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2023年10月

「少女たち-夢と希望・そのはざまで」展(2)

岡本神草「拳の舞妓」
 冒頭に、今回の展覧会のポスターともなった岡本神草「拳の舞妓(部分)」(1922年頃)がある。Photo_20231031055401
 岡本神草(おかもとしんそう、明治27年1894~昭和8年1933)は、兵庫県神戸市に生まれた。京都市立美術高等学校を経て、京都市立絵画専門学校に進み日本画を学んだ。在学中の大正4年(1915)に絵画研究団体密栗会の結成に参加した。そのころから長田幹彦の影響を受けて、主に舞妓を画題とするようになった。大正7年(1918)卒業制作の「口紅」が土田麦僊に認められ、第一回国画創作協会展に入選した。
 その2年後の大正9年(1920)その国画創作協会展に出展したのが、今回展示作品のもととなった、3人の舞妓を描いた「拳を打てる三人の舞妓(習作)」であった。これは、昭和61年(1986)京都国立近代美術館の「京都の日本画1910-1930」に、新発見作品として取り上げられ、注目を集めた。
Photo_20231031055402 「拳を打てる三人の舞妓(習作)」に魅せられ、なんとか入手したいと思った星野は、岡本神草の遺族から譲り受けた資料群から、岡本神草が、国画創作協会展の締切りに間に合わなくなり、描きかけの作品から一部を切断して上京した、との記述を見つけた。国画創作協会展に出展されたのは、実は今回展示されている「拳の舞妓」を一部とする「拳を打てる三人の舞妓(習作)」であったのだ。星野は、資料群のなかから、その切断された絵画を見つけた。
 切断された絵画と残存部分を合わせる実証会合は、京都国立近代美術館において大勢の報道陣のなかで行われ、見事に一致することが示された。その瞬間には、一同から感嘆と感動の声が上がったという。その後、表具師山本之夫氏により、残存部分も合体して額装された。
 今回の出展作は、さらにその後に、岡本神草自身により改めて描かれた関連作品である。
 岡本神草は、拳遊びに熱中する舞妓の表情を、力が入って掌の筋肉まで張出した様子を表現することで迫力をもって描写したが、舞妓の可愛さ以上に、なにか怖さを表わすような雰囲気となっているのが興味深い。

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「少女たち-夢と希望・そのはざまで」展(1)

Photo_20231030061201  京都東山区に「星野画廊」という画廊がある。昭和46年(1971)に画商活動を開始したオーナー星野桂三氏は、2年後の1973年に三条大橋東に星野画廊を開設した。昭和58年(1983)には画廊を現在の神宮道に移転している。
 画廊の看板企画「忘れられた画家シリーズ」の第1回展を開催したのが1978年であった。その後同シリーズ企画展は2014年の久保田米僊展で35回の開催となった。日本画・洋画の区別なく様々な展覧会を開催して、日本近代美術史に埋もれた佳品の発掘顕彰作業を続けてきた。
 今回の京都文化博物館の展覧会は、有名無名を問わず星野桂三氏の審美眼によって選ばれた美人画コレクションから、「少女たち」をテーマとした121点を紹介するものである。

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保坂三四郎『諜報国家ロシア』中公新書

KGB一次資料によるロシア諜報活動の実態解明と特異な政治文化
 現代ロシアの本質は、民主主義国家でないのは自明だが、単なる全体主義国家あるいは権威主義国家のみならず、諜報機関(旧国家保安委員会KGB、現FSB)を国家権力の源泉とする「防諜国家」である。
 KGBは100年余り前、ロシア10月革命直後の1917年12月創設された「反革命・サボタージュ取締全ロシア委員会=チェーカーCheka」を前身としている。職業革命家集団ボリシェヴィキがソ連を建国したが、そのボリシェヴィキの革命と体制を死守することがチェーカーの使命であった。以来、KGBなどの諜報活動関係者を「チェキスト」という。
 スターリンは、内務人民委員部NKVDの管理下となったKGBを包括拡大した国家政治局GPUをコントロールすることで強力な独裁を実現することができた。スターリンの死後、フルシチョフはスターリン批判を行い統治の改革を宣言したが、その一方で国家保安委員会KGBの革新と保持に注力した。1985年のゴルバチョフも、1990年代のエリツィンも、KGBあるいはその後継組織を維持・継承した。
 チェーカーの創設者ジェルジンスキーは「冷静な頭脳、暖かい心、穢れのない手」として崇拝され、KGBはソ連共産党政治局直轄で、国境警備隊を除いて職員数50万人をソ連末期まで維持した。
 KGBは、所属する現役予備将校を、身分を隠して各種機関へ派遣し、派遣先の表向きの肩書(大学教授、研究者、公務員、ジャーナリスト、企業の従業員など)を使いながら諜報活動を推進する。それぞれの分野の専門能力も高く、博士も数百人レベルを擁する。外国に対しては、日本に来たゾルゲなどのように、偽パスポートにより国籍を偽って活動する「イリーガル」将校もいる。諜報活動として世界的にも珍しいのは、KGBはソ連軍の内部へも諜報員を潜入させ、自国内および自国軍隊内への諜報活動を続けていることである。
 KGBは、さまざまな「協力者」あるいはチェキストの分身ともいえる「エージェント」を国内・外国問わず育成・確保して情報収集や工作を実行する。たとえば、元ウクライナ大統領府長官ヴィクトル・メドヴェチュークは、プーチンの元エージェントであり、2022年ウクライナ侵攻後ウクライナ政府に逮捕されていたが、同年9月の捕虜交換で、ウクライナ側捕虜160名と交換でロシアに戻った。エージェントの総数は、100万人から150万人にのぼるという。1970年代末、東京KGB駐在所は、朝日・読売・産経・東京新聞にエージェント31名をもち、「信頼ある人物」24名を抱えていたとの記録がある。
 KGB出身のプーチンの体制となって、KGBはFSBと名前を変え、行政に加えてソ連崩壊混乱期の犯罪マフィアまでをも取り込んだ三位一体となって、ますます強力になった。
 KGB(現在のFSB)の戦術や手法としては、いくつかの典型がある。
 まずKGBの「心と魂」とされる「アクティブメジャーズ」である。これは、さまざまに工夫を凝らした偽情報・陰謀・暴露・コンプロマット(セックス・スキャンダルなど信用失墜を狙った情報)を用いて、標的人物に対して戦略的に攻撃するものである。西側のエージェントや協力者を介して拡散することも多い。「偽情報」は、大部分正しくてそこへ少しの要となる嘘を挿入するのがもっとも効果的である。そしてその内容以上に、どのようなチャネルでターゲットに伝達するかが重要であり、第三国のメディアを活用することも多い。「インフルエンス・エージェント」は、その目的をもって友人・個人的信頼関係をつくり、効率的に伝達できる偽情報チャネルとして利用するものである。プーチンの「ヴァルダイ討論クラブ」は、ロシアが費用負担して外国のロシアに関心を持つ学者・政治家などを優遇招待し、「本音の討論」を模擬してロシアに都合のよいナラティヴ(客観的なストーリーではなく、語り手自身がコミットして伝える物語・説明)を効率的に植え付ける。ロシア国内さらに敵対国のNGOを取込み、世論調査介入など内政介入の手段とすることもある。この本の中に、多くの西側・欧米のメディアや学者・評論家たちが巧妙にロシアのナラティヴにとりこまれている例があげられている。日本も石田博英、佐藤優、鈴木宗男などが実名であげられているが、その他にも多くの学者・研究者・政治家がいるという。ロシアのデリケートな情報やアーカイヴを釣り餌にして、あたかも純然たる友情や好感から特別開示するかのようにみせかけてひきつけて、ロシアに好都合なナラティヴ・情報・判断に誘導する。このテクニックは、ロシアが長年研究蓄積してきた高度なものがあるという。
 ロシア特有の民間軍事会社(ワグネルなど)は、ロシアの正規軍発動なくして他国に軍事介入を可能とする。これは純然たる民間ではなく、ロシア軍・ロシア情報機関が人員リクルート・装備・ロジスティクスを強力に支援する点が欧米と異なる。また必要に応じて指揮系統が正規軍に統合されることもあり、ロシアの外国での軍事活動の隠ぺいに役立つ。
 ロシアで1990年代生まれた「政治技術者」political technologistという職業がある。ロシア国内あるいは外国のメディアや情報手段を積極的に活用して世論操作する専門家であり、ひとことで言えば「幻想をつくる仕事」である。アメリカにも「スピンドクター」と呼ばれる世論操作専門家がいるが、ロシアの場合KGBが開発した高度なメディア・世論操作術を継承している点に特徴がある。
 ロシア正教会、レーニン主義共産党の青年団であったコムソモール、若者の洗脳に活用される忠実な少年組織「ナーシ(我らの仲間)」、さらに「ユナルミヤ(全ロシア児童青年軍事愛国社会運動)」なども諜報活動に動員される。
 KGBの行動原理の背景に、ロシア独特の思想・怨念がある。エリツィンは「ロシアは何十年にもわたって旧ソ連構成国たる他の多数の共和国を助けてきた結果、自らの力を使い果たした」と強い被害者意識を吐露し「ロシアは、他国以上の特別な権益が尊重されるべきだ」とした。アレクサンドル・ドゥーギン『地政学の基礎』の疑似地政学「ゲオポリティカ」にあるような「ネオ・ユーラシア主義」(ロシアはアジアにもヨーロッパにも属さない独自の運命を担うユーラシア主義の大国)という幻想的思想も、ロシアに根強い特有のものであり、「(これを理解しない)米国CIAがソ連解体を企てている」とする。
 2014年のクリミア併合、2022年のウクライナ侵攻も、これらのロシア特有の思想・感情がペースとなっていて、ロシアから見たら侵略もきわめて自然で正当な行動なのである。
 著者の保坂三四郎は、大学在学中の2000年にモスクワに留学し、ロシアでの体験に感化されて「ロシアかぶれ」となって帰国した。大学卒業後もロシア関連の仕事に就き、「両国民の友好のため」に働いた。プーチン大統領に心酔し、拍手喝さいしたときもあった。
 しかし、2014年ロシアがクリミアを違法に併合したとき、欧米のみならず日本国内の既知のロシア語やロシア政治・文化を教える先生・有識者たちさえもが、ロシア側から見た歴史・文化的視点から発言し、または「過激なウクライナ民族主義」の台頭説や、欧米諸国の「ダブルスタンダードの不公正」を持ちだして、ロシアの侵略を必死に相対化しようする姿を見て違和感を持つようになった。
 さらに2014年末に、西部のリヴィウに行ったとき、ロシアのプロパガンダがいう「過激なウクライナ民族主義者」を見つけることはできなかった。また、ウクライナ各地の墓地に足を運び何百名の戦死者の墓を訪ね、ウクライナで起きていることが現実的にも理論的にも、一部の欧米の学者が言う「内戦」でないことを確信した。
 KGBあるいはFSBの機密アーカイヴは、当然極秘であり見ることはできなかったが、1991年ソ連から独立したウクライナは、2014年の民主化革命「ユーロマイダン」の後に、ロシアKGBがもと支配下にあったウクライナに持ち込んで残した膨大なアーカイヴを公開した。保坂三四郎の著書の内容は、そのなかのKGBの教本『諜報における情報活動』というKGBの行動規範・記録を記した機密資料によるものである。ジャーナリストや研究者が現地に入って、視察やインタビューで取材した内容というのではない。ロシアKGBが秘密事項として記録した、一次資料の記述内容なのである。
 読んでみて、本書の内容は私には衝撃的であった。KGBはかなりの諜報活動や工作をやってきただろうとは漠然と想定していたが、この本に書かれた内容は、予想をはるかに超える暗く厳しく酷いものであった。最大の問題は、ロシアという国は、国家が諜報活動を行っているのではなく、諜報活動が国家を動かしていることである。このような透明性ゼロの政治文化をもつロシアが、民主主義を受け入れて実施することなど不可能である。プーチンはそれを熟知していたからこそ、2007年2月のミュンヘン国際安全保障会議で、確信をもって西欧諸国からのロシア民主主義化の要求を、強烈に撥ねつけたのであろう。
 私が「平和ボケ」なのか、これほどの非人道的という以上に非人間的な努力や行動が、100年以上もの間、大規模に整然とかつ秘密裡に維持・継続できてきた、というロシアの政治文化は、私の理解を超える。この特異な政治文化が、ロシア革命成功の直後から発生しているのが事実とするならば、このような特異な政治文化と共産主義の関係が必然なのか、必然ならばその理由について、政治学的に研究すべき問題ではないだろうか。その関係が必然なのであれば、ロシア以外の共産主義を経験した国々はどうなのか、と心配は広がる。
 最近になって世界情勢の悪化が激しくなってきたという理解は、実は表面的に過ぎず、もっと恐ろしいものが通奏低音として隠然と続いてきたらしい、ということをあらためて知った思いである。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(12)

東京海上ビルディング
 2028年竣工を目指す東京海上グループの新しい本店ビルが、レンゾ・ピアノ・オフィス(RPBW)と株式会社三菱地所設計とにデザインを委託することとなった。Photo_20231026060601
 新ビルの高さは旧ビルと同じく約100メートルで、地下3階、地上20階、塔屋2階の大きなビルだが、既存の高層ビルには見られない大量の木材を使用する構想であり、ガラスと木材による7本の柱のファサードが最大の特徴である。
 大木が豊かな葉をつけたかのように、屋上には緑あふれる庭園が計画され、立方体の建築平面の中央にパティオ(中庭)、そして建物の周辺にも多くの樹木が植えられる。東京駅前の丸ノ内というまさに大都会の真中に、まるで森林のようなビルが誕生しようとしている。
 これまでの常識からみると、こんなに大型の木造建築というのは、強度・耐火性をはじめ、さまざまな懸念がある。しかしレンゾ・ピアノはこれまでにも、多くの技術的な壁を乗り越えてきた科学技術に強い建築家でもある。
 2022年10月から旧ビルの解体が開始されていて、新ビルの着工は2024年末と予定されている。2028年の竣工まではあと5年だが、私もぜひこれを直接見たいと思う。
 レンゾ・ピアノは、新宮晋との対談のなかで「60歳のとき妻とともに日本の伊勢神宮を訪れ、深い感銘を受けた。20年遷宮という制度は、技術を教育・維持するとともに、建物を作り直すので、西欧に欠けていた「反復」というコンセプトによって石造りでも実現できない「永遠の建物」を実現する。」と評価している。ピアノは、日本の木材建築に並々ならぬ興味と情熱を持っているようだ。
 その他にも「日本の魅力は「揺らぎ」のある景観・光・空気であり、それが自然を切り取る意欲や文化につながっている。」、「日本の他には、アメリカに興味がある。アメリカの良さは、自由と荒野だ。イタリアの歴史と伝統の拘束とは真逆の文化だ。」、「若者は「根」に固執すると身動きできなくなる。「枝葉」を重視して、自由に想像すべきだ。」、「歳をとると、若者との接点が大切だ。若者には自信を与え、我々は新しい雰囲気・息吹を受け取る。年代に応じて、それぞれ大切な仕事も役割もある。」などの発言が興味深い。
 ピアノは、新宮との長年の親交について、その理由を「選択的親和性(アメリカではchemistryという)がアイデアと友情を形成する。Chemistryの語はいささか無機的、もっと有機的なイメージがある。」と説明し、とくに新宮の「重から軽への希求、つまり「重力への挑戦」の姿勢を新宮と共有している。」とする。
 ピアノと新宮晋は、ともに86歳だが、まだまだやりたいことを抱えてその実現に向かって邁進している。私たち後期高齢者に近づいている者にとっては、とても励みになる。
 建築の展覧会なので、当然ながら作品そのものの展示はなく、模型や写真と、その説明のパネルの展示となる。なんか味気なさそう、物足りなさそう、とも思っていたのだが、予期していていたよりはるかに感銘や感動を得た、充実した鑑賞となった。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(11)

アカデミー映画博物館
Photo_20231025072601   2021年9月オープンしたロサンゼルスのアカデミー映画博物館も、レンゾ・ピアノが最近手がけたものである。映画など視覚的エンターテインメントの長い歴史を紹介するほか、さまざまな企画展、企画公演などを行う施設である。
 本館ビルからバーブラ・ストライサンドの名を冠したガラス張りの橋を渡り、球体の建物に入ると、博物館の目玉でもある「デビッド・ゲフィン・シアター(David Geffen Theater)」がある。1000席あるこの劇場は、フィルムからデジタルまであらゆるフォーマットに対応し、オーケストラ・ピットまで備えている。
2013  球体の建物は、ウォルト・ディズニー広場に浮かぶデザインとなっており、屋上のテラスからはロサンゼルスの広大な景色を楽しむことができる。
 ピアノが注目する建築家・構造家たるルイージ・ネルヴィやバックミンスター・フラーなどの技術を導入して、独自の構造体による恒久的な建築物として、軽量で太陽熱エネルギーを循環させるシステムとしている。 
 オープニング初の企画展では、アメリカ大陸の美術館では初となる回顧展「宮崎駿展」を開催したことが注目された。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(10)

565ブルーム
565  ピアノが最近かかわった仕事のひとつに、ニューヨークのソーホー地区に建てられた高層マンション「565ブルーム(565 Broom Soho)」がある。建物の名前は、通りの名からきている。細いマリオンとファサードの曲線ガラスが、ビルの内と外の境界線を曖昧にして、内部を光で満ち溢れさせる。ふたつの塔で構成され、その空隙に新宮晋の彫刻「虹色の葉」が設置されている。Photo_20231024060001
 30階建てのビルの最上階を占める「565・ブルーム・ソーホー・ペントハウス」からは、ニューヨークの最高の眺望を望むことができる。部屋は広さ618平米の4ベッドルームのメゾネットタイプとなっている。プライベートのエレベーターで、リビングやキッチン、ライブラリー、居間、ホームバーのある1階部分へと降りることができる。階段または別のエレベーターを上がると、マスタースイートルームともう一室のベッドルームのある2階へと出る。部屋全体がガラス張りで、全方向からパノラマビューが望める。2つのアウトドア・テラスと232平米の屋上、長さ1.8メートルのプールも設備の中に含まれている。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(9)

ザ・シャード
Photo_20231023055801  ザ・シャード(The Shard)、またはシャード・ロンドン・ブリッジ(Shard London Bridge)は、イギリスの首都ロンドンのロンドン・ブリッジ駅の南西側にある超高層ビルである。2008年9月に着工し、2012年7月外構が竣工した。地上87階建て、尖塔高310メートルで、ヨーロッパで最も高いビルであった。高さ240メートルのところにスカイラインの遊歩道と展望台がある。
 建設中は「ロンドン・ブリッジ・タワー」(London Bridge Tower)とも呼ばれた。
 この高層ビル建設の話を持ちかけたのは、ロンドンの1960年代のスインギング・ロンドンで有名なカーンビー・ストリートにファッションの店舗を持ち、後に不動産業者に転じたアーヴィング・セラーであった。ピアノが2000年5月、ロンドンでセラーと会ったとき、まさかこんな冒険に連れていかれる話だとは思っていなかった、と回顧している。2003
 ザ・シャードは、ピラミッドを垂直に引き伸ばしたような形状をしていて、互いに接触しない8つの面からなる。この外観は、ヴェネツィア共和国の景観画家カナレットがロンドンの風景画に描いた帆船のマストや教会の尖塔をイメージしたものであると言われている。外壁は英語で「破片」を意味する"Shard"の名の通り、角度を付けてガラスが取り付けられていて、透明度が高い低鉄分ガラスが用いられていることとあいまって、天候で変化する空の様子を刻々と映し出すようになっている。
 ザ・シャードは、2~28階がオフィス、31~33階がレストラン、34~52階がホテル、53~65階がマンション、66~72階がルーフテラスを含む展望施設等、75~87階が塔屋となっている。
 2012年9月、アンドリュー王子と、英国の著名な登山家クリス・ボニントンら40人が屋上から同時に懸垂下降を行った。これは教育関連慈善団体"Outward Bound Trust"と退役海兵隊員基金"Royal Marines Charitable Trust Fund"により支援されたもので、現役および退役軍人のための資金集めが目的であった。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(8)

スタヴロス・ニアルコス財団文化センター
 スタヴロス・ニアルコス財団文化センターは、ギリシアのアテネから南に4キロメートルの地点にあるカリテアに建設された、ギリシア国立図書館と国立オペラ劇場を収納する巨大文化センターである。ギリシアの学術・アート・エンターテインメントの活性化と国益増進を目的に建設されて、2012年着工、2014年に竣工した。Photo_20231020060101
 図書館と劇場は、パブリック・スペースたる「アゴラ」(集会広場)によって繋がれる。図書館とパブリックスペースにそれぞれ新宮晋の彫刻「宇宙・叙事詩・神話」が天井から吊るされている。
 ボートレースなどのイベントにも使用される長い運河が建築群に沿って配置され、空模様を鏡のように映し出す。スチール・ガラス・スポットライトなどシンプルで軽やかに見える素材を建物全体に使用している。ソーラーパネルを有する10,000平方メートルの巨大な天蓋を、40本の細い柱が支えるユニークな姿である。広いテラスからは地中海の海運の要衝であるピレウス港やアテネの絶景を一望できる。
 21万平方メートルの屋上庭園にはギリシアの歴史に縁の深いオリーブの木や植物たちが植えられている。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(7)

銀座メゾンエルメス
Photo_20231019055801 Photo_20231019060101   銀座メゾンエルメスは、東京・銀座にあるフランスのファッション・メゾンであるエルメスの日本店舗兼オフィス兼アートギャラリーの建物である。晴海通りに面しては10メートルの幅しかないが、小路(ソニー通り)側に56メートルの奥行がある。地上12階、地下3階建ての建物となっている。この幅56メートルのファサードの方に、ちょうどふたつの建物が連結されセットバックする場所に、最上部から地上まで、新宮晋の彫刻「宇宙に捧ぐ」が設置されている。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(6)

チバウ文化センター
Photo_20231018055901  チバウ文化センター(Jean-Marie Tjibaou Cultural Centre)はニューカレドニアのヌメアにある文化博物館である。チバウとはニューカレドニア民族独立運動のリーダージャン=マリー・チバウのことである。
 レンゾ・ピアノは1993年、この建物を設計し、1998年にオープンした。ピアノは、ヨーロッパ文化圏と全く異なるこの太平洋文化圏でのプロジェクトをたとえて、スープの調理法だけでなく材料そのものまで違う場所に、わが家の食器も持たずに得意分野だけ携えて乗り込んだ、と語っている。Photo_20231018055902
 敷地内には「カーズ」と呼ばれる巻貝のような形をしたカナックの伝統家屋を模した建物が大小10棟建っており、現地のカナック族の文化の発展を願う意図から、いずれも未完成のようにしてある。
 「カーズ」は籠状に組まれた木造合成材を鋼鉄の心棒で補強した枠組みを何層も重ねて作られており、日照や風などの気象条件に対応して可動できる構造になっている。外装と内装の建材の多くの部分に地元産の木材や鉱物などの自然素材が用いられており、周囲に植樹された椰子や松の植え込みとともに植物相(自生の植物あるいは在来種の植物)に取り込まれる構成となっている。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(5)

バンカ・ポポラーレ

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Photo_20231017062701  ピアノは、イタリアロンバルディア州の代表的大手銀行であるバンカ・ポポラーレのローディ本部の建物の設計を担当した。
  伝統的な建築材であるテラコッタ(素焼の焼き物)を用いた開放的な建築空間とし、軽量ガラスと細いスチール鋼によるキャノビー(天蓋型の庇)に覆われた大広場を配置する。大広場は、建物の内側と外部を繋ぐ空間でありさまざまなひとびとが出会う場所である。この大広場に新宮晋の彫刻「水の花」がある。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(4)

ジェノヴァ港湾開発と関西国際空港

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Photo_20231016055101  関西国際空港は、大阪湾に人工島を造成して新設した大規模飛行場で、1988年国際設計コンペの結果、レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ(RPBW)が設計者に決定した。建物の外観全容は、グライダーが島のうえに休んでいるかのような形状で、横にひろがる翼の両端幅は1700メートルにおよぶ。最上階にある国際線出発フロアの波型の屋根の形状は、空気の拡散の流れの研究結果に基づいて設計された。この天井から、新宮晋の彫刻「はてしない空」が吊り下げられているのである。1994年に開港した。このプロジェクトがレンゾ・ピアノと新宮晋との出会いのきっかけになったのは、先述のとおりである。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(3)

ジェノヴァ港湾開発と関西国際空港


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 レンゾ・ピアノは1981年、故郷ジェノヴァのリグリア海に面した段丘の斜面に、レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ(RPBW)を設立した。建物の全体は、地形に順応した段状構造で、リヴィエラ地方に典型的な温室の形態をイメージしている。オフィス内にも植栽を取り入れ、緑と光と海にあふれた内と外の境界を感じさせない環境を創造している。後に、新宮晋の彫刻「海の響き」が建物のガラス越しに見える海に面した緑の斜面に据えられた。Photo_20231013061401
1985年からは、コロンブスの新大陸発見500年記念万博に際して行われた、カリカメント広場に接したジェノヴァ旧港再開発の設計を担当した。港の建造物の修復とともに、来訪者が港湾エリアを楽しめるようになって今日に至っている。ここにも、新宮晋の彫刻「コロンブスの風」が導入されている。



 

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(2)

レンゾ・ピアノとポンピドゥー・センター
 レンゾ・ピアノ(Renzo Piano)は、1937年、イタリアのジェノヴァで建設業を営む家に生まれた。
 ピアノは幼少期に、その内容は忘れてしまったけれども子供らしく、ともかく何か小さいモノを苦心して造った。本当は父に認めてもらいたかったが、兄がそれを褒めてくれて、自分も「俺が造った。やった!」と満足して自信を得た。これは後の自分の想像への努力の原点となっている、と新宮との対談で独白している。Photo_20231012054201
 フィレンツェ大学での2年の在籍を経た後、フランコ・アルビーニのスタジオで働き、さらに1964年ミラノ工科大学を卒業した。1965年パリに行き、ジャン・ブルージュからプレハブ建築など多くの新しい技術について知識を得た。それをベースに、1969年までに、モデュラー方式の壁やポリエチレン成膜構造の屋根などの特許を取得している。
1968年にスタジオ・ピアノを設立した。20平米のごくささやかなオフィスながら、天井からの自然採光を取り入れた自由で独創的な空間であった。
 初期の目立った業績としては、日本の大阪万博のための1969年のイタリア産業館の設計を担当した。塩化ポリエステルと堅牢な鉄骨を組み合わせ、軽量性、輸送性、耐久性に優れたグリッド・システムのパピリオンであったが、いまは取り壊されて存在しない。
Photo_20231012054301  1970年から1977年にかけて、リチャード・ロジャースと共に建築設計事務所「ピアノ&ロジャース」を共同主宰し、建築設計競技で勝ち取ったポンピドゥー・センターの設計を共同で進めた。あたかも未完成の工事中の建造物のファサードに、裸の階段をくっつけたようなデザインである。
 ある日、竣工なったポンピドゥー・センターを訪れたピアノは、この建物の建築家だと発言したとき、その場にいたパリの老婦人から傘で殴られそうになった、というエピソードがある。それほど前衛的であったため、古くからのパリの風情を愛した人々からは、パリの町並みを破壊したと批判された。このプロジェクトを通じて、ピアノはこの先ながらくパートナーシップを築く建築構造の専門家ピーター・ライスと出会っている。

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Parallel Lives 平行人生 レンゾ・ピアノ展(1)

 大阪の中之島美術館で「Parallel Lives 平行人生 — 新宮 晋+レンゾ・ピアノ展」とタイトルがつけられた展覧会が開催された。主に建築を対象とした展覧会であるらしい。私は、安藤忠雄や黒川紀章、ル・コルビジェくらいしか建築の特集展は見た覚えがないが、レンゾ・ピアノは名前だけしか知らないながらも気になっていたので、梅雨明けの猛暑の中、中之島美術館まで出かけた。

レンゾ・ピアノと新宮晋の出会い
 日本の彫刻家である新宮晋(しんぐうすすむ、昭和12年1937-)が、関西国際空港の設計コンペで勝利したイタリアの建築家レンゾ・ピアノと出会い、それ以来親交を重ねてなんども共同制作をしてきたという、その建築+彫刻の展覧会である。Photo_20231011062501
 平成元年(1989)大阪府豊中市の新宮晋のアトリエに、「関西国際空港の建物を設計するレンゾ・ピアノが貴方に会いたがっている」と一本の電話があり、大阪ヒルトンホテルのロビーで会ったのが初めであった。新宮は、若いころローマ国立美術学校で絵画を学んでいたので、イタリア語がわかると知ると、ピアノはとても驚いて喜び、また同い年であることもわかり、まもなく意気投合したという。
 このときピアノが新宮に頼みたかったことは、設計している関西国際空港の国際線出発ロビーの空調からの空気の流れにかんして「私たちは美しい空気の流れをデザインすることができたのに、残念ながらそれをひとびとに見せることができない。どうか最小限の装置で、見えるようにしてくれないか」というものであった。ピアノは、建築雑誌などで新宮の仕事に興味を持っていた。こんな魅力的な提案を断る理由などない、と新宮は受け入れてから考えることにしたという。これから35年以上にわたる二人のやり取りがはじまった。同い年2人の芸術家の「平行人生」の始まりであった。

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アトリエ吉川絵画展 茨木市立ギャラリー

  出水翼さんの絵画が展示されているというので、阪急茨木市駅構内の茨木市立ギャラリーを訪ねた。
 今回は、3点が展示されていた。Photo_20231010063201
 「親子」は、サイズも大きく、とても迫力のある絵である。
Photo_20231010063301  油彩だというが、かなりの薄塗りで、描かれた対象の面とメリハリが鮮明で、あわせて油彩らしい色彩の明瞭さがある。三匹のブルドックの、それぞれの存在感と顔の表情がとても生きている。背景は一見単調にも思えるが、じっくり眺めていると、よく配慮されていることがわかる。
 「ふくろう」は、画家が最近注力しているらしい繊細な描写がとくに見事である。腹部を中心とするやわらかで暖かそうな毛が、実に生き生きと描写されている。Photo_20231010063401
 「子猫」は、そんなに大きな絵ではないが、小さな子猫の生命感が繊細に描かれていて、観ていて気持ちが暖かくなるような絵となっている。
 オーソドックスな静物画のような細密さ・緻密さだが、生き物の生命の表現が両立している。もともと極細の筆を駆使して、丁寧に精緻に描くひとだが、その描写の精度がますます上がってきたように思った。

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松本清張『神々の乱心』文春文庫

さきの大戦前の高揚感と不安の時代
 昭和8年、埼玉県比企郡の町で、特高警察の警部が新興宗教の周辺を探っているなかで、ふとした偶然から関わった参考人質問が、ある自殺事件を招いた。その解明を進めようとする特高警察が、皇室周辺の秘密にまでおよぶ問題に深入りしていく。このころ日本は、日露戦争で戦勝の結果、ロシアからの賠償金も取れずに、思わず列強国に加えられ、軍事費の増大と厳しい歳入の不足に苦しみ、そんな中で原敬総理は懸命に国家インフラ整備を進めたが、暗殺されてしまった。その間に関東軍が満州に進出し、日本では満州ブームが起こって多数の日本人が移住し、五一五事件が起こる、などそれまでにない高揚感と不安感がただよう時期であった。社会的にも、左翼と右翼の両方から「革新」を目指す運動が高揚していて、日本全体が浮足立ち、特高警察は緊張していた。
 東京、奈良、広島、関東諸県、さらに満州ときわめて広域にわたってさまざまに発生した事件に、警察、華族、皇室周辺、宗教家、軍隊、満州特務機関、満州移住者、満州浪人、匪賊、などなどきわめて広範囲の多様な人物たちが登場し、複雑に関わっていく。それらが思いがけない相関関係をもっていたのである。
 大連阿片事件、不審な連続殺人事件、その捜査で浮上するケイズ買いの骨董屋(偽物を知ったうえで商売のために購入する骨董屋)、不思議な新興宗教の卜占と宗教団体、華族の赤化、憲兵組織の介入など、当時の社会の複雑怪奇な様相が描かれる。
 ストーリー・テラーとしては、特高警察の中堅警部と華族の次男つまり非相続者たる華族の二人が、相互に警戒しあいながら独立に真相解明を進め、それらを統合すればより早く問題の真相がわかるだろうにそうはならない、という展開となる。殺人事件の経過と犯人については最後のほうでほぼ判明するが、登場人物の運命の結末はこの小説の著者たる松本清張の死によって未完となり、書かれないままとなっている。
 さきの大戦直前の波乱にみちた時代を、新興宗教を軸に、歴史的事実をできるだけ追跡しながら、ノンフィクション的な小説として描き出している。私はこれまで、いわゆる小説類を意識的に避けてきたので、他の推理小説など比較対象をよく知らないが、この小説がとても緻密に調査し、考え抜かれて書かれたものであることはよくわかる。
 文庫本で900ページほどの、単にボリウムだけでなく、内容的にもとても読みごたえのある小説であった。

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金山平三と同時代の画家たち 兵庫県立美術館(16)

各地の風景画 帝展改組事件とその後/まとめ
 昭和10年(1935)5月文部大臣松田源治が美術界の挙国一致体制をととのえるために帝国美術院を改組すると発表した。いわゆる帝展改組事件である。既存の会員に加えて在野とみなされていた芸術家20人を加える内容で、日本美術院のメンバーからは横山大観を含む7人が新たな会員に選ばれた。5月31日、帝国美術院規定を廃し、勅令で帝国美術院を官制と定め、6月1日、栖鳳・大観・藤島・安井らを会員に任命した。これを受けて美術界は大いに紛糾し、とりわけ旧帝展系作家に大きな不満が発生した。Photo_20231006054801
 先述の新井完等とともに金山もこのときから中央画壇を去り、その後昭和34年(1959)まで24年間官展への出展をしなかった。
 昭和20年(1945)3月17日の神戸大空襲で実家が罹災し、多数の作品が焼失した。5月には現在の山形県北村山郡横山村に疎開した。また大石田で偶然ながら斎藤茂吉と親交を結ぶ機会もあった。
 昭和21年(1946)10月文部省より日展審査員に選ばれるが辞退した。昭和22年(1947)2月横山村から大石田に移り、これ以降大石田が生活の拠点となった。
 Photo_20231006054901 昭和32年(1957)2月日本藝術院会員に任命された。ようやく昭和34年(1959)11月の第2回新日展に『渓流』を出品した。
 金山平三の作品は、10年余り以前にこの同じ兵庫県立美術館の特集展で鑑賞したことがあった。実に正攻法で誠実な画家という印象である。ちなみに金山平三の妻は、わが国最初の学士として東北大学理学部数学科を卒業し、数学の学術論文もあるリケジョの草分けである。金山平三の画業も、とても知的で緻密な雰囲気に満ちている。展示作品数も100点余りと十分かつ多すぎず、とても充実した快適な鑑賞のひとときであった。

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金山平三と同時代の画家たち 兵庫県立美術館(15)

各地の風景画 列車を乗り継いで 日本各地へ
Photo_20231005053901  長野ではないが、やはり同じころの作品として「下曽我の梅林」(1917-34)がある。金山の風景画は、景観の美と空気と季節感などを具象画として丁寧に描くのが通常だが、花については美の印象を重視して、敢えて形状を色面で塗りつぶしたような表現をすることもあったようだ。
 このころの金山は、年明けころに長野県下諏訪、その後上越地方の日本海側、春には山形県大石田、夏になると房総半島へと、それぞれ列車で訪れるというルーチン・パターンを確立していたようである。
  Photo_20231005053902 「風雨の翌日」(1933)は、おそらく千葉県千倉に取材した作品で、写生旅行のなかで偶然遭遇した風雨にかかわる絵である。
 「無題(海岸)」(1935)は、うって代わってすっかり凪いだ海の絵である。金山の海の絵は、荒れた厳しい海が多いが、これは晴れあがった青空と、その空を反映する海面を美しく彩った絵で、色彩画家の面目躍如の作品である。

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金山平三と同時代の画家たち 兵庫県立美術館(14)

各地の風景画 ─列車を乗り継いで 長野
Photo_20231004053701  大正5年(1916)「夏の内海」を文展に初出展して特選となり、翌年「氷辷り」でまた特選を得た後、金山は、毎年冬は長野県下諏訪で制作するようになった。金山が日本各地を写生に訪れるとき、主な交通機関は鉄道、それも当時のこととて蒸気機関車であった。硬いボックスシートに長時間揺られる鈍行列車の旅は、車窓の美しい景観に癒される半面で、かなりの労苦をともなったであろう。Photo_20231004053801
 このころの作品に「碓氷峠」(1917-34)がある。信越本線の横川と軽井沢の間にあるのが碓氷峠で、当時の鉄道はこの峻険な峠を乗り切るためにスイッチバック走行区間を導入するなど特別な路線となっていた。そんなこともあって、美しい景観とともに金山にとってひときわ印象の深い地域だったかも知れない。
 やはりそのころの長野の作品として「冬の諏訪湖」(1921)がある。

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金山平三と同時代の画家たち 兵庫県立美術館(13)

静物画 ─生命へのまなざし
 画家生活の大部分を写生旅行に過ごした金山であったが、東京下落合のアトリエでは静物画も描いた。また写生で訪れた宿で、描く天候に恵まれないときには、採れたばかりの魚介類や果物なども描いた。いずれにも、金山の画家としての名人技が顕れていて見事である。Photo_20231003054101
 同時代のひとびとにも、金山の花の絵など静物画はとても人気があり、金山の生活を支えるものともなっていた。
 帝展にも第1回からほぼ毎回のように花の絵を出品した。花瓶から溢れるように活けた菊やダリア、バラの絵は、帝展でも高い評価を獲得し続けた。
 金山平三「菊」(1928)は、第9回帝展出品作で、宮内省買上げとなった作品である。華やかな花弁、しなやかな茎、そして活力を秘めた葉など、繊細でやわらかいタッチで心地よく描かれ、豊かな表情の花のみずみずしさを見事に表現している。
Photo_20231003054102  ヨーロッパで成立した静物画は、命あるものはやがて枯れ果てて滅び、この世の虚しさ儚さを表わすものとして、ヴァニタスの思想を表現するものであった。またそれは、歴史画や肖像画より一段低い絵画ジャンルとして位置づけられていた。ようやく近代にはいって、静物画は再評価されるようになり、わが国でも高村光太郎が「静物画の新意義」(1911)のなかで「静物画こそは画家の創意や個性を発揮できるジャンル」としてその意義が主張された。
 金山平三「とまと」(1915-34)は、金山がヨーロッパから帰国してまもなく描かれた作品だという。大鉢に盛られたトマト、そして布、その上の静物の描写など、ポール・セザンヌの静物画の影響は明らかである。金山は、帰国直前に、セザンヌゆかりの地たるエクス・アン・プロヴァンスに立ち寄っていた。

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金山平三と同時代の画家たち 兵庫県立美術館(12)

芝居絵 ─動きを追いかけて
 金山平三は、幼いころから芝居に親しんでいた。中年期に大病を経験し、その後の療養期に生活の手すさびとして描き始めたのが芝居絵であった。金山の画家としての観察力は、役者の動きや舞台転換など瞬間の動きを的確にとらえることにいかんなく発揮された。Photo_20231002054101
 金山の東京美術学校の後輩でもある小磯良平に「金山さんのことども」という記事がある。
 金山さんは「君は線で描くだろう、僕は色で描くんだ」というような意味のことを話された様に憶えている。(中略)色面で構成し、色面を配列する、テン毛の穂先の長い平筆でグィとつけた様なタッチ、これは私の想像であるからまちがっているかもしれない。西洋のイラストレーターのよく用いる材料にテンペラーというのがある。日本人はあまり用いない、不透明水彩のようなものである。
 金山さんはその材料の感じをそのままの技法で描いていられるものに芝居絵がある。東京で一度陳列されて評判になった、金山さんの芝居絵は昔から評判であった、初めて見ていいものだと思った。これは紙の上に油絵具を揮発性のとき油で描いたもので効果はテンペラ画のそれである、画面はやわらかくかわいていて技術が見事である。
Photo_20231002054102  いずれも小さな寸法の絵だが、例として金山平三「判官切腹」(1928-60)と金山平三「御無用」(1928-60)をあげておく。
 また金山は、自分自身が踊ることも趣味であった。若いころのモノクロームの動画と、晩年のカラーの動画とが、映像展示されていた。

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