「走泥社再考」展 京都国立近代美術館(3)
2.オブジェ陶の誕生とその展開
昭和27年(1952)東京でイサム・ノグチの作品展覧会が開催された。それは、走泥社のメンバーたちに大きな衝撃を与えた。すでに「自由」を求めて新しい陶芸作品に取り組んできたと思っていた彼らは、まだまだ自分たちが日本の陶芸の伝統に強く拘束されていることを自覚したという。すでに実用性の緊縛からは離脱したと思ったが、イサム・ノグチやパプロ・ピカソの作品は、色彩、表現がはるかに伸びやかで、もっと自由である、と感じたのだ。
彼らは、陶芸の表現の枠をもっと拡張しようと懸命に努力を重ねた。
辻晉堂「時計」(1956)は、抽象絵画を立体造形の陶磁器に翻訳したかのような作品である。
鈴木治「汗馬」(1959)がある。これは陶磁器で薄い板を形成し、紙のように少し曲げを加え、その上に少ない色彩で描いている。これもまさに抽象絵画を台の上に載せて提示したかのようである。
八木一夫「休息の眼」(1959)がある。造形の形態は、ますます抽象性と複雑さを増して、思索的な雰囲気を伴っている。
伝統にとらわれない「オブジェ陶」は、歴史の長い日本の陶芸界において、また美術界においても一時代を築いて、多方面から注目され評価されるようになった。
1950年代の終わりころから1963年までの間、走泥社の陶芸革新運動は、このような活動を通じてひとつのピークを迎えた。
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