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エマニュエル・トッド『我々はどこから来て今どこにいるのか』下巻

「場所の記憶」として永続する家族類型が歴史を規定する
 まずこの本の内容を、ごく大雑把にまとめる。
⑴なぜ人類の下層構造はいつまでも残存するのか ─「場所の記憶
 人類社会の価値観・習俗を規定し、その結果として歴史を規定するのは、教育・宗教・家族から決まる人々の無意識層および下意識層、つまり下層構造である。そのなかでも根源的なのは家族類型である。Photo_20231130145101
 ユーラシア大陸中央部では、農業発生の中心地に近かったため、家族的・社会的形態が経験した時間、すなわちマクロな歴史時間が長く、家族構造がより高度に複合的になり、原初の未分化核家族から外婚制共同体家族、内婚制または一夫多妻制の共同体家族が派生した。
 ユーラシア大陸西周縁部では、相対的にその歴史時間が短く、純粋核家族とその周縁に残存する原初的な未分化核家族となった。
 歴史が進み時代が変わっても、その根源的な習俗が変わらず特定の地域に残るのは、「場所の記憶」として説明される。価値観の継承は、親子・兄弟など家族の枠内のみならず、ひとつのテリトリーすなわち「場所」を共有する大人たちと子供たちとの間でおこなわれる。そして個々の人間が濃密には意識していない信念、いわば「弱い価値観」が、あるテリトリーにおいて、長い年月、ときには果てしなく生き続ける。個々人はフレキシブルに郷に入れば郷に従うが、気軽な、強制を感じない「弱い価値観」こそが、軽やかな模倣や居心地の良さなどを通じて、移住者を、意図することもなく無意識に適応させて「場所の記憶」を根深く維持する。多くの個人がむしろ弱く有している価値観が、集団レベルではきわめて強く頑強で持続的なシステムを生み出し得るのである。
 宗教にかんしても、たとえばパリなどフランス中央部では、かつてはカトリック教が定着していたが、今では人びとの宗教的関心も宗教的慣行も希薄化しているにもかかわらず、カトリック教的な価値観、つまり必ずしも平等主義的でなく権威主義的な性向は根強く残存して、社会・政治・経済の活動に大きな影響を与え続けている。トッドはこれを「ゾンビ・カトリシズム」と名づけている。

⑵民主制はつねに原始的である
 民主主義は、人類学的には原始的現象である。主な成立要因は都市の発生と発展と考えられ、言語や神話から推定すると、ギリシアを2500年遡るメソポタミア・シュメールに民主主義の嚆矢が見出される。互選あるいは合議に基づいてリーダーを選出したのである。古代インド、インカ帝国の地域共同体でも同様のことが見られる。しかしトップの人物は名門一族からという場合が多く、親族グループが未分化であれば世襲はできないが、平等主義的ではない。代表者たちは事実上の寡頭支配集団を構成してしまうので、原始民主制と原始寡頭制の区別は困難である。以後も、民主制と(実質的な)寡頭制とは、つねに近親的である。
 インド・中国・中東よりずっと遅れて、ヨーロッパでは都市化が中世になってようやく進展した。それに先んじて、フランスでは、旧ローマ帝国支配下でローマ風平等主義的核家族の痕跡があり、北フランスでは平等主義的核家族が、イタリアでは父系制共同体家族が出現していた。イギリスでは未分化の原初的に近い絶対核家族が発生し、この原初的民主主義かつ寡頭制の残存が、17世紀に自由主義革命を可能ならしめた。
 16世紀以降のヨーロッパは、「軍事革命」が絶対主義を促進して、権威主義的国家の勃興が続いた。ドイツは、直系家族にもとづく権威主義的かつ不平等主義的家族システムの大国で、イデオロギー的革新は、ずっと後の脱宗教化の時代のナチズムとなった。
 ヨーロッパで、政権交代をともなう自由主義的民主制が容易に実現したのは、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、デンマークの核家族システムの国だけだった。
 イギリスでは、絶対核家族のもと、自由主義だが寡頭制的な体制が確立し、産業革命、農地革命と労働者人口増加で有権者比率は収縮したが、不平等への不満は小さかった。
 古代ローマ時代の父系性共同体家族が、帝政時代に平等主義的核家族に変容したフランスでは、「抽象的普遍的人間像」を理念として打ち出したが、その理念は普遍的だが空想的であった。
 アメリカは、イギリスからの独立時、イギリスの権威主義を否定し、普遍的で平等主義的な民主制を造ろうとした。そして人類史の原初的形態に近い絶対核家族の下層の上に、白人たちあるいは白人に後から追加された疑似白人たち(アジア人や最近のインディアン)の平等を実現する一方で、そのために黒人を差別する民主制を達成した。アメリカの「具体的普遍的人間像」は、他者(黒人)との境界線を必要とし、レイシズムと非過分であった。絶対核家族のアメリカの民主制は、人類(ホモ・サピエンス)の原初的類型に近く、あるがままの自然さという意味でより普遍的と言える。
 民主主義的で個人主義的な普遍は、アメリカ、イギリス、フランスのみで存在している。「民主制」は、演繹的・哲学的な理念ではなく、経験主義的・人類学的な事実であり、普遍主義的な性質のものではなく、エスニックで、排他性を必要とし、ナショナリズム、レイシズムをともなうものである。「民主制」は、自らの領土において、自らのために自らを組織化する特定の人民のものである。この集団は、自分たちの領土を護る。人類一般のために物事を決する抽象的な集合体ではないのである。
 当事者たちが気づかない人類学的基底が残存するため、自由主義的民主制が不平等的権威主義体制に変異することがあり得ることは、つねに忘れてはならない。

⑶高等教育による新しい格差と分断
 20世紀初めのアメリカの教育革命以来、まず先進国で、そしてそれを追って開発途上国で教育が普及し、さらに高等教育が普及していった。「識字化」にはじまる教育の普及は、人々の社会の発展に大きく寄与したことは言うまでもない。
 しかし高等教育の拡大・普及は、社会を、そして政治・経済をリードする高度な知識の取得によって、それらを享受した人々のステータスを高め、それは「メリトクラシー」の思想を生んだ。その結果、社会に新たなエリート階層を形成するようになった。アカデミアは、公式イデオロギーはたいていリベラル・進歩主義・左翼だが、客観的にもたらす機能は、平等の破壊をもたらしたのである。
 アメリカでは、黒人を差別することで平等となっていた白人層の内部に、高等教育による分断が加わるようになった。1970年代にアメリカは世界一の高等教育普及率を誇るようになり、1980年レーガン大統領就任ころから、経済的にグローバリズムによる新自由主義の時代、すなわち不平等の時代となり、1980~2015年にはアメリカ全体の最富裕層の所得が激増し、経済的不平等が毎年拡大するようになった。
 グローバリズムは、国際的には富裕国と貧困国との格差をもたらし、国内的には黒人層と新たに教育格差から加わった新しい下層の人びとに大きな経済的打撃を与えた。
 黒人大統領オバマを輩出し、ラテンアメリカ系、アジア系移民に門戸を開け、2010年以降増加する白人以外のアメリカ人の優遇を唱えて、アメリカの優越的地位の継続・発展の夢を唱えて、有権者の多数を掌握するかに見えたアメリカ民主党だが、トランブは、中国に騙され、同盟国(トルコ、サウジアラビア、フィリピン)に愚弄されたアメリカをごまかさずに引受け、グローバリズムのもたらす国民の困窮を指摘して選挙民に向かって世界の現実を述べることができたことで、大統領選挙に勝利した。
 教育の普及は一定度世界的収斂を示すが、発展途上の国々が教育の成果たる頭脳を先進国に略奪されることも恒常化している。アカデミズムは新しい格差を生じるので、社会のイデオロギー的分裂は超克不可能であることも注意すべきである。

⑷直系家族型社会─ドイツと日本
 平等主義的意識が低い直系家族は、社会的規律と個人的内向を同時に強化するが、並外れた効率性とパフォーマンスを発揮するときがある。父から子への継承を重視する直系家族の特徴として、ドイツと日本は、産業・技術の継承・継続に熱心であり、それが産業の成功に貢献している。この2国は、集団的な組織能力、国民レベルのナショナルな集団意識に優れる。たとえば政府が貿易制限を設けなくても、自然に自発的に自国製品の購買を選好する。
 日本は、自ら自分たちは特異だと自覚し主張している。ドイツも日本も、ゾンビ・ナショナリズムが浸透しているのである。これに対してゾンビ・平等主義核家族のフランスは、どの国も皆同じ人間と思うお人好しである。
 ただドイツ・日本の2国は、ともに出生率の低迷に苦しんでいる。この点では、ドイツ・日本の父系の強い直系家族が不利であり、個人主義的・自由主義的・女権拡張的なヨーロッパ的核家族型社会が有利である。すなわちホモ・サピエンスからさほど遠ざかっていない、原初に近い社会のほうが、出生率改善によりよく機能していると言える。
 ドイツと日本が異なるのは、移民に対する方針である。日本は、人口の漸減をも受け入れ、移民を強く抑制しているのに対して、ドイツは近年移民受け入れに積極的となった。しかし移民がドイツに適合できるためには、かなりの時間を必要とする。「場所の記憶」は、郷に入っては郷に従う人類の特性から、じゅうぶんな時間をかけさえすれば出自の性向を脱して、移入した先の場所の習俗に倣うようになるが、短時間に大量に移入すると、移民だけが集合して独自のグループを成し、不満のある時は移入先に対して反乱を起こすことがある。ドイツも、苦い経験を繰り返すと、日本のように移民を閉ざすようになる可能性はある。

⑸ヨーロッパ連合の失敗
 EUは、2つの大きな過ちからスタートした。
①経済の決定力がなにものにも勝るとの誤解
②諸々のネイションのあり方が、消費社会のなかでひとつに収斂していくという誤解
 しかし人類の世界は、そんな単純な仕組みにはなっていない。経済の推移だけでさえも、教育・宗教・家族の影響力という深層に潜む力が支配しているのだ。
 EUは、平等主義核家族のフランス中央部のエリートが提案した、経済統合による共存共栄から加盟国が実質上人々の統合を果たし、「市民とネイションの自由と平等の繁栄」を目指すものであった。まさに平等主義を前提とした理想を追求したものだが、ユーロ圏各国の家族類型を冷静にみると、46%が直系核家族、27%が平等主義核家族で、そもそも直系核家族のドイツが主導権を握る傾向を包含したものであった。さらに、フランスの周縁部はパリのある中央部とは異なり、ゾンビ・カトリシズムの地域で、反宗教改革の延長から権威主義的で不平等主義的な傾向があり、直系家族型に通じる性向を有する。
 家族類型と宗教の影響の複雑な複合の結果、権威主義的な気質がユーロ圏で支配的となっている。ユーロ圏全般に、緊縮経済政策を選好し、トップダウンの権利を歓迎するイデオロギーが存在している。単一通貨ユーロを構想したのは、実はそのようなフランスのエリートたち、1981年政権についたフランス社会党のエリートたちであった。単一通貨ユーロは、人々に仕えるためでなく、人々を支配するためにつくられた通貨であった。かくてEUの管理は、現実には人間不平等の価値観で進められた。
 ユーロのせいで、経済の強い国と弱い国との間の競争がより過酷になった。平価切下げで無理な条件から自国経済を護る手段が失われ、イタリアやフランスの産業は、ドイツやスカンジナビア諸国との競争に耐え得なくなった。すでにフランスは、独自に経済政策を立案・遂行する能力を喪失して、EUに、つまりはドイツに、ほとんど隷従しているのである。ユーロを提案したフランスは、ドイツに敗れ去り自滅したと言える。
 西ヨーロッパと東ヨーロッパの賃金水準の格差が、若い労働力の移動、とくにドイツへの大量流入を惹き起こし、東・南ヨーロッパの人口破壊まで招いている。EUで国ごと併合された旧東側諸国は、低賃金を西側に受益させながら自分はめぐまれないままとなり、精神不安まで発生し、ネイションとして生き残れるかどうかの瀬戸際に瀕しているのである。
 いまやヨーロッパはドイツにしっかり掌握されている。この権威的かつ不平等的なEUに反抗したのが、本来自由主義的価値観を担う核家族型が支配的なイギリスであった。ブレグジットは、合理的で適切な判断であった。

⑹共同体家族型社会─ロシアと中国
 ロシアでは、ソ連崩壊後の1990~2000年の大混乱の後、選挙制度と全会一致的傾向の強い投票行動を組み合わせて安定化を図る権威主義的民主制が台頭した。その背景には共同体家族の価値観がある。権威主義は人民のなかに根を張っていて「場所の記憶」として際限なく再生産される共同体家族の価値観を源泉にしている。
 それは父系制農村の緊密な対人関係、平等主義的な大家族、自主的共同組織、そして権威に対して甚だしく恭順的、という特性をもち、国家主導の社会主義に適合するものであった。スターリンは、それをうまく利用して、抗しがたい集団主義の夢を実現させた。ロシアを支配している権威主義的民主制は、一人の人物とその一派の結果であるよりも、むしろロシア人の政治的体質の表現である。西側からは「独裁者」に見えるプーチン大統領だが、ロシア市民の多くは彼に満足していると思われる。
 クリミア半島奪回、ウクライナ内のロシア系住民の自治権獲得などは、伝統的な人民自決権に照らせば正当な調整と思われる。
 第二次世界大戦でナチス・ドイツを敗退させ連合国勝利に貢献したこと、そして今の地政学的現実の考慮からは、ロシアに対する西側の脅威は過大評価そのものだ。冷戦の勝利に酔うアメリカがふたたび全世界の支配者を自認し始めるのを阻止し得る唯一の均衡要素として、我々はロシアの存在に感謝すべきである。
 中国は、アメリカをはじめとする西側に、安価な労働力の提供、大きな市場の開放などで、とくに富裕層に貢献したので、きわめて好意的に捉えられた。
 中国は(インドも)父系性へ向かう傾向を示していて、男性の出生を女性より優先しようとしている。強い父系性原則から権威主義に、しかしあわせて平等主義に結びついた共同体家族的価値観の残留がある。中国の価値観に潜在する平等主義は、経済的不平等がいちじるしく拡大する時期には、社会的・政治的システムの均衡にとってひとつの脅威となる。そのため指導者たちは、民衆を恐れる気持ちのなかで生きている。体制硬直化が中国の民衆に重圧をかけているので、体制は民衆の気持ちを逸らすために危険なまやかしの標的を作り上げる。つまり外国人恐怖症的なナショナリズムが中国共産党によって培養されている。その点で、中国共産党はマルクスレーニン主義から遠ざかり、ファシズムに近づいて、それが隣国日本に毒を盛っている。繰り返し南京大虐殺を叫ぶのである。
 世界全体の需要鈍化にぶつかり、それに起因する成長率急落を被り、男女人口の著しい不均衡に苦しみ、平等主義文化の状況下で不平等の台頭に直面している以上、13憶の人口を抱える中国は、世界の不安定化の大きな極のひとつになるだろう。

 以上が、エマニュエル・トッドの述べた内容の梗概である。以下に、私の感想を簡単に書く。
 これまでの多くの論考、歴史書などが、ほとんど「経済面の重視」が目立っていたことは、トッドの言う通りであろう。トッドがもっとも主張したいことは、経済だけでなく、人類の心理の、また歴史の深層に潜む、下層の意識構造を考慮しないと、歴史の進み方、世界のありさまを理解できないというものである。私には、彼の述べることすべてがよく理解できたとまで言えないが、私がこれまで理解できなかった世界情勢や歴史の事実に対して、こういう切り口、こういう理解の仕方があったのか、と考えされられることがあったのは事実である。たとえば、アメリカの軍事・外交の専門家ロバート・ゲイツの書『Exercise of Power』にある、「歴史的事実としては、悪虐 な独裁者を取り除いても、代わって登場する人物もまた大問題の人物となるのが普通だ」という現実に、トッドのいうような事情があると納得できる。

 1990年代末ころに発刊されたアメリカの歴史学者デイヴッド・ランデスが記した『強国論』という本に、国が経済的成功を実現するためには、その国の経済に関する態度、いわば文化のありようが決定的である、との説明があった。私も仕事を通じての直接の経験で、国によってその文化が大きく異なることは体験した。しかしなぜそのような国別の差異ができるのかの説明はランデスの本にはなかった。今回、トッドの本で、かなり理解できたように思う。
 ただその意味では、今回のトッドの本では、イスラム系の人たちの家族類型による行動の特性についての論考がほとんどないのは残念であった。
 最後に、トッドの論考のなかで、とくにロシアに対する評価については、私はほとんど了解できない。私には、理不尽なロシア贔屓にしか見えない。
 すべてが理解できたのでもなく、すべてが納得・了解できたものでもないが、これまで見たことのない斬新な視覚を提供してもらえたことは、とても有難いし感銘もあった。

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