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「走泥社再考」展 京都国立近代美術館(4)

3.「現代国際陶芸展」以降の走泥社
 昭和39年(1964)東京オリンピック開催を機会に、国立近代美術館(東京)、石橋美術館(久留米)、国立近代美術館京都分館(京都)、愛知県文化会館美術館(名古屋)を巡回して「現代国際陶芸展」が開催された。日本で初めて世界各国の陶芸が一堂に集められ、国内の多くの場所で展示された。
 この展覧会での海外からの出展作品は、高名な陶磁器研究家であり自身も陶芸家であった小山冨士夫(1900-1975)がこの年、欧米各国を旅し、展示作品を選出して集めたものであり、したがって必ずしも世界全体から、偏りなく集めたものではなかった。
それでも、海外の陶磁器芸術に改めて触れたわが国の陶芸界は、「日本陶芸の敗北」と表現されるほどの衝撃を受けたのであった。
 山田光「塔」(1964)がある。1964
 ここでは、タイトルの内容が直接登場するような寸法ではなく、机上模型のようなサイズ感覚で、鮮明な色彩を施し、塔というより、壁の集合のような表現でより抽象性が増しているようだ。
 熊倉順吉「風人’67」(1967)がある。
 これは、表現そのものが高度に抽象化して、敢えて陶器の塊で孤立して閉じ込められた生命体のようなものを表現しているように思える。
67  1964年「現代国際陶芸展」を観た当時の走泥社メンバーたちが、「日本陶芸の敗北」とまで感じた理由や内容は、私にはよくわからないが、私なりの感想を書き留めておく。
 絵画や普通の彫刻という表現形式と比較するならば、陶芸は、これまでの日本の陶芸文化の緊縛という文化的拘束力以外にも、いくつかの特徴があるだろう。陶磁器は、粘土を造形した後に窯に入れて高温処理をするため、寸法も形状も多少は変化するし、色彩にも制限があるだろうから、表現の精度には限界がある。また、窯に入れるためには、あまり大きな造形物は造りにくいだろう。その反面、出来上がった造形物はきわめて安定で、継時変化はきわめて小さいことが期待できる。
 要するに、硬くて、脆くて、比較的小さな塊しか実現しにくいが、継時変化はごく小さく安定であり、色彩も劣化しないだろう。
 走泥社の人たちが、他の芸術分野の作品や海外のアーティストの作品に対して、コンプレックスを持つのは、ひとつには、あまりに対抗意識が強くて力み過ぎていたのではないか、と推測する。あわせて展示されているパプロ・ピカソやイサム・ノグチの陶芸作品を観ても、彼らのごく自然な脱力感は、単純に対照的に思えた。
 制作上の技術的制約から、比較的小さな塊で勝負せざるを得ないという側面もある。たとえば、カンバスなり紙なりの広がりに描く絵画では、画面全体の構成があり、その中で主役や脇役を勤める対象が描かれる。鑑賞する者には、絵画の主張が理解しやすい。それに比べると、陶芸の場合は、拡がりが小さく、全体の構想も単調になりがちで、表現の中心部分もわかりにくいことが多い。それなら複数・多数の陶芸作品を、集合・統合するような表現方法もあるだろう。今回の展示でも、そのようなアプロ―チが一部で見られた。
 陶芸に堅苦しいとの感覚・思いがあるとすれば、自分の表現方法のあくまで一部として、パプロ・ピカソやイサム・ノグチのように、気軽かつ積極的に取り組むのはいかがであろうか。
 私はこれまで、陶芸に特化した展覧会を鑑賞したことがなかった。今回も、私には難解で消化しきれない鑑賞であった。それでも、半世紀余り前からのアーティストたちの真摯な挑戦は、門外漢の素人にも感動を与えるものであった。

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