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モダン建築の京都展 京都市京セラ美術館(3)

3.和と洋を紡ぐ
 わが国で、本格的な西洋建築が始まった当初から、和=日本と洋=西洋とをいかにつなぐかが、建築関係者の関心のひとつの核であった。御用技術者として日本政府が招いたイギリス人ジョサイア・コンドルは、明治10年(1877)来日すると、辰野金吾や片岡東熊など教え子たちに西洋建築を教えはじめた当初から、日本やアジアの要素を建築設計に取り入れることを指導していた。東京帝国博物館(明治14年竣工)のレンガ造りの外観には、インドやイスラムを想起させるドームやアーチが取り入れられている。この日本の地に建つべき建築として、コンドルは、最初から日本やアジアの要素の紡ぎ込みを問いかけていたようだ。Photo_20211115061201
 円山公園から「ねねの道」に下る途中にある大雲院は、実業家大倉喜八郎が京都別邸として建てた「京都大倉別邸」であった。この敷地にある「祇園閣」は、祇園祭の山鉾を模したユニークな塔である。昭和2年(1927)の竣工であるが、設計は伊東忠太である。日本建築の全体から細部まで、すべてを熟知した伊東忠太ならではの、京の遊びの系譜に近代的な贅沢を加えた傑作と評されている。
 昭和3年(1928)昭和天皇即位の大礼が京都御所で挙行されたが、これを記念する事業として、当時の京都に未だなかった公立美術館を建設しようと、当時の京都市長が提案し、市議会の賛同と多数の市民からの寄付を得て昭和8年(1933)開館したのが、「大礼記念京都美術館」(現在の京セラ美術館)であった。
Photo_20211115061301   設計は「四囲の環境に応じた日本趣味を基調とした様式とすること」との規定がつけられたコンペとなり、前田健二郎が当選した。前田健二郎(1892-1975)は、東京美術学校(現・東京芸術大学)図案科を卒業して逓信省、第一銀行技師を経て、大正末に自身の設計事務所を設立していた。多数の設計コンペに入選したが、結果として実現したのはこの大礼記念京都美術館のみとなった。コンペ以外では、共立女子大学共立講堂や鎌倉妙本寺釈迦堂などが作品として残っている。和洋の保守的な様式も、流行のデザインもうまく駆使できる建築家であったと評されている。
 今では京都市京セラ美術館となったこの建物は、建物全体のマクロな様式は西洋風とし、小さくともアクセントの大きい正面の千鳥破風をはじめ、飾金具、蟇股(かえるまた)などの局所的な要素に和風を巧みに導入している。

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