デザインとアート展 中之島美術館(3)
絵画の革新を目指して─三上誠と池田龍雄(下)
池田龍雄(1928~2020)は昭和3年、佐賀県西松浦郡二里村(現・伊万里市二里町)に五男二女の長男として生まれた。
小学校時代から児童スケッチ大会で三等銅メダルを受賞するなどしたが、幼少期には『子供の科学』に親しみ、自然科学に関心を持っていたという。
昭和16年(1941)佐賀県立伊万里商業学校へ入学したが、昭和18年(1943)には海軍航空隊に入隊し、第13期海軍飛行予科練習生として鹿児島海軍航空隊に配属された。
昭和20年(1945)2月、飛行練習生過程を修了し、岩国航空隊へ移った。同年4月特攻隊員として、霞ヶ浦航空隊へ移動した。しかし8月には終戦となり、除隊して佐賀へ戻るという経験をした。
戦後は、昭和21年(1946)長崎県佐世保の進駐軍キャンプ設営地で働いた後、昭和23年(1948)上京して多摩造形芸術専門学校(現・多摩美術大学)へ入学した。同級生には桂川寛、森正洋らがいる。独学で油絵を学んでいたが、同年秋には学友に誘われ岡本太郎や花田清輝らの「アヴァンギャルド芸術研究会」に参加し、アバンギャルド(前衛芸術)の道を歩むこととなった。
昭和25年(1950)朝鮮戦争から社会意識を強め、絵画においても実際の事件・政治問題に取材したルポタージュの可能性を探るようになった。昭和29年(1954)読売アンデパンダン展に内灘闘争を描いた「網元」を発表した。
1950年代には小型ペン画の制作をはじめ、1950年代末ころには大型ペン画を集中して制作した。展示されている「見知らぬ機械」(1955)、「企業」(1955)は、このころの作品である。
大型ペン画制作に関して、池田はアンフォルメル運動に影響され、抽象化に傾く当時の流れに対して事実の外側の世界を取り込み造形化する意識を持っていたと発言している。
60年代以降は、政治的主題を離れ宇宙や時間など物理学的なテーマへ移り、「百仮面」「楕円空間」「玩具世界」「BRAHMAN」「万有引力」「場の位相」シリーズなど風刺や諧謔を交えたペン画のシリーズを制作した。
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