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保坂三四郎『諜報国家ロシア』中公新書

KGB一次資料によるロシア諜報活動の実態解明と特異な政治文化
 現代ロシアの本質は、民主主義国家でないのは自明だが、単なる全体主義国家あるいは権威主義国家のみならず、諜報機関(旧国家保安委員会KGB、現FSB)を国家権力の源泉とする「防諜国家」である。
 KGBは100年余り前、ロシア10月革命直後の1917年12月創設された「反革命・サボタージュ取締全ロシア委員会=チェーカーCheka」を前身としている。職業革命家集団ボリシェヴィキがソ連を建国したが、そのボリシェヴィキの革命と体制を死守することがチェーカーの使命であった。以来、KGBなどの諜報活動関係者を「チェキスト」という。
 スターリンは、内務人民委員部NKVDの管理下となったKGBを包括拡大した国家政治局GPUをコントロールすることで強力な独裁を実現することができた。スターリンの死後、フルシチョフはスターリン批判を行い統治の改革を宣言したが、その一方で国家保安委員会KGBの革新と保持に注力した。1985年のゴルバチョフも、1990年代のエリツィンも、KGBあるいはその後継組織を維持・継承した。
 チェーカーの創設者ジェルジンスキーは「冷静な頭脳、暖かい心、穢れのない手」として崇拝され、KGBはソ連共産党政治局直轄で、国境警備隊を除いて職員数50万人をソ連末期まで維持した。
 KGBは、所属する現役予備将校を、身分を隠して各種機関へ派遣し、派遣先の表向きの肩書(大学教授、研究者、公務員、ジャーナリスト、企業の従業員など)を使いながら諜報活動を推進する。それぞれの分野の専門能力も高く、博士も数百人レベルを擁する。外国に対しては、日本に来たゾルゲなどのように、偽パスポートにより国籍を偽って活動する「イリーガル」将校もいる。諜報活動として世界的にも珍しいのは、KGBはソ連軍の内部へも諜報員を潜入させ、自国内および自国軍隊内への諜報活動を続けていることである。
 KGBは、さまざまな「協力者」あるいはチェキストの分身ともいえる「エージェント」を国内・外国問わず育成・確保して情報収集や工作を実行する。たとえば、元ウクライナ大統領府長官ヴィクトル・メドヴェチュークは、プーチンの元エージェントであり、2022年ウクライナ侵攻後ウクライナ政府に逮捕されていたが、同年9月の捕虜交換で、ウクライナ側捕虜160名と交換でロシアに戻った。エージェントの総数は、100万人から150万人にのぼるという。1970年代末、東京KGB駐在所は、朝日・読売・産経・東京新聞にエージェント31名をもち、「信頼ある人物」24名を抱えていたとの記録がある。
 KGB出身のプーチンの体制となって、KGBはFSBと名前を変え、行政に加えてソ連崩壊混乱期の犯罪マフィアまでをも取り込んだ三位一体となって、ますます強力になった。
 KGB(現在のFSB)の戦術や手法としては、いくつかの典型がある。
 まずKGBの「心と魂」とされる「アクティブメジャーズ」である。これは、さまざまに工夫を凝らした偽情報・陰謀・暴露・コンプロマット(セックス・スキャンダルなど信用失墜を狙った情報)を用いて、標的人物に対して戦略的に攻撃するものである。西側のエージェントや協力者を介して拡散することも多い。「偽情報」は、大部分正しくてそこへ少しの要となる嘘を挿入するのがもっとも効果的である。そしてその内容以上に、どのようなチャネルでターゲットに伝達するかが重要であり、第三国のメディアを活用することも多い。「インフルエンス・エージェント」は、その目的をもって友人・個人的信頼関係をつくり、効率的に伝達できる偽情報チャネルとして利用するものである。プーチンの「ヴァルダイ討論クラブ」は、ロシアが費用負担して外国のロシアに関心を持つ学者・政治家などを優遇招待し、「本音の討論」を模擬してロシアに都合のよいナラティヴ(客観的なストーリーではなく、語り手自身がコミットして伝える物語・説明)を効率的に植え付ける。ロシア国内さらに敵対国のNGOを取込み、世論調査介入など内政介入の手段とすることもある。この本の中に、多くの西側・欧米のメディアや学者・評論家たちが巧妙にロシアのナラティヴにとりこまれている例があげられている。日本も石田博英、佐藤優、鈴木宗男などが実名であげられているが、その他にも多くの学者・研究者・政治家がいるという。ロシアのデリケートな情報やアーカイヴを釣り餌にして、あたかも純然たる友情や好感から特別開示するかのようにみせかけてひきつけて、ロシアに好都合なナラティヴ・情報・判断に誘導する。このテクニックは、ロシアが長年研究蓄積してきた高度なものがあるという。
 ロシア特有の民間軍事会社(ワグネルなど)は、ロシアの正規軍発動なくして他国に軍事介入を可能とする。これは純然たる民間ではなく、ロシア軍・ロシア情報機関が人員リクルート・装備・ロジスティクスを強力に支援する点が欧米と異なる。また必要に応じて指揮系統が正規軍に統合されることもあり、ロシアの外国での軍事活動の隠ぺいに役立つ。
 ロシアで1990年代生まれた「政治技術者」political technologistという職業がある。ロシア国内あるいは外国のメディアや情報手段を積極的に活用して世論操作する専門家であり、ひとことで言えば「幻想をつくる仕事」である。アメリカにも「スピンドクター」と呼ばれる世論操作専門家がいるが、ロシアの場合KGBが開発した高度なメディア・世論操作術を継承している点に特徴がある。
 ロシア正教会、レーニン主義共産党の青年団であったコムソモール、若者の洗脳に活用される忠実な少年組織「ナーシ(我らの仲間)」、さらに「ユナルミヤ(全ロシア児童青年軍事愛国社会運動)」なども諜報活動に動員される。
 KGBの行動原理の背景に、ロシア独特の思想・怨念がある。エリツィンは「ロシアは何十年にもわたって旧ソ連構成国たる他の多数の共和国を助けてきた結果、自らの力を使い果たした」と強い被害者意識を吐露し「ロシアは、他国以上の特別な権益が尊重されるべきだ」とした。アレクサンドル・ドゥーギン『地政学の基礎』の疑似地政学「ゲオポリティカ」にあるような「ネオ・ユーラシア主義」(ロシアはアジアにもヨーロッパにも属さない独自の運命を担うユーラシア主義の大国)という幻想的思想も、ロシアに根強い特有のものであり、「(これを理解しない)米国CIAがソ連解体を企てている」とする。
 2014年のクリミア併合、2022年のウクライナ侵攻も、これらのロシア特有の思想・感情がペースとなっていて、ロシアから見たら侵略もきわめて自然で正当な行動なのである。
 著者の保坂三四郎は、大学在学中の2000年にモスクワに留学し、ロシアでの体験に感化されて「ロシアかぶれ」となって帰国した。大学卒業後もロシア関連の仕事に就き、「両国民の友好のため」に働いた。プーチン大統領に心酔し、拍手喝さいしたときもあった。
 しかし、2014年ロシアがクリミアを違法に併合したとき、欧米のみならず日本国内の既知のロシア語やロシア政治・文化を教える先生・有識者たちさえもが、ロシア側から見た歴史・文化的視点から発言し、または「過激なウクライナ民族主義」の台頭説や、欧米諸国の「ダブルスタンダードの不公正」を持ちだして、ロシアの侵略を必死に相対化しようする姿を見て違和感を持つようになった。
 さらに2014年末に、西部のリヴィウに行ったとき、ロシアのプロパガンダがいう「過激なウクライナ民族主義者」を見つけることはできなかった。また、ウクライナ各地の墓地に足を運び何百名の戦死者の墓を訪ね、ウクライナで起きていることが現実的にも理論的にも、一部の欧米の学者が言う「内戦」でないことを確信した。
 KGBあるいはFSBの機密アーカイヴは、当然極秘であり見ることはできなかったが、1991年ソ連から独立したウクライナは、2014年の民主化革命「ユーロマイダン」の後に、ロシアKGBがもと支配下にあったウクライナに持ち込んで残した膨大なアーカイヴを公開した。保坂三四郎の著書の内容は、そのなかのKGBの教本『諜報における情報活動』というKGBの行動規範・記録を記した機密資料によるものである。ジャーナリストや研究者が現地に入って、視察やインタビューで取材した内容というのではない。ロシアKGBが秘密事項として記録した、一次資料の記述内容なのである。
 読んでみて、本書の内容は私には衝撃的であった。KGBはかなりの諜報活動や工作をやってきただろうとは漠然と想定していたが、この本に書かれた内容は、予想をはるかに超える暗く厳しく酷いものであった。最大の問題は、ロシアという国は、国家が諜報活動を行っているのではなく、諜報活動が国家を動かしていることである。このような透明性ゼロの政治文化をもつロシアが、民主主義を受け入れて実施することなど不可能である。プーチンはそれを熟知していたからこそ、2007年2月のミュンヘン国際安全保障会議で、確信をもって西欧諸国からのロシア民主主義化の要求を、強烈に撥ねつけたのであろう。
 私が「平和ボケ」なのか、これほどの非人道的という以上に非人間的な努力や行動が、100年以上もの間、大規模に整然とかつ秘密裡に維持・継続できてきた、というロシアの政治文化は、私の理解を超える。この特異な政治文化が、ロシア革命成功の直後から発生しているのが事実とするならば、このような特異な政治文化と共産主義の関係が必然なのか、必然ならばその理由について、政治学的に研究すべき問題ではないだろうか。その関係が必然なのであれば、ロシア以外の共産主義を経験した国々はどうなのか、と心配は広がる。
 最近になって世界情勢の悪化が激しくなってきたという理解は、実は表面的に過ぎず、もっと恐ろしいものが通奏低音として隠然と続いてきたらしい、ということをあらためて知った思いである。

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