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「少女たち-夢と希望・そのはざまで」展(4)

太田喜二郎のルミニスム
 花摘みの様子を描いた絵には、ヨーロッパで制作された油彩もある。
 太田喜二郎(おおたきじろう、明治16年1883~昭和26年1951)は、京都の富裕な織物商の子として生まれ、恵まれた環境で絵画を学び、ベルギーに留学した洋画家である。Photo_20231102060201
 京都府尋常中学校時代に、同級生に美術評論家岩村透の弟がいた縁で岩村家と交流し、洋画家を目指すようになったという。東京外国語学校で英語を学びつつ「白馬会洋画研究所」に通って洋画を勉強した。その後東京美術学校で黒田清輝に学び、卒業すると黒田の推挙を得てベルギーのゲント市立美術学校に留学した。そこでベルギー印象派・ルミニスムの画家であったエミール・クラウスから指導を得た。ルミニスムは、フランス印象派スーラの新印象主義の影響のもと、光の表現を重視し、ときに象徴主義的な神秘性を帯びる様式であった。技法的には、点描表現を導入した。
 ここで展示されている「花摘図」(1911-1912年)は、まさにこのころのルミニスムの特徴をよく現わしている。描かれた少女は、太田喜二郎が滞在した屋敷の果樹園で働いていた17歳ほどの少女だったという。笠木治郎吉の作品と、描かれた時期は大きくは違わないが、国の違いもあって表現はずいぶん異なる。
 このようなルミニスムの衝撃的な刺激を受け、さらに光を描くことの延長に生命の神秘や人が生きることの意味まで描き出そうとするルミニスムの精神性を身につけ、太田喜二郎は大正2年(1913)帰国した。
 帰国後は、点描画法による作品をたくさん制作して日本画壇に問いかけつづけ、大正6年(1917)以降は京都市立美術学校・絵画専門学校で教壇に立ち、帝展審査員も勤めたが、国内でルミニスムの理解を得るには時間を要した。
 大正期後半ころからは、点描画法をやめて、写実的な印象主義的作品へと画風が変わった。

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