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無意味な緊急事態宣言

 参院内閣委員会の閉会中審査が7月15日開かれ、立憲民主党木戸口英司参院議員の質問に答えて、政府の新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長が東京都に4度目の緊急事態宣言が出ていることを踏まえ、「人々が緊急事態(宣言)に慣れ、飲食店も『もう限界だ』との声も聞こえる中で、人々の行動制限だけに頼るという時代はもう終わりつつある」との認識を表明した。
 これをうけて、テレビなどのマスコミは、いまごろになって唐突に驚いたと騒いでいるが、実際は少なくとも1か月以上前に、以下のように尾身会長は同じ内容のことを国会で正式に表明していた。マスコミが取り上げなかっただけである。
 2021年6月3日、衆議院厚生労働委員会の質疑で、日本維新の会青山雅幸議員から、アメリカのノースダコタ/サウスダコタ、そしてカリフォルニア/フロリダの対比データから、ロックダウン的なアプローチ、すなわち人流制限、外出制限、ヒトの隔離などの方法は、ほとんど効果が無いという観測事実を指摘され、尾身会長は「重要な問題提起。人の隔離が必要なのか、という話。公衆衛生の歴史上は人の接触を断つというのが19世紀以来。アメリカの例はまた勉強してみるが、スペイン風邪についてのセントルイスとフィラデルフィアの例、それが公衆衛生のバイブル。自然減もあるが。将来は、ワクチンまではソーシャルディスタンスに頼らなければならないが21世紀なのに19世紀的手法。これからは検査やITコードを使った手法、下水でのサンプル採取で感染流行の兆しを把握、飲食店でCO2モニターなど。そういう方向に変わるべき。」と答弁している。つまり、コロナ対策として、緊急事態宣言などのロックダウン的手法は、19世紀的手法だと明言しているのである。
 莫大な臨時予算を投入しながら自殺者を増加させ、零細飲食業者などに甚大な被害を与える、こんなに理不尽で有害な政策が、なぜいままで継続されてきたのか
 現状を、少し距離をおいてみつめると、40年以上前にミッシェル・フーコーが指摘した、かつての暴力と自由との対立ではない、権力と知の結合による有無を言わさぬ強制力をもつ新しい権力としての「厚生権力」による「生命政治の支配」が現実化してしまっているのである。体が病気になると困ったことになるという事実をちらつかせながら、医師が臨床医学的知識を押しつけてくるならば、ヒトの意識は自由と隷属の選択には関われず、どんなに理性的であったとしても、この新しい権力に対して対決する必要を感じず、いつのまにかみずから支配されることを望むようになってしまうのである。
 生命政治の思想(船木亨『現代思想史入門』ちくま新書、119ページ)を引用する。
 たとえばたばこの煙や匂いが嫌いだったひとの場合、ひとを道徳的に間違っているといって批難するより、それをすると病気になる、周囲のひとを病気にするという事情を説明することで、それをやめさせることができるような状況になっている。
しかし、そのうらはらな結果として、健康に害があるとはいえないものについては、一切が許されることになる。ある少女が、援助交際を咎められたとき、「だれにも迷惑をかけているわけではない」といったという。つまり、近代的価値としての自由が、「勝手気まま」や「自己毀損」をしか、意味しなくなっているということである。ジョン・S・ミルが『自由論』で書いているように、実質的な苦痛が生じない、迷惑がかからない感性的なことがらについては、ひとびとはみな我慢すべきだということになる。
 ミルの時代と異なって、いまはいわば自由の飽和、他人たちの自由を放任するために一人ひとりの自由が損なわれるといった状況にいたっているといえるかもしれない。他人の自由に対しては、すぐにハラスメントが問題にされるように、もはやだれも口出しすることはできない。だから今日では、何が善で何が悪かは、各人の理性ではなく、医師が判断する。医師が病気(異常)であるとするものが悪であり、そうでないもの(正常)が善である。各人の理性的判断とは、いまでは医師の指示に従って、各自の身体と精神の健康に配慮することでしかない。
こうした正義の基準の変化は、問題行動に対する物語り方の変化であるともいえる。近代では、互いに迷惑がかかるような行為を、どこまで個人の自由が優先されるべきか、何が法律や道徳によって規制されていいかという物語り方で、各人の理性によって議論され、判断されてきた。それがいまは、健康に害があるかどうかの議論となり、医師のみが裁定できるような物語り方がされるようになっているということなのである。
 現実の医師は、相対的には普通の人たち以上に自由で、10人いれば10種の意見がある。しかしテレビに出てくるコメンテーターの医師は、メディアが都合の良い者に限るのか、たいていいつも同じ顔であり、同じ発言を繰り返している。政府としては、病気に関わる問題なので医師の意見を聞こうとするが、政府が意見を聞く相手も、現実には医師会会長や尾身会長などのごく一部の医師の意見のみとなる。ほんとうは政治的判断で政府が最終的には独自に決めるべきなのに、ごく一部の医師の意見と、マスコミに操られた「世論」なるものに引きずられる。医師会会長が、自ら主張する緊急事態宣言を破るような行動をするのは、倫理的に問題化される以前に、彼らは本心ではこのような対策が無意味だと考えているからである。
 コロナ騒動は、すでに1年半も続いている。その間の死亡者数は15,000人程度であり、しかもその75%が80歳以上の高齢者である。年間の死亡者数だけでみると、交通事故の8,000人/年と大差がない。交通事故が怖いから外出や旅行を自粛しようというヒトが、どれだけいるだろうか。それにも関わらず、毎日毎日朝から晩まで、コロナ騒動の話題ばかり、それこそ同じことを繰り返し繰り返し報道して、視聴者を必要以上に震え上がらせてきたメディア・マスコミの弊害に、間違いに、われわれ一般庶民が気づかなければならない。共産主義などの独裁国家とは異なり、わが国は一般国民が政権を決めるため、政権は国民の意見、世論に敏感にならざるを得ない。われわれ一般国民がマスコミの誤った報道に泥み、集団ヒステリーのごとく緊急事態宣言の発令を望むなら、政府は発令してしまうだろう。
 もちろん世界的に新型コロナ肺炎が大流行して、パンデミックになっているのであり、けっして安心・安全なわけではない。「ウイルスに打ち勝つ」「ノー・コロナ」ななどと叫ぶことを嘲笑する程度には、ウイルスはじゅうぶんに強かなのである。ワクチンをしたくらいで、ウイルスを侮ってはならない。引き続き行動にはできるだけ慎重を期して、自分の罹患を防ぐための丁寧な手洗いと、知らないうちに感染して他人にうつさないためのマスクの着用は、引き続き励行すべきである。しかし効果が無くて被害者を出すような、非常事態宣言のような愚行は即刻やめるべきだ。
 私達一般庶民は、マスコミを鵜呑みにするのでなく、自分の頭で考えて、自分のために正しいと思う方向を判断しなければならない。民主主義の国では、国民のレベルが政府のレベルを規定するのである。

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