京都国立近代美術館が開館した昭和38年(1963)から昭和45(1970)年まで、毎年開催された「現代美術の動向」展(1964年から「現代美術の動向」展に改名)は、定点観測的なグループ展シリーズであった。国公立の美術館がまだ少なかった1960年代に、日本の現代美術の中堅・若手作家を紹介する希少な展覧会として大きな注目を集めていた。全9回におよぶ「動向」展が取り上げた作家・作品は、素材や形式も実にさまざまであった。
戦後の高度経済成長期に入った1960年代は、社会や人々の生活の急激な変化を背景に、絵画や彫刻といった既成の区分の逸脱と、形式・素材の多様化が進むのみならず、美術の概念そのものを刷新する動きが活発化した時代でもあった。抽象絵画、ネオ・ダダ、ポップ、キネティック、コンセプチュアル、ハプニング、もの派など、今日の「現代美術」の表現言語の多くは、まさにこの時期に生み出された。
「動向」展は、美術館がこうした目まぐるしく変貌する美術の状況と向き合い、若い世代のアーティストや鑑賞者との共感にもとづく実験場となるべく創始された。美術館の建物を用いたその場限りのインスタレーションやハプニングなど、関係者の記憶や記録写真だけが頼りの作品もかなりあった。
今回の展覧会では、全部で293組の出品作家の中から66組をとりあげ、出品作あるいは関連作、記録写真、展覧会に関するアーカイヴ資料などを紹介しながら、1960 年代当時の美術館とアーティストが切り結んだ美術の現場のスタートラインをあらためて検証しようとする企画だという。
美術の様式の拡大(上)
戦後の復興から高度成長期に入り、アートの分野でも雰囲気が高揚し加速し、表現様式や画風が拡大した。19世紀からの描写形態もあれば、抽象表現も普及してきたし、さらに「ネオ・ダダ」のような運動まで画家たちの真摯な活動として実施されるようになった。とくにわが国には、日本画と洋画の伝統的区分が習慣的に残存していたことも様式の幅を広くする要因のひとつであったろう。しかし一方では一般の人々の目には様式の多岐多彩が、一種の混乱として見えたことも事実であった。
元永定正「作品」(1961)が展示されている。
元永定正は、元永定正(もとなが さだまさ、大正11年 1922~平成23年 2011)は、地元の三重県上野商業学校を卒業後、大阪に転居し機械工具店に就職した。当初は漫画家を志して、漫画作品の投稿もしていたという。
その後日本国有鉄道(国鉄)に転職し、関西各営業所で勤務を経て昭和19年(1944)生誕の地であった三重県上野町に帰郷し、同郷の洋画家濱邊萬吉に師事した。昭和15年(1940)大阪市にあった中之島洋画研究所(現在の専門学校中の島美術学院)でも洋画を学んだ。さきの大戦後、昭和21年(1946)師の濱邊が局長を務めていた上野愛宕町郵便局に就職したころから本格的に油彩画を開始した。
地元の各種文化活動にも積極的に参加して入選などを経験しながら、また同時期に雑誌などに漫画連載を持っていた。
昭和25年(1950)弟がいた兵庫県神戸市に転居し、西宮美術教室で絵を学びつつ、西宮市や芦屋市の美術展に絵画や写真を出展した。やがて展覧会を主宰していた吉原治良に認められ、具体美術協会に参加するようになった。昭和28年(1958)ころからは日本画のたらし込み技法にヒントを得て、キャンバス上に絵の具を流した絵作りも開始した。
元永は、この経歴からわかるように、漫画にまでおよぶ独自の広い視野からの創作活動を通じて、最初から洋画・日本画の枠にとらわれない自由な画風を貫き、さらに具体美術運動を経て、新しい表現の境地を築いたと言えよう。
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