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モダン建築の京都展 京都市京セラ美術館(4)

4.ミッショナリー・アーキテクトの夢
 明治維新の後、わが国は西欧の先進文化・先進科学技術を学ぶことに懸命であったが、その活動の一部として、純粋な宗教的情熱を越えてキリスト教の精神や文物に憧れ、それらを媒介として西欧の先進文化・先進科学技術を取り入れようとした。それに応えて西欧からは、宗教的使命感をもった多くの宣教師や知識人が来日した。宗教的使命感のもとでキリスト教にかかわる教会堂、ミッション系の学校、病院、YMCA、宣教師館などの設計や建築にかかわった建築家たちを「ミッショナリー・アーキテクト」と呼ぶ。彼らの作品も、京都には多く残っている。Photo_20211117061701
 新島襄は、若き日々をアメリカに学び、明治8年(1875)帰国して京都に同志社英学校を開校した。やがて会津藩に生まれ戊辰戦争を闘った山本八重と知り合い結婚した新島襄は、明治11年(1878)京都御所近くの土地を購入して私邸を建てた。新島旧邸は同志社の教員で宣教師でもあったW.テイラーのアドバイスを得て、特徴あるベランダをもつコロニアル様式に、鎧戸(ガラリ戸)付のガラス窓が並ぶ木造二階建ての洋式住宅である。施工は、京都の大工であったという。セントラル暖房や洋式トイレなどがある一方で、日本瓦の寄棟屋根、角柱で真壁式の漆喰壁、障子風の欄間窓、2階の和室など、和洋混淆となっている。宣教師としての新島襄の生活信条から、全体としてはごく質素な佇まいである。昭和60年(1985)京都私邸有形文化財となって、保存されている。
Photo_20211117061702  新島襄が創設した同志社のキャンパスには、明治20年代から規模の大きな立派なレンガ造り建築が増えて行った。「同志社クラーク記念館」は、B.W.クラーク夫妻の寄付によって建てられた神学館である。神学部のための建物であり、キャンパスでもっとも目を引く建物である。北側に切妻屋根、中央部に大きな寄棟屋根、南西部角に小ドーム屋根をもつ八角塔が置かれる、きわめて個性的なデザインである。外壁にはさまざまな円形アーチ窓があり、棟飾りをもつ華やかな屋根、館内の重厚な玄関ホール、豪華なアーチ型船底天井のある2階講堂など、ドイツのネオ・ゴシック様式のきわだった建物である。

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