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ボイス+パレルモ展 大阪国立国際美術館(1)

 私はボイスもパレルモも、これまで知らなかった。大阪市中之島の国立国際美術館で特別展が開催されているというので、知らない芸術家の作品を観るのもよいかも、と気軽に出かけた。11月の平日の午後から入館して、多分すぐに終わって日の暮れないうちに帰宅できるだろう、と高を括っていたのだが、果たして午後5時の閉館にかろうじて間に合うという長時間を要する鑑賞となってしまった。

ヨーゼフ・ボイス
 ヨーゼフ・ボイスJoseph Beuys(1921-1986)は、ドイツ西部ノルトライン・ヴェストファーレン州クレーフェルトに1921年生まれた。鹿、ウサギ、家畜の羊などが好きで、さまざまな伝説・物語を好んで読む、医師を目指す少年時代であった。15歳のころ、ボイスはヒトラー・ユーゲントに加入した。「誰もが教会に行くように、当時は誰もがヒトラー・ユーゲントに行ったのさ。」と後に語っている。同じころ、ナチスに焚書されるべき書籍の中にあった彫刻家ヴィルヘルム・レームブルックの作品図版を見て強い衝撃を受け、以後生涯にわたりレームブルックを尊敬し、かつ彫刻の可能性を信じるようになったという。Photo_20211129061201
 青年期からはデッサンを描き始めるが、そこでは北方や東方の神話、自然科学、ルドルフ・シュタイナーの「人智学Anthroposophie」などをテーマとしていた。その1940年ころに、第二次世界大戦がはじまり、ボイスはドイツ空軍に志願し、通信兵として東部戦線に参戦した。ドイツの敗戦間近の1944年5月、ボイスはクリミア半島上空でソ連軍に撃墜され、瀕死の重症を負ってドイツ軍野戦病院に収容された。このとき、どういう縁かクリミア・タタール人の遊牧民に助けられ、一命をとりとめたと後に語っている。体温を維持するために脂肪を全身に塗り込められ、フェルトで包まれたというのだ。これが、ボイスにとって後に彼の作品の主要な材料・モチーフとなる脂肪とフェルトとの出会いであった。
終戦後は、芸術家になることを目指してデュッセルドルフ芸術アカデミーに学び、40歳の1961年には教授となって、パレルモなど多くの芸術家を輩出した。
 ボイスは、アカデミーの主流派とは異なり、「拡張された芸術概念」、「社会彫塑」、「人は誰もが芸術家である」と主張していた。作品は、絵画(どういうわけか、この展覧会の解説文ではすべてドゥローイングと表記されている)、彫刻、インスタレーション、学生との討論会(むしろ同志の集会)などの多面的な活動を行った。最晩年の1984年には、日本にも訪れている。

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