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2021年7月

H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(55)

第5部 Iran
10. Forcing a Choice (選択を強いる)
10.1.イランに選択をせまるか、和解を求めるか
 2017年10月、トランプ大統領はイランに対する政策転換の方針を演説したが、方針転換はいつでも、どの内容でも容易ではない。とくにその転換がイランに対する方針の重要な転換であるから、なおさらであった。まだ政府内にもアメリカ国内にも、イランとの和解に固執する勢力がいた。私はイランには、責任ある国家として振る舞い、その責任ある行動に相応の利益を得る道を取るのか、あるいは破壊的で不安定化をもたらす代理勢力destabilizing proxyを雇い続けるのか、いずれかを選択させるべきだと考えていた。しかしオバマ大統領のように、イランに選択を強いるのではなく、和解を試みて対立を避けることに優先順位を置くべきだとする人もいた。
 2019年秋、アメリカがイラン核合意から離脱して1年半が経過したころ、イランの原油輸出、原油価格、イラン通貨が激減すると、イランはサウジアラビア、UAE、ノルウェー、日本のタンカーを攻撃し、サウジアラビアの石油施設をドローン攻撃し、アメリカのドローンを撃墜した。これらの事件は、アメリカにイランが変革する可能性も、イランのリーダーたちが代理勢力による戦争をやめる可能性も、ともにないことを確信させた。 JCPOAで約束されたことを、イランが遵守する見込みも期待できないだろうと、関係各国も思っただろう。イランはあくまで目的達成のために外国への攻撃をやめず、同時に世界からは責任ある国としての扱いを求め続けている。ただメディアには、そうなった要因は、主にアメリカが核合意から離脱したためだ、としてハメネイのイランより、トランプのアメリカを責める論調が多かった。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(54)

第5部 Iran
9. A Bad Deal: Iran‘s Forty-Year Proxy Wars and the Failure of Conciliation
(悪い取引:40年間の代理戦争と懐柔の過ち)
9.4.問題の正しい把握と正しい判断のために
 イランのいわゆる穏健派というのは、アメリカと西側の人々の想像の上にだけ存在し、イランの国内にはほとんど実在しなかった。2002年8月、イランからの亡命者の情報として、イラン国内にウラン濃縮施設と民間の原子炉があることが判明した。アラブ全体を支配しかねない最終兵器の存在可能性が課題に上った。ブッシュ政権は、スンニ派中心でアメリカのキリスト教徒とユダヤ人へと同じくらいシーア派のイランに敵対するかも知れないアルカーイダへの対策について、イランと共同できないかを探り始めた。2003年アメリカがイラクに侵攻し、イランが8年かけて達成できなかったサダム・フセインの征伐をアメリカが成し遂げたことで、イランが次の討伐対象になることを恐れたイランは、アメリカのアルカーイダ対策の提案に乗って会話の席についた。しかしイラン革命防衛隊は、アメリカと同調せず、アルカーイダに安全地帯を与え、アルカーイダがアメリカやアラブ諸国を攻撃するのを支援した。イランはさらに、イラクで宗派対立の内戦を起こし煽るのにアルカーイダを利用するとともに、元バース党の残党を取り込んで強力な代理勢力proxyを造りだし、イラクの政権内に入り込ませた。アメリカのイラク侵攻戦争の戦後処理の失敗が、イラクにイランの革命防衛隊IRGCとイラン情報省 Ministry of Intelligence (MOIS)に対して、つけいる隙を与えてしまったのであった。イランの秘密工作員やスパイは、無防備のイラク国境を自由に行き来して活動した。
 アメリカがイラクで増加する反政府暴動などに苦労しているうちに、イランはアメリカを以前ほど恐れなくなっていった。そしてイランのアメリカ人への狙撃・攻撃は激化して、アメリカ人の被害も増加していった。しかし、現地のアメリカ兵やアメリカ人から対策を訴える声が増加しても、ワシントンの反応は鈍かった。ずっと後のオバマ政権・トランプ政権でさえともに、アルカーイダとタリバーン、そしてパキスタンはそれぞれ別ものだという自発的妄想self delusionがワシントンを占めている。
 ブッシュ政権は、イランのリーダーたちは彼らの代理人たちがイラクで何百人ものアメリカ人を殺しているのを、単に知らないだけだろう、という信じがたい理論implausible thoryに耽っていた。狂暴な路上爆破用簡易爆弾EFP(explosively formed penetrator)などの動かぬ証拠を見せつけられて、ブッシュ大統領は「我々が知らないのは、イランのトップが実戦部隊にその所業を命令したのかどうかということだ」と言ったという。これらの心外な記事を、私はイラクで第3次派遣大隊として滞在中に読んだので、鮮明に覚えている。バクダッドの南部にいた私の部隊でこのような死者の数が多く、状況からみて高度に訓練された武装集団の仕業であり、もとの指令者たるイラン革命防衛隊などが知らないはずはないと確信している。2003年から2011年の間に、600人以上のアメリカ兵が殺され、その17%がこのような被害であった。テヘランでのイランとの協力打診の会談など、イランの破壊行為の減少にも、イラン内の改革派の強化にもならなかったのである。
 このあと、イランの延々と続く執拗なイラク、アメリカ、イスラエル、さらにイギリス、レバノン、南米、その他世界各国へのテロ行為や爆破、ロケット・ミサイル攻撃などの実例が挙げられている。その間、少しでもアメリカと交渉の余地があるかのようにアメリカに持ちかけると、オバマ政権は呆れるほど同じように、関係改善の可能性に期待して、資金を供与したり、イランに対する作戦を中止したりして、しかし毎回結果は裏切られる、ということの繰り返しであった。まさに戦略的ナルシシズムと希望的観測の驚くべき繰り返しである。しかもそれを繰り返すほど、イランはアメリカを組し易い相手と考えて、自信を増しているようである。
 制裁緩和が、イランの振る舞いだけでなく体制の本質を変え得ると信じるのは、ナルシシズムにもとづく想定、つまりアメリカの行動がイランの態度と振る舞いの主要な要因であるという憶測に立つ根拠のない空想に過ぎない。イランの政治体制の構造は、簡単に理解できるものではなく、アメリカからは無視されているのである。我々のイランに対する戦略が役に立たないのは、自発的妄想self delusionの結果だからである。イランの歴史、イデオロギーを理解し、イランのリーダーたちの怨念・熱情を過小評価してはいけないのである。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(53)

第5部 Iran
9. A Bad Deal: Iran‘s Forty-Year Proxy Wars and the Failure of Conciliation
(悪い取引:40年間の代理戦争と懐柔の過ち)
9.3.繰り返され拡大するイラン代理勢力の暴虐とテロリスト組織支援
 1983年10月、イランの指図を受けたテロが、自動車に爆薬を積載してレバノンのベイルート・アメリカ海兵隊兵舎に突入する爆破事件が発生し、241人が殺された。これ以後も、イランは人質をとる攻撃をしばしば実行している。
 1980年代後半は、イラン-イラク戦争で国内が荒廃する一方では、事業家・政治家・宗教家であるラフサンジャニ大統領Hashemi Rafsanjaniが、厳格なイスラム主義を少し緩和して経済再建を図り、アメリカとの関係の改善を図った。しかし所詮圧倒的影響力を維持したのはイスラム保守派のハメネイであり、関係改善は進まなかった。イスラム革命防衛隊は、ヨーロッパでテロリスト・グループに武器を供給して養成していた。1989年には、イラン代理勢力がクルド人レジスタンス運動の指導者をウィーンで殺戮した。同じ年、ハメネイはイギリス在住の作家ラシュディーSalman Rushdieがムハンマドを冒涜した罪で殺戮を命じる命令を出した。
 ヨーロッパ諸国とイランとの経済関係がひろがると、レバノン人のイランが支援するテロリスト組織ヒズボラHezbollahがグローバルに成長した。1989年イギリスで、ラシュディー殺害未遂、1992年アルゼンチンのイスラエル大使館爆破事件(22人死亡)、1994年アルゼンチンのユダヤ人居住区爆撃(85人死亡)、ケルンからパナマに向かう航空機爆破事件(搭乗者21人死亡)、1996年サウジアラビアのKhobar Towers complexへのヒズボラによる爆撃(アメリカ軍人19人死亡)などの国際的テロをイランは実行した。いずれもイランの常として、ハメネイはイランの関与を否定している。
 アメリカの戦略的ナルシシズムは、イランの攻撃に対抗することへの不熱心さとして続いている。2001年の初め、G.W.ブッシュ大統領は、イスラム共和国のなかにも改革派や穏健の価値に気づいている人たちがいて、関係改善は期待できる、と言っていた。そのあと起こった9.11アメリカ同時多発テロ事件は、共通の敵としてアルカーイダやタリバーンに対するイランとの共同作戦の機会があると思われた。2001年10月アメリカのアフガン侵攻のとき、イランとアメリカは外交的にアフガンでの政治的協調について話し合った。しかしそんな関係はごく限られた範囲で長続きもしなかった。2002年1月ブッシュ大統領は、イラク・北朝鮮に加えて、イランを「悪の枢軸axis of evil」と批難した。イランは外交的接触を停止した。さらにもっと深刻な要因として、イランの核開発が国際的に知られるようになり、イラン代理勢力による戦争の激化とともに、アメリカとイランの関係が次のフェーズに入ったのであった。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(52)

第5部 Iran
9. A Bad Deal: Iran‘s Forty-Year Proxy Wars and the Failure of Conciliation
(悪い取引:40年間の代理戦争と懐柔の過ち)
9.2.イランのアメリカおよび西ヨーロッパに対する深い憎悪
 2019年夏、イランは再開された経済制裁の影響下、経済の低迷に苦しんだ。2018年から2019年の間に、GDPは+3.7%から-3.9%、原油輸出は1日当たり2.3Mバレルから1.1 Mバレル、インフレーションは9%から40%になった。
 イランのリーダーたちの選択肢は3つであった。
①しばらく耐えて、アメリカやその他の国が経済制裁を停止するのを待つ。
しかしヨーロッパなどの取引先もアメリカの金融システムに依存していて、制裁の迂回は困難であり、制裁の圧力は時間の経過とともに大きくなっていった。
②アメリカや他の諸国と交渉を開始し、テロリスト組織やイランの代理勢力への支援を停止することを約束して制裁の解除を求める。
しかしイランの現在の体制では、この選択肢を採用する可能性はきわめて低い。
③アメリカをはじめヨーロッパ、湾岸諸国など敵対諸国に対する攻撃を強化する。
つまり脅威を強めて脅しで制裁を解除させようとする。
 2019年6月、日本の安倍首相が40年ぶりにテヘランを訪問した。2011年福島原発事故以来、安価な石油需要が上昇し、国内産業のために原油の確保が訪問の目的であった。首脳会談の冒頭にローハニ大統領は「我々が緊張関係に陥るとしたら、それはアメリカが仕掛けている経済戦争のせいだ。もし戦争が止んだら、中東も世界も大いに繁栄できるだろう」と言った。安倍首相はトランプ大統領のメッセージを伝えたが、ハメネイは返答を拒否した。ローハニとハメネイが安倍首相を接待している最中に、イラン革命防衛隊の艦艇は日本のタンカーに接近し攻撃し、アメリカ海軍が急行した。その1時間前には、ノルウェーのタンカーも攻撃されていた。
 アメリカ政府の6つの部署にまたがる対イラン政策は、戦略的主観化srategic empathyによりイランがどのような歴史的記憶、感情、イデオロギーでイラン政治体制が動いているのかを理解することが欠けていた。有効な対イラン戦略のためには、これまでの間違った核合意の背景にある誤った前提条件を再検証して反省し、1979年以来のイランの敵視に対する一貫性を欠く戦略の見直しが必要である。
 中国の経済的繁栄が中国の経済と政治に自由化をもたらすと考えたと同じように、オバマ大統領は、イランに制裁緩和の利益を与えれば、イランは経済と国民をもっと大事にするだろうと考えてJCPOAを推進し、イランの行動の変化を期待した。
 同じ誤りは、30年前にあった。ジミー・カーター大統領も、1979年西洋に対するいかに深い反感・憎悪がイラン革命を動かしたのか、理解できなかった。ともかくイランとの関係構築・維持が、ソ連との冷戦に必要と考え、カーター大統領はイスラム革命の反アメリカの叫び声にも、ホメイニが国民を苦しめていることにも眼を向けなかった。そしてテヘランのアメリカ大使館での444日にわたるアメリカ人人質事件が発生した。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(51)

第5部 Iran
9. A Bad Deal: Iran‘s Forty-Year Proxy Wars and the Failure of Conciliation
(悪い取引:40年間の代理戦争と懐柔の過ち)
9.1. JCPOA :Joint Comprehensive Plan of Action イラン核合意(2015 Iran Nuclear Deal)
 イラン核合意には、大きくは2つの重大な問題がある。
①現実的・具体的問題として、核そのものではないが核兵器を搭載して核兵器の能力を強化するミサイルなどの関連兵器については、何の制限もないこと。さらに「日没条項sunset clause」という規定により2025年以降の核兵器開発には制限がないこと。
②経験的重大懸念事項として、アメリカとその同盟諸国にとって、イランが信用できない国であり、本質的に条約を遵守しない見込みが大きいこと。
 現実にも、2015年オバマ大統領がこの条約にサインするとき「これまで締結されてきた合意のうち最も強力な核拡散防止条約である。IAEAは必要なとき、いつでも、どこの場所でも監査ができる。」と高らかに発言したが、そのインクが乾かぬうちにイランの核エネルギー組織のスポークスマンは「条約のなかには、IAEAの査察をすでに許可したとは、一言も書かれていない」と声明を発した。イランにしてみれば、核開発にかかわる各国の経済制裁を免れかつ多額の支援金を得て、先ずイラン政権に必要な資金を獲得し、核兵器獲得の時間の経過を待つという方針なのである。核開発を保留する見返りにイランが要求する、制裁緩和などのあらゆる条件がすべて満たされない限り、合意内容のすべてを拒否できる、という立場を公言している。2016年、トランプが大統領選挙運動中に何度も「これは最悪の取引だ。敵を強めさせ、アメリカの利益と影響力を削ぐ、基本的な誤りの合意だ。あまりに僅かなことのために、あまりに多くのことを失うものだ。」と言ったのは、意味のないことではない。
 このJCPOAこそ、戦略的ナルシシズムstrategic narcissizmの極端なまでの典型であり、希望的観測wishful thinkingにもとづく自発的妄想self delusionによるものであり、結局はアメリカ国民を欺くものであった。あからさまに敵対的であることを隠さない相手に、真剣に約束を遵守することは期待できない、と考えるのが出発点だ。相手が求める経済制裁を緩和しさえすれば、体制をあらためて、国民に対して責任を取るようになり、もはやテロリスト組織を支援することをやめると期待することこそ、希望的観測であり自発的妄想なのだ。イランがテロリスト組織やイランの代理勢力Iran‘s ploxyへの支援をやめるように説得することから程遠いJCPOAは、まったく真逆の効果となる。この取引はイランに、先ず$1.7Bの現金支払ったのち、さらに$100Bを投入するものだ。これにさらに経済制裁解除が上乗せされる。これでイランはますます代理勢力やテロリスト組織に資金を流して、中東の宗派対立抗争を拡大するだろう。
 トランプ大統領は、とんでもない取引からともかく離脱したいとの意向であったが、私はアメリカの安全保障と繁栄に対するイランの広範囲な挑戦に向けて、包括的な選択肢を提案したかった。合意離脱がもたらす影響についても、よく考えなければならない。もし他国がアメリカの離脱が正しくないと考えるなら、イラン制裁の効果は緩和されてしまうだろう。トランプ大統領が離脱したがっていることをみんなが知りながらもアメリカがJCPOAに残るならば、監査の強化や追加制裁など約定の過ち・不足部分を修復するのを他国が助ける影響力となる可能性がある。離脱の前に、先ずはどこまでできるか、見ようではないか。
 私はまた、アメリカの離脱が、アメリカを守勢に立たせ、イランの犯罪性、暴虐性からひとびとの関心を逸らせてしまうことを懸念した。アメリカで教育を受けた弁舌さわやかなイランのザリーフ外相Mohanmmd Javad Zarifは、とくにヨーロッパでトランプ大統領が攻撃的で感情的な印象をもたれていることを利用して、イランこそが傲慢なアメリカの犠牲者だ、イランの経済低迷はイランの政治のせいではなくアメリカのせいだ、と責任転嫁することが想定された。
 そういう理由で、私はトランプ大統領に、すぐに「留まるか、去るか」ではなく、彼の閣僚に少し時間を与えて、イランに対する包括的な政策を検討させたうえで選択肢を決めることを提案した。あわせて政府内のイラン・中東・核問題のそれぞれの専門的担当責任者に、包括的なイラン戦略を検討・提案することを依頼した。そしてトランプ大統領を含むミーティングで、基本的な問題は、イランの政治体制が、アメリカ、イスラエル、アラブ諸国、そして西ヨーロッパ諸国に対して抱く永久的な敵視・憎悪である、という認識では全員が合意した。
 しかしJCPOAに対して、この取引合意の妥当性を議会が審議するINARA Iranian Nuclear Agreement Review Act of 2015という法案が成立していて、その最初の期限2017年4月が迫っていて、これがトランプ大統領に決断を急がせる要因であった。私たちは、大統領を含む議論の末、合意内容の中の欠陥を修復することを条件とする条件付き残留か、合意からの撤退かの2つの選択肢をINARAに大統領の同意の上で提案した。しかしマスコミはそのような彼らから見て細かい事項を無視し、残るか去るかの単純な選択の問題のみを大々的に報じた。結果的には、INARAにオプションを提案したのが失敗であった。私たちは、ヨーロッパ諸国をはじめとする同盟国に対して、JCPOAにアメリカが残留する可能性と条件を提示する窓を開けていた。しかし、私がホワイトハウスを去った2018年4月9日のあと、そのわずか1か月の後にその窓は閉じられ、トランプ大統領はJCPOAからの脱退を発表した。その反響は私が予想した通りとなり、人々の批難の矛先が、直ちにイランからアメリカにシフトしてしまったことが大々的に報じられた。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(50)

第4部 Middle East
8. Breaking the Cycle
8.3.民衆の怒りと騒擾
 しかし人々は2016年、トランプがまだ選挙運動中の大統領候補だったとき、「中東への軍事介入は、成果が出ず無駄なだけだ。」と言っていたことを覚えていた。そして2019年10月13日、トランプ大統領は、シリアからの撤退を宣言した。
 トランプ大統領のシリア撤退演説のすぐ後、元アメリカ基地があったところにはロシア軍の旗が翻った。10,000人以上にのぼるイランに指図された武装集団が、以前はISISが占領していた東シリアの地に入ってきて、クルド人政治家Hevrin Khalaf殺害を含む、クルド系住民への拷問・虐殺が行われた。
 現地の人々は、苦しみの原因を知っていた。2019年9月、シリア東部のDayr al-Zawrで、イラン人武装集団の追放を求めて、スンニ系アラブ人の大規模な蜂起が発生した。南シリアでは、アサド政権への反政府運動が続いていて、より激しくなっていった。10月には、イラクで反政府運動がシーア派政党とイランの影響に対して激化した。同じころレバノンでは、国家独立以来最大の抗議運動が発生し、政治改革、不正の終息、ハリリ首相Saad Haririの退任を求めた。
 2019年12月、イラクで200,000人を超える反政府運動が暴徒化し、アメリカではなくイランの外国人支配に対して抗議して「イラクに自由を!!」「イラン出て行け!!」と叫んだ。アブドゥルマフディ首相Adel Abdul Mahdiは、11月30日辞任に追いこまれた。
 2019年末、イラクの反政府運動が高揚するにつれて、イランの代理勢力によるアメリカ軍への攻撃が激化し、12月27日イラン人副司令官ムハンディスAbu Mahdi al-Muhandisの命令でアメリカ基地へのロケット攻撃が実行され、アメリカ軍属職員1人が殺され、数人の兵士が負傷した。これに対してアメリカ軍が空爆で報復したあと、イランの後ろ盾のもと、シーア派武装集団がバグダッドのアメリカ大使館を攻撃した。ついにトランプ大統領は、やむを得ない措置としてバグダッド空港にミサイル攻撃をかけ、イラン革命防衛隊ソレイマニ司令官Qasem Soleimaniとムハンディス副司令官Abu Mahdi al-Muhandisを殺害した。これ以後、イランは国内の経済不振と反政府運動、イラク・レバノンでの反イラン運動、そして自国内での政権正統性legitimacyへの不安などの問題から、イランの国民統合へのアピールとしてソレイマニとムハンディスの死を大々的に利用するようになった。
 2020年に入っても、イラク国民のイラン代理勢力への反感・反攻は続き、増大し、イラクの安定化は見通せていない。イラク社会の分断はますます激しくなり、宗教対立も激しくなり、イランのイラク破壊工作も執拗に続いている。この事態に対して、アメリカの戦略が明確でないこと、つまりアメリカの優柔不断に責任があると、私は考える。
 アラブと中東の問題は、多くの要因からなる。旧宗主国の植民地政策、植民地から独立した後の王国、アラブ民族主義、社会主義独裁、イスラム原理主義、などの多くの失敗の積み重ねのうえに現在の中東がある。
問題の解決のためには、伝統的に存続する多くの共同体が共有できるアイデンティティを明確に定義しなければならない。エスニシティ、宗教、部族、勢力が争い、資源分配、生存の確保などをめぐる数十年にわたる抗争の結果として、暴力がジハード主義テロリストを成長・強化し、その結果イランの影響力を大きくしているのである。
 具体的には、たとえばアバディ元首相を軸にして達成したTal Afarの成功体験を参考にして、融和を中心課題として努力を重ねることが必要となろう。
 中東の長期的問題は、持続する長期的関与を必要とする。暴力の連鎖を断ち切るだけでなく、憎悪よりも寛容に、専制よりも代表者による政治に、近代的世界を拒否するよりも参加する欲求に、それぞれ基づいた統治を目指す変革を通じて、希望を復興するような長期的な行動、主導権、プログラムを、アメリカとその仲間は最優先とすべきである。そして短期的にもっとも重要なことは、イランが宗派対立を煽ってアラブ世界を弱体化したままにし、アメリカを中東から追い出し、イスラエルを脅かし、地中海にイランの影響力を拡大しようとすることに対抗することである。

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無意味な緊急事態宣言

 参院内閣委員会の閉会中審査が7月15日開かれ、立憲民主党木戸口英司参院議員の質問に答えて、政府の新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長が東京都に4度目の緊急事態宣言が出ていることを踏まえ、「人々が緊急事態(宣言)に慣れ、飲食店も『もう限界だ』との声も聞こえる中で、人々の行動制限だけに頼るという時代はもう終わりつつある」との認識を表明した。
 これをうけて、テレビなどのマスコミは、いまごろになって唐突に驚いたと騒いでいるが、実際は少なくとも1か月以上前に、以下のように尾身会長は同じ内容のことを国会で正式に表明していた。マスコミが取り上げなかっただけである。
 2021年6月3日、衆議院厚生労働委員会の質疑で、日本維新の会青山雅幸議員から、アメリカのノースダコタ/サウスダコタ、そしてカリフォルニア/フロリダの対比データから、ロックダウン的なアプローチ、すなわち人流制限、外出制限、ヒトの隔離などの方法は、ほとんど効果が無いという観測事実を指摘され、尾身会長は「重要な問題提起。人の隔離が必要なのか、という話。公衆衛生の歴史上は人の接触を断つというのが19世紀以来。アメリカの例はまた勉強してみるが、スペイン風邪についてのセントルイスとフィラデルフィアの例、それが公衆衛生のバイブル。自然減もあるが。将来は、ワクチンまではソーシャルディスタンスに頼らなければならないが21世紀なのに19世紀的手法。これからは検査やITコードを使った手法、下水でのサンプル採取で感染流行の兆しを把握、飲食店でCO2モニターなど。そういう方向に変わるべき。」と答弁している。つまり、コロナ対策として、緊急事態宣言などのロックダウン的手法は、19世紀的手法だと明言しているのである。
 莫大な臨時予算を投入しながら自殺者を増加させ、零細飲食業者などに甚大な被害を与える、こんなに理不尽で有害な政策が、なぜいままで継続されてきたのか
 現状を、少し距離をおいてみつめると、40年以上前にミッシェル・フーコーが指摘した、かつての暴力と自由との対立ではない、権力と知の結合による有無を言わさぬ強制力をもつ新しい権力としての「厚生権力」による「生命政治の支配」が現実化してしまっているのである。体が病気になると困ったことになるという事実をちらつかせながら、医師が臨床医学的知識を押しつけてくるならば、ヒトの意識は自由と隷属の選択には関われず、どんなに理性的であったとしても、この新しい権力に対して対決する必要を感じず、いつのまにかみずから支配されることを望むようになってしまうのである。
 生命政治の思想(船木亨『現代思想史入門』ちくま新書、119ページ)を引用する。
 たとえばたばこの煙や匂いが嫌いだったひとの場合、ひとを道徳的に間違っているといって批難するより、それをすると病気になる、周囲のひとを病気にするという事情を説明することで、それをやめさせることができるような状況になっている。
しかし、そのうらはらな結果として、健康に害があるとはいえないものについては、一切が許されることになる。ある少女が、援助交際を咎められたとき、「だれにも迷惑をかけているわけではない」といったという。つまり、近代的価値としての自由が、「勝手気まま」や「自己毀損」をしか、意味しなくなっているということである。ジョン・S・ミルが『自由論』で書いているように、実質的な苦痛が生じない、迷惑がかからない感性的なことがらについては、ひとびとはみな我慢すべきだということになる。
 ミルの時代と異なって、いまはいわば自由の飽和、他人たちの自由を放任するために一人ひとりの自由が損なわれるといった状況にいたっているといえるかもしれない。他人の自由に対しては、すぐにハラスメントが問題にされるように、もはやだれも口出しすることはできない。だから今日では、何が善で何が悪かは、各人の理性ではなく、医師が判断する。医師が病気(異常)であるとするものが悪であり、そうでないもの(正常)が善である。各人の理性的判断とは、いまでは医師の指示に従って、各自の身体と精神の健康に配慮することでしかない。
こうした正義の基準の変化は、問題行動に対する物語り方の変化であるともいえる。近代では、互いに迷惑がかかるような行為を、どこまで個人の自由が優先されるべきか、何が法律や道徳によって規制されていいかという物語り方で、各人の理性によって議論され、判断されてきた。それがいまは、健康に害があるかどうかの議論となり、医師のみが裁定できるような物語り方がされるようになっているということなのである。
 現実の医師は、相対的には普通の人たち以上に自由で、10人いれば10種の意見がある。しかしテレビに出てくるコメンテーターの医師は、メディアが都合の良い者に限るのか、たいていいつも同じ顔であり、同じ発言を繰り返している。政府としては、病気に関わる問題なので医師の意見を聞こうとするが、政府が意見を聞く相手も、現実には医師会会長や尾身会長などのごく一部の医師の意見のみとなる。ほんとうは政治的判断で政府が最終的には独自に決めるべきなのに、ごく一部の医師の意見と、マスコミに操られた「世論」なるものに引きずられる。医師会会長が、自ら主張する緊急事態宣言を破るような行動をするのは、倫理的に問題化される以前に、彼らは本心ではこのような対策が無意味だと考えているからである。
 コロナ騒動は、すでに1年半も続いている。その間の死亡者数は15,000人程度であり、しかもその75%が80歳以上の高齢者である。年間の死亡者数だけでみると、交通事故の8,000人/年と大差がない。交通事故が怖いから外出や旅行を自粛しようというヒトが、どれだけいるだろうか。それにも関わらず、毎日毎日朝から晩まで、コロナ騒動の話題ばかり、それこそ同じことを繰り返し繰り返し報道して、視聴者を必要以上に震え上がらせてきたメディア・マスコミの弊害に、間違いに、われわれ一般庶民が気づかなければならない。共産主義などの独裁国家とは異なり、わが国は一般国民が政権を決めるため、政権は国民の意見、世論に敏感にならざるを得ない。われわれ一般国民がマスコミの誤った報道に泥み、集団ヒステリーのごとく緊急事態宣言の発令を望むなら、政府は発令してしまうだろう。
 もちろん世界的に新型コロナ肺炎が大流行して、パンデミックになっているのであり、けっして安心・安全なわけではない。「ウイルスに打ち勝つ」「ノー・コロナ」ななどと叫ぶことを嘲笑する程度には、ウイルスはじゅうぶんに強かなのである。ワクチンをしたくらいで、ウイルスを侮ってはならない。引き続き行動にはできるだけ慎重を期して、自分の罹患を防ぐための丁寧な手洗いと、知らないうちに感染して他人にうつさないためのマスクの着用は、引き続き励行すべきである。しかし効果が無くて被害者を出すような、非常事態宣言のような愚行は即刻やめるべきだ。
 私達一般庶民は、マスコミを鵜呑みにするのでなく、自分の頭で考えて、自分のために正しいと思う方向を判断しなければならない。民主主義の国では、国民のレベルが政府のレベルを規定するのである。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(49)

第4部 Middle East
8. Breaking the Cycle
8.2.中東を覆うイランとロシアの影
 中東に大きな被害を与えたISISは、AQIの改良進化版という側面がある。2001年アメリカ同時多発テロ事件の後も、ジハード主義テロリストは進化・発展した。とくに21世紀にはいると、中東とその周辺のみならずEU諸国、北米、アメリカ、オーストラリア、アフリカなど、世界中からリクルートし、軍事訓練を与え、ハイテク武器を導入している。たとえばdirty Bombという爆発物と放射性物質を組み合わせた爆弾がある。もちろん核兵器ほどの破壊力はないが、はるかに安価で手軽にかなり大きなダメージを加えることができる。ドローンやサイバー攻撃なども駆使している。インターネットの普及と利用の高度化で、費用を掛けずにグローバルにリクルートや命令・指令ができる。
 中東に対して、影響力を競っているのがイランとロシアである。とくにジハード主義テロリストに対する支援は脅威である。その状況下で、アメリカが中東に対する明確な戦略を、友好国に対して示し得なかったがために、とくに2017年以降ころから、アメリカの有効国のなかからイランやロシアにたとえ部分的にせよ接近する、あるいは接近を試みる国が出てきている。
 私は、イランを警戒しながらもイランの支援者enablerであるロシアに接近する友好国のキーパーソンに対して、その矛盾を指摘して抗議したところ、逆に強く反論されたことがある。オバマの中東に対する姿勢などをみて、アメリカがあてにならない以上、テロ問題など中東から蒙る被害、さらにはロシアの脅威のリスクを、ロシアへの接近で部分的にでも軽減を図ろうとするのである。2015年のイラン核合意というコンセプトも、その一環である。
 トルコは、シリアでの対立を含みながらもロシアと一定度の関係維持に努めており、アメリカやEUからみて警戒すべきところが残る。トルコはNATO加盟国だが、S-400防空システムなどの軍事装備をロシアから購入している。サウジアラビアも2017年10月、King Salmonがモスクワを訪問し、ロシアの防衛装備購入を契約した。イスラエルでさえ、ロシア企業とハイテク・パートナーシップを拡大している。イスラエルのロシア接近は、イスラエルのイラン革命防衛隊への攻撃をロシアに見逃してもらう目的が含まれる。
 私は、トランプ大統領は中東の宗派対立の暴力連鎖を断ち切るための長期的戦略を立てて長期的にアメリカにも友好国にも利益となるようにするつもりである、と説得を試みた。国務長官Rex Tillersonも2018年1月、スタンフォード大学フーバー研究所の演説で、中東の人権問題の危機に対して、アメリカ軍は居続けてその解決に関与し続ける。すでに2017年4月には、無辜市民へのサリンガス使用に対して、シリア・アサド政権の軍事力の20%を空爆で破壊した、オバマが2011年にイラクから早々に撤退したような失敗はしない、と述べた。

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七月大歌舞伎 大阪松竹座

 ちょうど4か月前の「三月大歌舞伎」を京都南座で鑑賞して以来である。3月は若手中心の舞台ということであったが、今回は上方歌舞伎の重鎮も登場した。
 コロナ騒動がまだ残っていて、客席は座席3つごとに1つの空席を設けて観客の密度を下げているが、それでもまだ一部に空席が残り、コロナ騒動の影響が感じられる。
 夜の部の最初の演目は『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』「引窓」で、主役の南与兵衛・南方十次兵衛を片岡仁左衛門が、濡髪長五郎を松本幸四郎が演じる。2021
 濡髪長五郎は怪力無双の人気力士であったが、贔屓してくれた与五郎のために八百長相撲をして、それに絡んで性悪の武士平岡と諍いが起こり、平岡を殺してしまい、お尋ね者となり逃亡生活をしていた。しかし死ぬ前に幼いころに離別した生母に一目会いたいと、大坂の実母お幸を訪ねてきた。濡髪長五郎はお幸との久しい再会をしばし喜びあい、食事の準備を待つため2階にあがる。ここは相撲を好み与五郎も濡髪長五郎をも知っていた与兵衛の家で、実はお幸は与兵衛の養母でもあった。
 そこへ与兵衛が立派な武士の身なりで帰ってきた。与兵衛の家は逼塞していたが元来は格式ある家であったので、与兵衛は代官に取り立てられて、代官南方十次兵衛として帰ってきたのであった。与兵衛は母と妻に、代官に昇進した事情を話し、そして当面課せられた任務として、武士殺しのお尋ね者濡髪長五郎の捜索と逮捕に関わっていることを話した。これを2階にいた濡髪長五郎が聞いてしまい、思わず2階の引窓をぴしゃりと閉じた。 それに気づいた与兵衛は、なにか不審を感じる。そのあと突然、お幸は濡髪長五郎の捜索と逮捕を、なんとしてもやめてくれるよう与兵衛に懇願する。与兵衛はお幸が長五郎の実母とは知る由もなかったが、なにか深い事情を察して、2階に潜む濡髪長五郎に聞こえるように大声で、河内を経由して逃亡する抜け道を話した後、支配の村々を巡回してくる、といって席を外す。
 このあと濡髪長五郎が降りてきて、与兵衛の善意に報い、生母お幸の幸せのためにも覚悟して自首しようとするが、お幸は必死に止める。濡髪長五郎とお幸とのやりとりが続き、最後に再び登場した与兵衛があらためて説得して、濡髪長五郎は逃走することになる。親子の情愛、男同士の信頼と友誼が主題である。
 片岡仁左衛門は、すでに後期高齢者の年代だが、姿は美しく声もハリがあり、素晴らしい演技に魅了された。幸四郎も熱演であった。
 ふたつ目の演目は『恋飛脚大和往来』「新口村」である。以前、片岡仁左衛門が主演のこの舞台を見たことがあったが、今回は亀屋忠兵衛とその父孫右衛門を一人二役で演ずる予定であった中村鴈治郎が病気のため、急遽扇雀の代演となり、その扇雀が演ずる予定であった傾城梅川を壱太郎が代演となった。今回の演出では若手のホープ虎之介(扇雀の息子)と千之助(仁左衛門の孫)とが、それぞれ万歳と才造を演じて萬歳を見せるという場面があった。奈良新口村の正月の風情を大量の雪で表し、父と子の情愛をテーマにした典型的な世話物である。扇雀の熟練の演技も壱太郎の美貌も申し分ないが、世代の違いか忠兵衛よりも梅川のほうが、あきらかに背が高いのがほほえましい。
 やはり歌舞伎は劇場で見ないと、本物の衣装や声の見事さがわかりにくいので、私はテレビで歌舞伎を観ることはほとんどない。コロナ対策の一環として、入場者を減らすのみでなく、上演時間も午後4時半から7時と、演目は2つのみでこれまでより1時間半ほど短縮されていたが、それでも実演の魅力と迫力を堪能した、充実したひとときであった。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(48)

第4部 Middle East
8. Breaking the Cycle
8.1.暴力の連鎖を破って安定をもたらすための必要条件
 広義の中東、すなわち西はモロッコ、東はイラン、北はシリア・イラク、南はスーダン・イエメンに対して、アメリカと同盟諸国はこれまで健全な首尾一貫した戦略をつくり実施することができなかったため、中東の崩壊とアメリカの影響力の低下をもたらしてしまった。G.W.ブッシュ・オバマ・トランプ各大統領は、中東の長期的問題、したがって長期的・持続的成果を必要とする問題に対して、いつも短期的解決を目指す戦略で対応してきたという点で一致している。またイラクの経験は、問題の原因を追及して対処するのでなく、問題の症状(暴力)をみて対症療法的に対応したことで、対象国と国際的な闘争や脅威を増大化し長期化してしまったことを示している。中東での暴力の根である人道・人権問題から、地域で発生し成長する宗派対立の脅威の構造に焦点をあわせて対処すべきなのである。そしてあくまで、アメリカ国民が受け入れ得る範囲のコストであることが必要だ。
 重要なことは、中東で起こることはかならずしも中東地域のみで収まるわけでなく、世界中に拡散する可能性が十分ある、ということである。近年では、グローバルなサイバー攻撃も普及している。カリフ国の問題が、世界中にとってヒドゴトでは済まないのである。戦争に飽き飽きしたアメリカ国民、さらにはNATO・EUの国民にとっても、脅威がすでに逃げたりかわしたりできない状態になる以前に、中東で責任ある対応を果たすことが、より低いコストで済むということを考えなければならない。
 軍事的努力は、最終的に政治的成果に結びつくことが必要であり、それが果たせないのであれば、それまでの軍事的努力が無駄になる。そういう観点から、オバマ大統領のISISとの闘い、またトランプ大統領の東シリアからの撤退は、いずれも反省すべきものであった。
 2011年12月14日オバマ大統領は、イラクからのアメリカ軍撤退を発表、イラク戦争の終結を宣言した。またオバマは、「中東は結果を期待できず、消耗するだけ」と考えて、コストの最小化を目指し、戦う相手をISISのみに限定し、$500Mを投入して現地戦闘員を訓練し装備を与え、訓練を受けた者はISISとは戦うがシリア軍・イラン軍とは戦うことができないという契約を締結させた。しかし彼らや彼らの家族を攻撃して殺戮したのは、シリアやイランであった。結局、このプランは中止となって、中東からは実質的に撤退した。イラン核合意締結を急ぎ重視するオバマが、イランに対して忖度したのかも知れない。この経験は、ISISなど特定のテロリスト・グループのみに限定した作戦は、現実には無効であることを証明している。
 アラブ諸国および北アフリカでは、2011年春に「アラブの春」を経験したが、結果として正統的(ルールに則った)な反対党(野党)あるいは民間団体civil society organizationが存在しなかった。存在したのはムスリム組織Musrim Brotherhood、犯罪集団(盗賊、国境越えての犯罪ネットワーク)、武装集団militia(=とくにイランの代理勢力として活動する武装グループ: Khalifa Hatar‘s、リビア・ミラスタの武装集団など)、テロリスト組織(ISIS, Hayat Tarir al-Sham, al-Nusra Front in Syria)、外国のインテリジェンス関係者(IRGCなど)であり、それらが政治権力の空白のなかもっとも強い勢力となって、国家を崩壊に導いた。先ず国民を代表して統治できる正統的な、かつ機能する政権の構築が必須であり、そのためには具体的な政権設立のプランと、実行が必要である。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(47)

第4部 Middle East
7. Who Thought It Would Be Easy? From Optimism to Regnation in the Middle East
7.4.アラブの春とその後の中東・北アフリカ
 そして2011年は、中東から北アフリカのイスラム圏にわたって、広範囲に重大な転換期となった。「アラブの春」である。このころ、イラクでは国内のスンニ派とシーア派の対立が修復不能にまで分裂し、国家が崩壊しつつあった。2004年からのアルカーイダの再勃興がイラクの治安を激しく破壊した。
 2010年12月、チュニジアの街頭で失業中の青年が、野菜や果物を売ろうとしたら、法律違反だとして警察に商品を没収された。生きるために必死でやっているのに、と失望した青年は抗議の意思をこめて焼身自殺を図った。国全体に失業率も高く不満が蓄積していたのか、思いがけず広範囲の同情と共感を呼んで、全国的な大規模な政府への抗議運動が起こった。結局23年間の長期政権ベン・アリー大統領は辞任に追い込まれた(ジャスミン革命)。この事件がきっかけとなって、政権打倒運動が周辺国に波及し、ヨルダンではサミール・リファーイー政権が、エジプトではホスニー・ムバラク大統領が、リビアではカダフィーが、それぞれ政権から引きずり降ろされた。しかしいずれの「革命」も統治能力のある民主的政権の建設には至らず、内戦・混迷に終わるか、新しい独裁者の登場に終わった。
 また、2011年12月、ウサマ・ビン・ラディンの連絡役を勤めていたとされるイラク人アブー・バクル・アル・バグダーディーが、ISISのカリフに就任してカリフ国を建設したと宣言した。
 リビアのカダフィー失脚にかんして、反政府運動が内戦に発展したとき、アメリカのオバマ政権は、国連に立案してリビアへの軍事介入について、国連安全保障理事会決議を獲得し逃亡するカダフィーを追い詰め死に至らしめたが、このときも戦争が政治の延長であり、目的は政治的成果であるべきだという基本が守られず、カダフィの死から11か月の後の2012年9月アルカーイダに、リビアのベンガジでアメリカ同時多発テロ事件の11年記念大集会を実現させている。
 サウジアラビアとイランとは、冷戦期のアメリカにとってソ連封じ込めのための二本柱であったが、冷戦終結から時間が発って、今では宗教対立による内戦の源となってしまった。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(46)

第4部 Middle East
7. Who Thought It Would Be Easy? From Optimism to Regnation in the Middle East
7.3.イラクの近現代史とアメリカの戦争への戦略の問題
 戦争において勝利すると、軍事的支配を確立することはあくまで目的の一部であり、その先の政治的目的を達成することこそが主要である。私はこれを、軍人としての自身の経験から体得したが、戦争終結後のイラクの安定化のための準備をしない人たちは、複雑でトラウマに獲りつかれた人々の環境が想像しがたいものであるため、再建にとりかかることに躊躇し、ゆっくりしか動けず、ついに手遅れとなる。アフガニスタンの場合と同様に、戦争の本質を理解しないと、そもそもチャレンジングなミッションがますます困難な仕事になってしまう。
 サダム・フセインは、青少年期にエジプトで台頭したガマール・アブドゥル・ナセルのアラブ民族主義に傾倒し、宗教対立よりもアラブ、とくにメソポタミア文明に淵源するイラクのアラブ民族の偉大を主唱するアラブ民族主義のバース党に参加した。1959年ナセルの統一アラブ連合参加に懐疑的であったイラク共和国首相アブドルカリーム・カーシムの暗殺を企て、イラク政府から追われてエジプトに亡命した。1963年に、バース党が起こしたクーデターでカーシム政権が倒れると、イラクに帰国して、紆余曲折を経ながらもやがて頭角を現し、1979年バクル大統領の病気辞任にともないイラク共和国第5代大統領に就任した。
 奇しくもこの前年の1978年、イランではホメイニによるイスラム革命が起こり、イランにイスラム主義にもとづく国家支配をするシーア派の政権ができた。イラク国内もシーア派は多数派であり、イラン革命の波及はイラクにとって脅威であった。さらにエジプトのナセルの統一アラブ連合の失敗をみて、エジプトに代わってイラクを中心とする新しいアラブ主義の主導権を握ろうという野心もあり、イランとの対立は急速に高まった。1980年9月、イラクの空爆から8年にわたるイラン-イラク戦争がはじまった。この戦争は両国に大量の戦死者を出し、経済的、社会的に激しく疲弊させただけで決着がつかず、国連の勧告を受け入れる形で1988年に終結した。
 サダム・フセインは、国内に対しては独裁的・強圧的な施政で臨んだが、いったんは民主主義化や経済の自由化を唱えて、国民の支持を維持しようとした。イスラム主義国家となったイランを警戒するアメリカとの関係は良好で、経済開発もかなり順調に推移した。1990年初め、主要収入減の原油の価格を連携して引き揚げることを湾岸産油諸国に呼びかけたが、クウェートだけが合意しないなど、クウェートとの関係が悪くなって、1990年8月2日イラク共和国防衛隊がクウェートに侵攻した。これが契機となって、アメリカとの関係も急激に悪化し、国連決議にもとづく多国籍軍が1991年1月17日「砂漠の嵐作戦」でイラクを攻撃した。4月6日、イラクは国連軍の停戦決議を受諾し、国連の制裁監視下に入った。この直後、イラク国内のシーア派やクルド人がサダム・フセイン政権の転覆をはかって蜂起したが、サダム・フセインに残酷に壊滅させられ、結果的には湾岸戦争の死者を上まわる10万人以上の死者を出した。
 2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が発生したが、サダム・フセインはアメリカへの批難に終始してアメリカの反感を煽った。かねてよりサダム・フセイン政権がアルカーイダを支援していたとするアメリカは、イラクに対して強硬となった。そして2003年3月2日アメリカはイギリスとともに、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているとの理由を挙げてイラクを攻撃した。4月9日には、バグダッドが陥落して、ほぼ勝敗は決まった。しかしこのとき、サダム・フセインはすでに逃亡していた。12月13日、彼はイラク中部の隠れ家に潜んでいるところを逮捕された。
 問題は実はここからであった。2014年には、アブームスアブ・アル・ザルカーウィー Abu Musab al-Zarqawiがアルカーイダ・イラクの準備を着実に進めていた。アメリカの戦略的ナルシシズムがイラク戦争の戦後処理の準備を怠ったために、テロ・グループが立て直す時間を与えてしまったのであった。2005年、私は反乱防止部隊を率いてバグダッド、ついでTal Afarに赴任し、そのときアバディに再会した。Tal Afarでは、戦争が終わって以来、宗教対立の内戦が起こり続いていたが、アバディは、Tal Afarの再建に戦力的に取り組み、宗教対立の緩和、共同体の相互信頼回復による復活、自治と警察の再建を着実に進めつつあった。しかしTal Afar以外の土地ではそうは行かず、まだ混迷の最中であった。
 この2004~2005年のTal Afarでの宗教対立の内戦は、2006~2008年にイラク全土に広がったことの前兆であった。さらにこのような内戦のサイクルは、2011年以後にも再びイラクを痛めつけた。2004~2005年の時点でもアメリカは、状況がなにを必要としているかよりも、自分たちが何をしたいかをもとに判断してしまった。戦略的ナルシシズムが残っていたのである。
 2006年イラクのアルカーイダAQIがサマラの遺跡のひとつの宮殿を爆破した。元の警察官をメンバーに含む殺戮小隊deth squadが街中に市民を殺しまくり、3月だけで1,300人以上が犠牲になった。イランが支援するシーア派の武装集団も増加していった。イランはイラク政府要人にまで介入し、イラク政府自体が宗教対立抗争に巻き込まれるようになった。しかしそのような現地の状況はペンタゴンにはなかなか理解されず、現地とアメリカの軍本部・ワシントンとの認識が乖離していった。この経緯は、将来のためにこれから検証すべきである。
 ブッシュ政権は、自信過剰からイラクへの軍事介入のリスクとコストを過小評価し、結果に対しては自惚れから後の経過を楽観視しすぎた。2009年からのオバマ政権はまったく逆に、悲観論から軍事撤退を急ぐべきと考え、撤退のリスクとコストを過小評価し、アメリカのイラク介入が問題解決を導くよりも、問題の原因になると考えた。中東とイラクからの撤退、不関与こそが純粋の善であると考え、撤退をまるで戦争の終結であるかのように高らかに宣言した。現地では毎日多数の人々が殺されているのに。
 この時点でアメリカは、軍事的増援は必要なしとしても、根本的な戦略変更をした上で妥当な関与の継続が必要であった。

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鈴木涼美『ニッポンのおじさん』

人間関係は多面的・多角的に観ないとダメ
 私は「おじさん」というのも最早いささか憚られる後期高齢者予備軍の「じいさん」だが、最近の趣味のひとつとしてたまにカラオケに行く。するといわゆる演歌と呼ばれる歌に多いのだが、歌詞が到底現実味のないような歌が結構あるのに気付いた。ひとことで言えば、男の作詞家のまったく勝手な妄想だろうと、私ですら思ってしまうような歌詞が意外に多いのである。そんなに男に恋焦がれて、男のことばかり考えて生きてくれるような、男にとって都合の良い女は実在しないだろう。この本を読んで、最初に連想したのが、このカラオケでの感想であった。
 著者は、題材として著名人のなかから25人余りの中年あるいは初老の男性を取りあげて、その言動に対して世の一般的な批評や反応に対して異議を申し立てる。もっと違う視角があるじゃないか、というものである。批判の前提として、「おじさん」連中こそが現代の日本に蔓延る「価値観」を形成し、独占し、他の立場、とりわけ女性たちを不当に処断している、悪の源泉だ、というのである。カラオケで聴く男と女の捉え方も、それに通じる。男の女に対する見方に、女性からみたとき大きな違和感があろうことは、私にも理解できるところが多々ある。著者は、普通のフェミニズムとは少し違う観点から、世間的・通俗的な社会常識、心理認識、そして道徳やマナーでは把握できない人間の繊細な機微を訴える。偏見を捨ててもっと事態の裏側に注目せよ、と説くが、要するにもっとさまざまな側面を考えよ、との指摘だと理解する。とくにセクハラなどを含めて、性的な感情、性愛に通じる価値観にまで鋭く言及する。
 この著者の政治に対する見方や感覚は、ほぼ安易な体制批判派の学者やメディアの水準を出ずほとんど共感・理解ができないが、他の批評にかんしては、たしかにタブーとされてきた範囲も含めて、私たちももっと多面的に考えた方が良いと気づかされることが多々あった。

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兼原信克『安全保障戦略』日本経済新聞社、2021.4

わが国安全保障の歴史・現状・課題そして目指すべき方向
 学者が著した本はそれなりに学ぶことが多いけれども、現実の社会・政治・世界の事象を考えるとき、どうしても第三者の机上の論考であり、厳しく言えば他人事に終わる、という限界がある。Yuval Noah Harari,Niall Fergusonなどの優れた著作を読んだあと、昨年来、アメリカ上院軍事関連委員会アドバイザーChristian Brose、オバマ政権国家安全保障司法副長官John P.Carlin、トランプ大統領軍事補佐官H.R.McMasterなどが著した、自身の実務経験にもとづく著作を読んできて、やはり責任を背負って身を張って考え抜いた議論のもつ真剣さと重みと迫力に深く感動した。そんななか、偶然わが国のベテラン外交官による軍事戦略の書を知ったので、迷いなく購入して一気に読んだのであった。
 兼原信克さんは、外務省北米局、在アメリカ合衆国大使館勤務、在韓国大使館勤務などを経て、内閣官房副長官補、国家安全保障局次長などを歴任した第一線の高級官僚である。現在は同志社大学特別客員教授として、学生向けに安全保障戦略の講義をすることになり、その講義録としてまとめられたのが本書である。
 国家の安全保障とはなにか、その意志決定はどのように行われるのか、政治主導と総理大臣の意志・決断の重要性、など基本的なことがらから始まって、実際的な外交の現場と安全保障の中味について、国家安全保障にかんする広範囲の必須事項が包括的かつ詳細に述べられている。
 シビリアンコントロール貫徹のためにしっかりした政治主導が必須なこと、わが国の安全保障の弱点である大きな課題がインテリジェンスであること、わが国の外交と安全保障の根幹は、自由主義的国際秩序・自由主義・民主主義であること、その実現のために他国と外交関係の戦略的安定を実現・維持することが重要であり、わが国にとってその背骨に相当するのが自国の軍備と日米同盟であること、などが隙のない論理展開で述べられる。
 日本は、エネルギー・産業資源のみならず、国民の生命を維持する食糧確保のためにも、海運の安全が確保されたシーレーンが死活的に重要であること、経済においていまや製品の輸出に並んで投資の比率が大きくなっており、それを十分考えた経済取引戦略が必要であること、などはぼんやりとはわかったつもりであったが、今回この書でより切実さを再認識した。いまや世界の問題となっている、傲慢にふるまう中国の行動原理についても、専門家ならではの分析が述べられている。
 これまでのわが国歴代首相のうちの何人かが、わが国の国家安全保障のために、とても重要な貢献を達成してきたことが具体的に紹介されているが、私自身は知らなかったことが多い。大きな業績というべきなのに、メディアではほとんど報道されなかったものがいくつかあったことに改めて驚いた。
 これまで、日本の政治の概要とその推移について、たとえば石川真澄『戦後政治史』、伊藤惇夫『臨床政治学』、中央公論2008年7月号「政治家ミシュラン」、高畠通敏『討論・戦後日本の政治思想』、内田健三『現代日本の保守政治』、石川真澄『戦後政治史』などなど、いろいろ読んできたが、政治が専門のジャーナリストであっても、やはりごく表面的で、いちばん大切なことは、政治の当事者のような認識や迫力は到底望めないことをあらためて感じた。
 わが国にも、立派な官僚がたしかに存在したことを知り、その意味では安堵した。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(45)

第4部 Middle East
7. Who Thought It Would Be Easy? From Optimism to Regnation in the Middle East
7.2.イラク首相と私との非公式懇談
 会談が終わって、参加者が会場を立ち去るとき、アバディ首相の付き人が私にメモを手渡した。アバディ首相が私と後で会いたいという。イラクから同行した信用できないメンバーのいないところで、私と会話したいのだ。イラクとアバディにアメリカがなにをしてやることができるか、ヒントが得られるかも知れない。
 夜遅く、アバディ首相のホテルのスィートルームで、我々は話し合った。対立がいつまでも続く地域的特質は、いったいなにによるのか。エジプトのナセルのアラブ民族主義、それに対抗したイスラム主義がともに失敗したのを、体験を通じてつぶさに見つめてきたアバディは、国民から正統にlegitimate代表しているrepresentativeと認められる政府のみが、暴力の連鎖サイクルからの苦しみから国民を救い出すことができると信じるという。宗教、部族、エスニック共同体の相互に和解が成立しないかぎり、宗派対立抗争はなくならない。外部には、宗派対立抗争を煽ろうとする勢力がある。イランの介入は、政府内でも、武装集団でも深刻だ。イランが指図する人民動員部隊Popular Mobilization Forceは、スンニ派のISISに対する対抗勢力でもあるが、危険な存在で、地域のエネルギー資源やサウジアラビア・イスラエルへのドローン攻撃まで実行する。他にも、アメリカを狙うカタイブ・ヒズボラKata‘ib Hezbollahもある。
 アバディは、イラク政府にイランの影響力が大きい限り、アメリカが長期にわたってイラクと関係を維持できないことを理解している。私は、アメリカと同盟諸国は、イラクの統治権の確立とイランの影響力排除にもっと協力する必要があると考える。
 アバディは、シリア内戦がいかに中東地域の宗派対立の内戦に大きく関与しているかを述べた。アサド政権は、長期にわたってスンニ派とシーア派のテロリスト・グループを助け唆してきた。ハマスHamas、ヒズボラHezbollah、イラクのアルカーイダAl-Qaeda in Iraq (AQI)、パレスチナ・イスラム・ジハード集団Palestinian Isramic Jihad、クルド人テロリスト・グループKurdistan Worker's Party (PKK)がある。2003年のアメリカのイラク侵攻に対してアメリカと対抗するため、アサド政権は外国からAQIへの人的補給パイプラインをつくったのだ。イラクとアラブを弱体化したままにすることが目的だ。2011年には、その目的の一環としてシリアの監獄から強硬なイスラム主義者を数千人の規模で解放した。その多くはその後AQIやISISに参加したので、目的は成功している。
 アバディは、イラクのTar Afarで行い成功した暴力連鎖の停止と治安回復を、どうしたら中東全体に拡大できるのか、が課題であり、アメリカが軍隊を増派できない中で、外交・軍事力・インテリジェンスを総合的に駆使して、整合的に暴力の連鎖を断ち切ることが必要だとする。
 アルカーイダとイランにとって、このアバディやジュブーリのような人物は脅威である。ひとびとの和解を推進し分裂を修復し、抗争を鎮める、というのは、彼らの方針に沿わないからである。そのため、アバディもジュブーリも、その家族を含めて、常にアルカーイダやイランから生命を狙われ続けている。
 アバディは、1991年湾岸戦争のあと、アメリカがサダム・フセインを政府から排除して欲しかったという。しかし私はこの点は彼に賛成できない。アメリカが他国の政治中枢に暴力的に介入することは、決して良い結果をもたらさないと信じるからである。その一方で、イラク再建のための途方もない大きな努力について、アメリカがほとんどなんの計画も準備もなかったという驚くべき戦略上の欠陥については、私とアバディは完全に合意した。2003年のイラク侵攻の後、イラクの安定化が困難でコストも甚大であることがわかると、アメリカ人の多くが「なぜアメリカやイギリスが間違った戦争をはじめてしまったのか」という終わりのない論争を続けるようになった。その議論の中心は、果たしてサダム・フセインは大量破壊兵器を隠し持っていたのか否か、であった。しかし戦争の結果、政治への反乱、内戦、延々と続くテロリスト退治となった。私は、意味のある議論は、イラクの国家改革regime change in Iraqが容易だと考えたのは誰か、なぜ容易だと思ったのか、を先ず問うことだと考えている。

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H.R.McMaster"Battlegrounds",2020.9(44)

第4部 Middle East
7. Who Thought It Would Be Easy? From Optimism to Regnation in the Middle East
7.1.イラク首相のトランプ大統領訪問
 2017年3月20日ホワイトハウスに入ってちょうど1か月のとき、ワシントンをイラク首相ハイダー・アル・アバディHaider al Abadiが訪れた。スンニ派ジハード主義テロリスト・グループの最新・最強のISISの拠点たるイラクから来た、尊敬する友人である。イラクはシリアとともに、国家を弱体化させるスンニ派とシーア派の宗教的対立の内戦の中心地帯でもある。イラクの安定化のための最大の課題は、イランの介入をどうやって防ぐかだが、その問題を含めて、今後アメリカがどのようにイラクの政府指導者を支援できるかを話す機会であった。2016年末には、ISISはイラクとシリアの国土のかなりの範囲を支配下に置いて、カリフ国を確立したと主張していた。
 トランプ大統領は、イラクへのイランの影響拡大を気にしていた。私は会談の前に、大統領に、アバディ首相はイラクの統治権の強化に努力していて、イランの有害な影響を減らすことに注力していることを述べた。私は、イラクとの前向きで長期的な関係構築が、ISISを発ち負かすだけでなく、中東でのイランの影響力に対するバランス維持のためにも重要であると言った。イランは、イラクを弱いままに維持し、分裂させようとしている。2003年アメリカ侵攻によってイラク国軍が崩壊してからは、ISISが領土に大きく切り込んできて、治安のためにイラク政府は、シーア派の民兵に頼るようになった。しかしシーア派の多くはイランあるいはイランの代理勢力の命令で動く者が多い。イランの意志は、イラン革命防衛隊Iran‘s Isramic Revolutionary Guard Corps (IRGC) の指示である。
 この日アバディ首相は、イプラヒム アル・ジャファーリIbrahim al-Jaafari外相を同伴していた。この二人は、実はまったく正反対のリーダーである。アバディ首相は、すべてのイラク国民・コミュニティの、部族・宗教による区別・差別なく、分裂をなくして、強い独立した国家をつくろうと懸命に働く、イラクの光明のような存在である。対してジャファーリ外相は、元首相でもあったが、イラクのシーア派がイラクを支配することを企み、イランの意向に従い、国内の分裂を深め長引かせようとする、悪党のような存在である。二人ともダアワ党員で、バース党のサダム・フセインが宗教よりもアラブ民族主義を掲げてイラン・イラク戦争を強行したとき、いずれも迫害を逃れて外国に避難したシーア派ムスリムでもある。アメリカの2003年イラク侵攻のあと荒廃したイラクの複雑な政治抗争のなか、まったく考えが異なるにもかかわらず同じ党に属して、首相と外相として閣僚となっている。
 2003年のアメリカのイラク侵攻のあと、イラクはサダム・フセインのバース党政権が崩壊し、その政治的空白にイランの意志を受けたシーア派勢力が政権の中心となった。その中心がダアワ党だが、そのなかにもこのようにかなりの分裂がある。アメリカ軍が早く立ち去った北部では、宗派対立の内戦が激しくなり、民衆はそれに巻き込まれて、外出が危険となり、学校が停止し、通常の生活が不可能になった。シーア派警察は、殺人武装部隊deth squadに変わってしまった。民衆を護るという掛け声で、ここでもイラクのアルカーイダAQIが勢力を延ばし、子供を略奪し、恐怖を与え、残酷な処刑に参加させ、人間の感覚を喪失させ、テロリストに仕立てることが増加した。
 私が2005年アメリカから大隊とともに派遣されてTal Afarにきたとき、アバディは閣僚で、ダアワ党で影響力を持ち、知事ジュブーリNajim Abed Abdullah al-Jibouriとともに市民の分裂を和解させる政策を強力に進め、アルカーイダの介入を防ぎ、学校も再開し、治安を回復することにある程度成功しつつあった。
 私は、トランプ大統領に、イラク政府には、イランの指図で入り込んだジャファーリのようなとんでもない人物もいる半面で、アバディ首相やジュブーリのような立派な人も実在していて、大変な努力の結果として成果をあげていることを知って欲しかった。
 トランプ大統領とイラクのリーダーたちとの会見では、主にISISへの軍事的対策が話題となった。その4か月前に、古都シンジャールSinjarをISISから解放していた。2014年5,000人以上のヤズィーディーYazidisが拷問・レイプ・誘拐され、殺害あるいは人身売却された地である。アバディ首相は、トラウマに獲りつかれたイラクのひとびとを元の生活に戻し、政府が安全を保障できるようにして、将来に期待を持てるようにすることが必要だと言った。ジャファーリ外相はアメリカ嫌いの態度を隠さず、単にイラクへの資金援助の増加を求めた。トランプ大統領は、取り合わなかった。

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