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エゴン・シーレ展 東京都美術館(3)

シーレの進化の時代(下)
 もうひとり、やはりシーレに影響を与えた画家がいた。リヒャルト・ゲルストル(1883 - 1908)は、オーストリアのウィーンに、ユダヤ人の裕福な商人の父と、非ユダヤ人の母のもとに生まれた。15歳にしてウィーン美術アカデミーに入学し、頑固で気難しいことで知られるクリスティアン・グリーペンケールに師事した。
 ゲルストルは、ウィーン分離派のスタイルに飽きたらず、独自の絵画を模索したが、周囲からはなかなか受け入れられなかった。Photo_20230519055701
 ゲルストルは音楽への関心が高く、頻繁にコンサートに通っていた。1907年ころ、同じ建物に住んでいた作曲家のアルノルト・シェーンベルクとアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーとに知り合った。ゲルストルとシェーンベルクは、互いに才能を認め合い、親しくなった。ゲルストルは、シェーンベルクやその妻マティルデのほか、ツェムリンスキー、アルバン・ベルクの肖像画を描いたりもした。その作品は、ドイツ表現主義を予告するものであった。
 ゲルストルとマティルデは、次第に親密になり、1908年の夏、マティルデは夫と子を置いて、ゲルストルとともに出奔した。当時シェーンベルクは、妻に捧げる弦楽四重奏曲第2番を作曲しているところであった。マティルデは結局、その年の10月ゲルストルから去って夫のもとに帰った。
 マティルデに去られた悲しみと、絵画界での孤立、芸術的な不成功に追い詰められたゲルストルは、1908年11月アトリエで、全ての手紙を燃やし、多くの作品をこの時破壊したと考えられている。ゲルストルは、アトリエの鏡の前で首を吊り、かつ刃物で自らを刺して自決した。彼の死後、作品は長らく封印されていたが、1931年に初めて展覧会が開催され、再び注目されるようになった。
 ゲルストル「半裸の自画像」(1902)が展示されている。青い背景に浮かび上がるこの自画像は、自らを受難のイエス・キリストであるかのように描いたようにも思える。強烈な自意識のもとに自己をナルシスティックに描くシーレの自己表現に先んじる作品とも位置づけられる。

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