竹内繁樹『量子コンピュータ』講談社ブルーバックス
近年、科学技術館分野のみならず、経済、さらには国家安全保障の話題にまで、「量子コンピュータ」が登場するようになっている。その一方で、私はその「量子コンピュータ」なるものについて、ほとんど具体的な知識がない。そこで大学工学部の教員ネットワークをもつ友人に相談して、素人にも理解できそうな入門書を探してもらった。このひとつがこの本である。以下にその概要をまとめる。
スーパーコンピューターをはじめ、これまでのコンピュータはすべて、ここでは「古典的コンピュータ」と位置づけられているが、それは「古典的ビット」を基礎的情報単位として、ノットとアンド(あわせてNAND)があれば、すべての演算処理可能である、とするものである。ディジタル・コンピュータとはいうものの、演算の実行過程では、アナログ情報たる電圧を用いて、たとえば3ボルト以上を「1」、2ボルト以下を「0」と解釈して、演算操作はディジタルで電気的に実行している。ここではある瞬間には最小単位のビット情報をひとつひとつ演算する。
これに対し「量子コンピュータ」では、「量子ビット」として量子波(確率波)の確率振幅とその位相と、その重ね合わせ状態をひとつの基礎的単位として複数の情報を担わせ、その回転(位相角の変更)と制御ノット(特定条件で反転する)があればすべての演算を処理できる、とするものであり、原理的に超並列処理を特徴とする。とくに量子波の確率振幅の「重ね合わせ状態」による並列処理性がキーポイントである。
1980年ころから、アメリカのノーベル賞物理学者ファインマンは、その広い関心から、世界で最も正しい物理が量子力学なのだから、量子物理に従う計算方法がもっとも強力なはずだ、と唱えていた。しかし1985年イギリスの物理学者ドイッツェが、重ね合わせこそが重要と主張するようになった。よって著者竹内氏は、このドイッツェこそが量子コンピューティングの発案者である、としている。
この本では、量子コンピュータの基本概念の解説として、「量子ビット」を用いた論理的思考実験として、3つの例を取りあげている。
ひとつ目は、ドイッツェ-ジョサの「均一ビット列」と「等分ビット列」を並列処理で迅速に判別するアルゴリズムである。ここでは「量子回路」の例を説明している。
ふたつ目は、グローバーの検索アルゴリズムで、「量子データベース回路」と「確率振幅増幅」を説明している。
三つ目は、ショアの、暗号制作・解読に深く関わる素因数分解アルゴリズムで、フーリエ変換の量子コンピューティングによる並列計算(量子フーリエ変換)を解説している。
いずれも専門的に詳細な解説というわけではないが、論理的には飛躍がない、わかり易い優れた解説である。
この量子コンピュータの実用に向けてのインプリメントだが、基本要素の「量子ビット」を構成する方法がまず問題である。「量子」現象を顕わすものとして、最初に実験に用いられたのが「光子」であった。光子は、周囲から擾乱を受けにくいという特徴があり、その意味ではノイズに強く好適だが、個々の量子を扱えるためには「単一光子」であることが必要であり、そのためきわめて微弱な光である必要があり、受光装置はかなり手の込んだものが必須となる。周囲から擾乱を受けにくいことは、半面では回転や反転などの量子ビット処理が容易ではない。微小共振器のなかの希薄セシウムガスを使った量子位相ゲートなどが提案されている。著者の研究グループは1998年、偏光と干渉光学系の経路差を用いた単一光子の実験セットを構成して、4ビットのドイッツェ-ジョサ・アルゴリズムの実証実験に成功したという。
この他にも、電子スピン、核スピン、シリコン中の原子核スピン、超伝導量子(クーパー・ペア)などの試みがあるという。
今後の実用に向けてのポイントは、基本的には量子波の重ね合わせ状態の維持であり、これを破壊する「デ・コヒーレンス」との闘いである。量子ビット構成要素のエネルギーが大きいと量子の変化が早いので、それはコヒーレンス維持時間が短縮されることにつながるため、できるだけ低いエネルギー、低温で演算処理することになる。また、この問題はノイズとの闘いに直結している。
この本が発刊されたのが、2005年2月であり、20年近くも昔であるため、最近の研究開発動向にかんしては、情報がない。しかし、量子コンピュータの基本的な概念と基礎理論の入門書としては、とてもしっかりした書籍である。
ブルーバックスといういかにも軽そうな装丁で、かつ新書版、270ページ足らずというごく小さな本なのだが、読んでみるととても充実した良書であった。
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