだが、ノースダコタ州とサウスダコタ州、カリフォルニア州とフロリダ州の対比データがある。ノースダコタ州とカリフォルニア州は、ロックダウンを指向するような厳しい行動規制を実施した州であり、サウスダコタ州とフロリダ州は特段の厳しい規制をとらなかった州である。結果は、規制の有無に関わらず、ほぼおなじような感染状況の経過を記録している。すでに1月から3月までのわが国について、私自身が日本のデータを見て、同じようなことを考えていたが、さらに国を越えて状況証拠が積み重ねられたということである。導入すれば甚大な犠牲と被害をともなう緊急事態宣言のような措置を、わが国政府が悩みもせずに気軽に発令しているとは思わないものの、少なくともこのような措置の効果・有効性について、もっと真剣に精緻に評価して、その評価結果をしっかり国民に説明して、効果に自信を持ったうえで発令していただきたい。
 感染の基本的なメカニズムが、空気感染ではなく飛沫感染であるなら、マスク、手洗いなどの励行は効果が期待できるが、ソーシャル・ディスタンスや「三密」などは優先順位が低いはずである。人流制限なども同じである。さらに、最近感じるのは、緊急事態宣言のような「厳しい」対処については、いわゆる「コロナ疲れ」からか、解除したときに反動が生じて「安心」「弛緩」してしまい、むしろ感染を助長するような行動をする人が多発するという傾向がある。緊急事態宣言は、その措置そのものの問題だけにとどまらず、バックラッシュ効果まで発生してしまうようだ。
 緊急事態宣言で活動制限や営業制限を受ける業種に対しては、政府からの適切な補償が必要とされるが、これこそ言うは易く実現は容易ではない。事業規模に応じて、さらに経営実績に応じて補償すべきなのは正論だが、それを逐一評価・査定して補償を実行していくなどという事業は、とても複雑で準備調査と時間を大量に費やす。さらに事業会社に補償したとしても、従業員のひとりひとりまで行き渡らせることは、実際上不可能に近い。そのうえ人間は機械ではないので、普通に働いて稼ぎそれで生活するときには不安がなくとも、補償金で生活するときは、いったいいつまでこの非正常な生活が続くのか、補償がいつまで継続可能なのか、いろいろ考えこんで深刻な不安を感じてきわめて不快なのはごく正常な心理である。コロナ騒動が始まってから、自殺者数も大幅に増加している。
 これまでのコロナ騒動の経過を振り返って、パンデミック対策にいくつかの反省事項があげられる。
(1)パンデミック対策は、やはり国家安全保障政策の一環であるべきだ。軍事動員と同じように特殊事態として特別の国家的動員体制を組み立てる必要がある。そのためには、一定度の人権制限も必要である。対策措置強制の結果発生する当事者の損害に対する国家からの補助、補償も必要であるが、それが迅速に遂行できるためには、いまだ徹底していないマイナンバーの全面的導入や、広範囲の国民経済データの集中管理体制が必要となる。
(2)パンデミックに対する医療体制も大きく組み直す必要がある。わが国は世界的に多数のベッド数を確保しているにかかわらず、少数の感染者で医療崩壊が発生する、というのは異常である。公立病院の比率が低いために国や自治体が病院に命令が出せない、という意見があるが、すべての病院の経営を支えているのはわが国の充実した健康保険制度である。私立病院だから国の言うことは聞かない、というのは不当である。病院の多くを公立化すると、平時での非効率経営が蔓延して、別の深刻な不健全性が増加する懸念が大いにある。この問題こそ国会でよく議論して、よい方向への法的整備を着実に進めていただきたい。
(3)ワクチンの国産化を、将来のためにも積極的に進めることが重要である。古くは日本脳炎から、小児マヒ、インフルエンザ、子宮頸がんなど、多くのワクチンの国産メーカーが悪意とも思える心無いマスコミの報道で罪人扱いされ、裁判で敗訴を続け、ワクチン開発・製造側では、もう日本でワクチンなどコリゴリという風潮が形成された。やはりパンデミック対策の一つのキー・ツールたるワクチンを、自国で供給できないのは厳しい。幸いわが国は技術レベルとしては十分対応できるのに、有害なマスコミがそれを潰してきたのである。さらに今回のように急いでワクチンを開発する事態には、トランプ前大統領が発動した「オペレーション・ワープ・スピード」のような、軍事的アプローチで短時間にワクチンを開発達成するシステムをくみ上げることも重要となるだろうが、ここまで一気には手が付けられないだろう。我々が獲得すべきは、まずワクチンという本当は有効で必要な手段のメリットとリスクを正しく理解し納得して、冷静に対応することである。副反応を喧伝し過ぎてワクチンとそのメーカーの開発部隊を破壊したり、また正反対にワクチンさえあればすべてが一気に解決すると喧伝したりする憎むべき愚を、二度と繰り返してはいけないのである。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(35)

第3部 South Asia
6.Fighting for Peace (平和を求める闘い)
6.1.変わろうとしているアフガニスタン
 アフガニスタンは現代の文明と野蛮のフロンティアであるが、南アジアが、アメリカが認知するテロリスト・グループの20以上が育ったところであること、を理解しているアメリカ人はほとんどいない。その生育環境は、弱い国家機構、誘い出しやすい多数の若者、パキスタンのISIの存在、支配の行き届かない隠れやすい地域的特質、多数の部族が競合してテロリスト・グループが支援を受け易いこと、麻薬やその他利益の大きい犯罪のチャンス、カネ・武器・ヒト・麻薬の国境を越えた流れ、などで特徴づけられる。地理的にアフガニスタンとパキスタンの国境山岳地帯は、外部からのアクセスが容易でなく、インド・中央アジア・ロシア・中国・ヨーロッパ・中東に囲まれて、ジハードの養成基地として理想的な場所である。ムハンマドの言行録Hadithによれば、イスラム軍がコーカサスから興って、この地域を行軍してエルサレムを征服した、とのイデオロギー的な誘引条件もある。
 アフガニスタンは、現在のガニ大統領Mohammad Ashraf Ghaniの現実的で着実なビジョンと努力もあって、多くの困難を抱え多大の犠牲を払いつつも、まともな国家に成ろうとしている。タリバーンをカブールから追い出したのちは、2017年までに数十万人の避難民が戻り、カブールは100万人程度の人口であったのが今では500万人に近づいている。帰国した人々のために社会サービスも拡大してきた。2018年10月の国民議会議員選挙では、有権者の45%が投票した。2019年はタリバーンの攻撃が恐れられて投票率は下がったが、それでも殺される危険のなか27%が大統領選挙に投票した。まだまだ大変な問題が山積しているが、これまでの努力は無に帰したわけではない。アフガニスタンが、2001年のタリバーン排斥以来、劇的に変化を遂げてきた国であり社会であることをアメリカは知らない。教育、技術、女性の権利などがとりわけ著しく変わった。2001年以前は男子のみで100万人に満たなかった初等教育が、2017年には女子含めて930万人になったとUNESCOが認定している。大学教育も、2019年には公立・私立あわせて30万人が進学している。
 人口の80%がモバイルフォンを使えるようになった。インターネットへのアクセスも、2013年から2018年の間に4倍に増加した。近隣諸国(イラン、パキスタン、中央アジア諸国)のなかでは、今では出版の自由がもっとも進み、タリバーン政権下時の暗黒時代と著しい対比を示している。2019年までに、カブールでは96のテレビチャンネル、65のラジオ局、911の印刷出版物があり、地方では107のテレビチャンネル、284のラジオ局、416の印刷出版物がある。タリバーン政権時には、女性は教育を否定され、身内の男性同伴なしで外出したり親族以外の男性と話すあるいは電話すると厳しく暴力的に処罰された。今ではアフガン法により、国民議会議員は25%を女性が占めることとなり、2018年10月の国民議会議員選挙に417人の女性が立候補した。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(34)

第3部 South Asia
5.A One-Year War Twenty Times Over: America’s South Asian Fantasy(1年の戦争を20回以上: アメリカが抱く南アジアの幻想)
5.6.アメリカはアフガンに対していかに対応すべきなのか
 私は、1980年代のアメリカの戦略を思いだした。アメリカCIAはソ連のアフガニスタン占領に抵抗するアフガンのムジャヒディングループを、パキスタンのISI(軍統合情報局 Directorate for Inter-Services Intelligence)を介して支援した。2001年には、アメリカの特殊部隊がHamid Karzaiの部隊を含むアフガニスタン北部同盟Northern Allianceを支援した。CIAは、資金、武器、諜報、空軍支援などを供与して、苦心してムジャヒディングループと良好な関係を構築した。時を経てその同じCIA将校が、こんどはアフガニスタン国の強化と汚職撲滅の改革を目指しながらも、やはりテロリスト・グループとの対決に必要な武装集団との密接な関係の構築に励んでいる。しかしこれは、とても危険な御都合主義的な行動でもある。何年も経過して、同じ危ういことを繰り返しているのである。
 南アジアは地理的に、テロリスト・グループが世界に向けて始動する震源地として絶好の場所にある。テロリスト・グループを無くすためには、この地域が最重要の場所となる。もしアフガニスタンがテロリスト・グループに支配されてしまうと、古代メソポタミア三日月肥沃地帯の神権支配帝国のようなものができてしまうかも知れない。テロの攻撃サインをインテリジェンスが逐次察知して、遠方からそれを逐次撃つというような、狭義のテロ対策ではまったく不完全なのである。アフガニスタンにしっかりした政府をつくって安全保障すること以外に、テロリスト・グループの発生を防ぐ手段はない。
 現在も39か国が集まってアフガニスタンに関わっているが、アメリカがいつまで撤退せずにアフガニスタンに居るのか方針が揺らぐと、当然ながら他の国々が疑心暗鬼になり、長い期間にわたってアフガニスタンに関与し責任を分担することに躊躇するようになる。イギリスのチャーチルの箴言に「仲間と戦うことよりも悪い唯一のことは、仲間なしに戦うことだ」とある。
 アメリカにおいて、アフガニスタン戦争は、ほとんど国民に対して報道もされず、理解もされていない。アフガンの人々、アフガンの兵士たちが彼らの自由の獲得・維持のためにタリバーンと戦っていることすらも、アメリカ国内で知られていない。アフガニスタンでの戦争は、近年の歴史上もっとも知られず理解されていない戦争なのだ。
 テロリスト・グループについても、ほとんど理解されていない。ISISがタリバーンやアルカーイダと衝突したりすることもあるにはあるが、彼らは互いに似通った目的・目標を共有しているし、関わる人材も複数のグループに同時に属する場合も多く、役割分担・協力関係と理解する方が実情に近い。それぞれのテロリスト・グループの間に線を引いて、分類しようとするアメリカ人は多いが、そもそもそんな「線」など存在しないのだ。
 2014年オバマ大統領は「戦争は終わった」と演説して、アフガニスタンからのアメリカ軍の撤退を開始させたが、実際は多数のアメリカ兵士がアフガニスタンでまだ闘っていた。アフガニスタンのアメリカ軍兵士は、かつての100,000人から2017年3月までに8,400人に減少した。アメリカ軍は戦い方を大きく制限され、その結果タリバーンとその仲間のテロリスト・グループにチャンスを与えた。アメリカの軍事行動と外交行動の関係も、バラバラであった。2009年から、国務省は宣言した軍事的撤退を徐々に実行するかたわら、タリバーンと受け入れ可能な和平を模索して交渉を続けてきた。その上、オバマは「タリバーンはもはや敵ではない」と公言までした。これでアメリカ軍は、タリバーンに対する諜報活動も、攻撃も、空爆もできなくなった。タリバーンは、ますます自信を強めて強硬になっていった。アフガン兵士たちのアメリカ兵士に対する信頼も揺らぎ始めた。パキスタンの支援を受けて、タリバーンやその他のテロリスト・グループによるアフガン市民への攻撃も激しくなった。アフガンの国軍Afghan Security Forceは、2015~2016年に少なくとも13,422人が殺害され、24,248人が負傷した。他に少なくとも4,446人の一般市民が殺された。
 アメリカがアフガニスタンから求められているのは、長期間にわたるコミットメントであり、外交と軍事の整合性である。残念ながら、これまでのアメリカのアフガニスタン政策は、この真逆であった。パキスタンのISIがタリバーンや他のテロリスト・グループを支援する限り、アメリカはパキスタンに牽制のシグナルを送るとともに、アフガニスタンを支援しなければならないだろう。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(33)

第3部 South Asia
5.A One-Year War Twenty Times Over: America’s South Asian Fantasy(1年の戦争を20回以上: アメリカが抱く南アジアの幻想)
5.5.ポスト・タリバーンのアフガン国家構築の失敗
 アメリカは、ポスト・タリバーンのアフガンの安定化にかんして、はじめから努力がたりなかった。ポスト・タリバーンのアフガンが、再びテロリストの避難・養成場所にならないためにもっとも重要な、しっかりした後継の政権を真剣に考えることが欠如していた。国連の保護の下、2001年12月のボン会議で新政府の手続きを審議し、アフガンの伝統的公式会議Loya JirgaでカルザイHamid Karzaiを暫定大統領に選出した。アメリカは引き続きアフガニスタンを、テロから護る役割を担うことになった。light foot-printアプローチの主唱者Rumsfeldは、1つの旅団にも満たない少数の部隊をBagramとKandaharの2つの基地に残した。George.W.Bush政権の国防長官ラムズフェルドRumsfeldは連合軍司令官Dan McNeil将軍とともにHamid Karzai大統領と並んで「我々は明確に戦闘の時期を終わり、安定と再建の時期に入った」と宣言した。このとき人々の関心は、2か月前にブッシュ政権下に始まったイラク戦争に向けられていて、アフガニスタンや南アジアを注視して有効な戦略を考えることはなかった。51か国もの国際協力を得ながら、アフガニスタンの戦争は、タリバーンやアルカーイダが再生してきたときでさえ、十分な資源が投入されることがなかった。
 しかしこの初期の弱々しくバラバラの再建努力の後、ブッシュ政権は方針転換して、アフガニスタンを機能させるための大型プログラムをはじめた。今度は大量の資金がアメリカ、国際協力、そして民間から投入された。ところが、アフガニスタンが持て余すほどの資金注入は、こんどは有効利用を不可能にした。受け手のアフガニスタンの側に、賄賂、不正利用、無駄遣いをはじめさまざまな問題が発生した。資金が回りまわってタリバーンに届くことさえあった。存在しない兵士や職員に給与が支払われたことにするなどの不正は通常化し、アメリカの支援職員も見逃さざるを得ないこともあった。国家開発計画にかんしても、先進国が勝手に想定する集権的な政治システムが、アフガニスタンの伝統的分権システムと適合しないことが明確になった。信頼できる治安維持が保証されないなかでは、アフガンの人々は結局群雄割拠の武装集団や犯罪ネットワークに依存せざるを得なかった。しっかりした状況把握にもとづく明確な戦略と計画を欠く援助は、決して成功できないことがまたも明確となった。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(32)

第3部 South Asia
5.A One-Year War Twenty Times Over: America’s South Asian Fantasy
(1年の戦争を20回以上: アメリカが抱く南アジアの幻想)
5.4.アフガンの混迷とタリバーン政権の出現
 1880年以来カブールにはArgという王宮があり、歴代のアフガン統治者が住んだが、今は空き家となって、アフガニスタンの波乱混迷の近代を展示する歴史博物館となっている。1989年ソ連が去って、支援者を失ったアフガンは飢渇した。1992年、反共産主義のムジャヒディングループが最後のソ連寄りリーダーMohammad NajibullahをArgから追い出し、同じ集落complexにある国連事務所に追いやった。長い内戦の間、アフガンの人々は武装グルーブや凶漢の餌食となって苦しんだ。多くのアフガンの武装部族は、犯罪的集団に率いられ、人々を脅すのみならず、殺人、拷問、レイプ、残虐な小児虐待を行った。そのころタリバーンは、混乱を終息し犯罪をなくすと民衆に向けて宣言していた。
 1996年、タリバーンはパキスタンの支援を得て、カブールを制圧した。Argを占拠し、オマール師Mullah Omarを「完全なイスラム国」のリーダーに据え、「完全なイスラム制」を厳格に人々に強制した。国連事務所からMohammad Najibullahとその親族を引きずり出し、拷問し虐殺した。アフガンの人々は秩序を希求していたが、タリバーン政権はムスリムの厳格な教義にもとづく新たな無慈悲な暴力的支配を実施した。タリバーン政権がカブールとアフガンの大部分を掌握したとき、主にタジク族、ウズペク族、ハザラ族から成る数千人の部隊が、マスードAhmad Shah Massoudに率いられてアフガニスタン北部を制圧し「北部連合」を結成して、タリバーン政権に対して反乱を起こした。タリバーンとアルカーイダは、数年間Massoudの殺害を図り、試み、ようやく2001年9月9日、アルカーイダがテレビ・ジャーナリストに扮した自爆テロリストの暗殺者を使って、Massoud殺害を達成した。
 2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件の直後、10月の「不朽の自由作戦」でアメリカがアフガンに介入し、カブールからタリバーンを追い出した。これはアメリカの特殊部隊、CIA、空軍の空爆の組み合わせによるアメリカ側の被害が少ない短期間の戦術でlight foot-print approachと呼ばれ、以後アメリカが好む常套的戦術となる。
 2001年12月、Osama bin Ladenは5,000人ほどのテロリストとタリバーン戦士たちとともに、パキスタンに逃げ込んだ。アメリカ軍総司令官Tommy FranksとSecretary of Defense Donald Rumsfeldは、速やかにタリバーンを排斥してアルカーイダを壊滅させようとした。しかし大軍を長引く反乱に投入するのを躊躇したことが、Osama bin Ladenとタリバーンとアルカーイダがパキスタンの支援を得て勢力を復活するという、彼らが最も避けようとした事態をもたらす結果となった。2001年から2007年の間、定まらない、かつ不十分なアメリカの戦略は、テロリストの再生に必要な時間と場所を与えた。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(31)

第3部 South Asia
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5.3.アフガニスタンのアメリカに対する懸念
 私たちの乗った航空機がカブールに着陸すると、私はここへ帰ってきたことが嬉しかった。5年前に24か月の任務を終えて、ここへ立ち寄ったのだった。その任務はアフガニスタンでの成功のための大きな壁である贈収賄corruptionと組織犯罪organized crimeへの対策であった。この2年間の仕事で、私はアメリカ軍とその文民統制側の両方が、政治的成果を持続させるに有効な現実的戦略ができていないことを確信した。
 カブール空港から大使館と軍本部がある集落complexまで、わずか2.5マイルだが、通常の交通が不可能なまでに危険に晒されている。この事態を、撤退を主唱する人たちは、戦略の欠如ではなく軍が居ることが無意味とのサインだとする。このときカブールには正式のアメリカ大使が任命されておらず、ヒューゴ・ローレンス代理公使charge d'affaires Hugo Llorensが大使館に詰めていた。彼は、アメリカのアフガニスタン政策に不安が募りつつあるという。彼が心配するのは、タリバーンのアフガンの都市での大量虐殺が頻発していることでも、2015年9月Kunduzや2016年9月Tarinkotなどへの大規模攻撃でも、さらにアフガンの田舎地域でのタリバーンの勢力増強でもなく、アメリカからの明確な意思表示がないこと、アメリカのアフガニスタンに対する戦略がよくわからないことだという。それはタリバーンを勇気づけ勢いつけ、アフガン政府とアフガン国民の自信を失わせている。彼はまた、アメリカが非現実的な期待を抱くがために行動を弱めているのではないか、と懸念している。アフガニスタン政府は、国を弱くする贈収賄などの政治腐敗を抑制しなければならないのというのは正論だが、現実には限度がある、とも。
 私は2003年にはじめてアフガニスタンを訪れてから強く感じているのは、アフガン政策が楽観過剰から、悲観・諦観的敗北主義的に大きくシフトしたことだ。Hugoと合意したことは、我々は状況を正直に評価して、南アジアがアメリカや他の国々の市民を襲うテロ組織たちの培養地・基地と二度とならないように、現実的な戦略を立てることが必要だということである。その戦略は、アメリカ国民が受け入れられるコストで、必要なだけの期間持続可能なものでなければならない。
 1989年1月ソ連軍が撤退を終えた後、ムジャヒディン(ジハード主義ムスリム)からタリバーン政権が発生し、そのなかからさらにアルカーイダが発生した。それから2001年までの11年間、アフガニスタンの政権掌握を争うアフガニスタン内戦が続いた。アメリカ大使館の建物が残っているが、1989年のソ連完全撤退にともないアメリカ大使が立ち去って、住民がいない建物となっていた。アメリカ軍がカブールを奪還した2001年にここを訪れたとき、大使館舎の管理人Hamid Mamnoonは「1989年以来、国際社会がアフガニスタンを忘れてしまって、とても悲しかった。ようやく今は、国際社会がアフガニスタンを忘れていないでいてくれて、とてもうれしい」と言った。2017年まではつつましかった旧大使館の建物は、今では近代的に立派になり「アメリカはアフガニスタンの戦争をこうして見まもっている」との可視的な象徴となっている。しかしアメリカは、アフガニスタンでの使命に深刻な疑義を抱き、繰り返してアフガンからの即時撤退を表明して、アメリカ人もアフガン人も困惑しているのが現実である。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(30)

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(1年の戦争を20回以上: アメリカが抱く南アジアの幻想)
5.2.アメリカのアフガンに対する戦略的ナルシシズム
 ベトナム戦争では、わが軍の兵士たちは、自分たちにどんなリスクがあり、どんな価値ある結果のために犠牲を払うのか、よく理解しないままにリスクを背負い犠牲を払った。もし戦う目的が「撤退」であるというなら、どうして兵士たちは命をかけて戦うだろうか。まず大統領が、戦争でなにを達成したいのか、明確にする必要があった。
 私は、現地の状況を聴取するために、2017年4月南アジアに行った。諜報部門、国務省、DOD、財務省、NSCのそれぞれの担当官が関係者として私に同行した。さらに私は南アジアの専門家Lisa Curtisを採用した。
 2009年以来、オバマ政権と国務省は、宣言した軍隊撤退を実行しながら、タリバーンと和平条約の締結を折衝していた。その関連書類を読むと、ワシントンの官僚が、タリバーンは相対的に穏健な組織であり、アフガニスタンと権力を共有し得る、ジハード・テロリスト組織とは縁を切れるグループであると判断している。これこそ戦略的ナルシシズムの典型で希望的観測の最たるものである。
 アンドリュース空軍基地から離陸した機中の会議で、私は、タリバーンは反動的、無慈悲、非人道的、女性蔑視の組織であり、アルカーイダや他のジハード主義テロリスト・グループに深く介入していることをメンバーに説明した。テロリスト・グループはアフガニスタンやパキスタンの奥まった地域で麻薬を栽培し、販売網をつくり、組織化して、豊かな財源を構築・保有して豊かで大きな存在となっており、攻撃の訓練もできる。麻薬は、テロリスト・グループの強みであり、アフガン政府の弱みである。政府の官僚が安易な金蔓に抵抗できないのである。
 しかしチーム内の何人かのメンバーが、あまりに安易に「撤退─交渉」戦略という圧倒的な幻想に熱烈に賛成することがすぐにわかった。彼らは、悔い改めたタリバーンが、厳格なSharia lawのもとにイスラム帝国を構築する、という彼らの目的を捨て去る約束ができる、と空想しているのだ。彼らは、2001年9月11日に3,000人近くの民間人を殺し(アメリカ同時多発テロ事件)、長い間戦争に苦しむアフガンの人びとへの暴力を長引かせているアルカーイダを支援してきた現実の残虐なテロリストたるタリバーンとではなく、彼らが空想する改心した敵タリバーンと交渉しようとしているのだ。
 私は、我々の南アジアへの旅が、南アジアの状況へのより高度で深い思い入れにつながり、我々の敵への理解がより深まることを期待した。戦略を形成する基礎は、その前提条件の発掘と挑戦にある。私はチームメンバーに、来るべきカブールでの議論をもちいて、アメリカの南アジアに対する幻想の4つの前提条件を検証して欲しいと頼んだ。
①狭義の対テロリズムのみのアプローチとして、諜報から組織の攻撃のサインと突撃の情報を得て、それを防ぐことでアメリかへの脅威を除く。
②タリバーンは、アメリカとその同盟国、および外国にいる市民を脅かすアルカーイダや他の国境を越えるテロリスト・グループから、紛れもなく分離した組織である。
③タリバーンは、たとえ強い勢力をもっていても、たとえアメリカが退却したとしても、誠意をもってアメリカと交渉し、暴力行為を終わらせることに合意する。
④パキスタンは、アメリカが支援することと外交的要求が満たされることを前提として、タリバーンと他のテロリスト・グループへの支援をやめる、あるいは大きく減少する。

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