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エゴン・シーレ展 東京都美術館(5)

性の表現への挑戦
 当時、裸体や性を描くこと自体は問題視される傾向がやや減りつつあったが、シーレの描く表現は非常に過激だと受け取られた。それでもシーレは倫理的に問題視されるような描写も怯まず作品に取り入れていった。Photo_20230521053701
 これも自画像ではないかとされる「座る裸の男」(1910)がある。
 シーレの自画像は、描かれた頻度だけでなく、その表現方法においても普通ではない。この作品は、西洋美術史においては前代未聞の、非常に露出度の高いポーズでのエロティックな男性自画像となっている。
 赤い目が光り、変形した脚はその尖端がなく、身体が完全に露出しているが、羞恥心を示唆しているとまでも思えないが、顔が部分的に隠れていて、激しく恐ろしげな姿を作り出している。
Photo_20230521053702  当時シーレが取り組んでいた表現主義の特徴として、線と輪郭、過酷な環境にさらされてすり減った肉体を表現することで、不安を表現しているらしい。
 1911年、シーレは自らの裸体モデルを務めていたハチミツ色の金髪と青い目をもつ17歳の少女ヴァリ・ノイツィルと同棲を始めた。彼女はクリムトから紹介されたモデルであるとも、街中でシーレが声をかけた女性とも言われているが、知り合った経緯は定かではない。
 「黄色の女」(1914)は、モデルはヴァリだと思われる。
 親しい間柄となった2人はウィーンの喧騒を離れて母方の故郷であるチェコのチェスキー・クルムロフ市へ移住している。2人の関係は隠し立てされたものでもなかったが、シーレの母の一族が住んでいたにも関わらず閉鎖的な田舎町は彼らを歓迎しなかった。シーレの家に娼婦などが出入りしてヌードモデルをしていることを近隣の住民が知るところとなったからで、やがて2人は町から追い出されるようにしてウィーンへと舞い戻った。
 そして今度はウィーン近郊のノイレングバッハにアトリエを開いて活動したが、下町の子供を誘い込んで絵のモデルにしたり、庭で女性モデルを裸にしてデッサンを描くなどしたため、再び近隣住民から追い出されるように町を後にすることとなった。
 1912年4月、14歳の少女がシーレの家で一夜を明かしたと警察に告げ、警察が逮捕の為に踏み込むと大量の猥褻な絵が出てきた。その後シーレは、24日間にわたって拘留された。シーレ自身の手記によれば、彼は家出少女に宿を貸しただけで何らやましいことはないと書き残している。しかし裁判所はシーレの絵を猥褻物として押収し、そればかりか裁判官のひとりは目の前にあった蝋燭で絵を燃やすという挑発行為まで行ったという。Photo_20230521053801
 「頭を下げてひざまずく女」(1915)も、これらのヌード作品のひとつである。
 伝統的な裸婦像は立っているか、あるいは横たわるポーズをとっていることが大半だが、シーレの裸婦の多くは体を極端にひねったり、うずくまったり、膝を抱え込んだりと、伝統からいちじるしく逸脱してバラエティに富んでいる。この作品では、女性がひざまずいた状態から突然前屈みになったその瞬間がとらえられている。ふわりと膨らんだスリップと、露わになった太腿は、シーレらしいエロティックな演出であるとともに、画中に運動感をもたらしている。
 太ももに描きこまれた痣のようなピンクや、なにか汚れか影か緑っぽい灰色など、一見粗雑にみえる色も、よくみると丁寧にしっかり描きこまれていることがわかる。すべての部分が緻密に描かれている結果として、絵全体が独特の風格を醸し出すのである。

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