テート美術館展(10)
光と動きの印象をつくりあげるさまざまな方法
20世紀に入り、マーク・レスコ(1903~1970)、バーネット・ニューマン(1905~1970)、ゲルハルト・リヒター(1932~)などが現れ、色彩と形への関心について同じように言及した。ロスコは、普遍性の表現に挑戦した。特定の事物にこだわることを放棄し、縦長の画面のなかにぼんやりと浮かび上がる、振動するような長方形を配置する独自の様式を確立した。ニューマンは、ユダヤ教の天地創造の神話に関心を抱き、神と人類をひとすじの光として表現する画面の縦方向に走る線を描いた。
リヒターは、カンヴァス全体に絵具を塗り、削り取り、そして引っ掻いて最初に描いた画面を破壊し、その上に新しいイメージをつくりあげる。そのひとつの作品がゲルハルト・リヒター「アブストラクト・ペインティング」(1990)である。リヒターは抽象絵画を「見ることも記述することもできないが、存在していると結論づけられる現実を視覚化するものだ」と言っている。
オラファー・エリアソンの「星くずの素粒子」(2014)は、光線を透過する構造の彫刻と照明とを組み合わせて、照明の条件や鑑賞者の立つ位置によって表情を変化させる彫刻作品である。結晶構造のような造形は、爆発した星くずの素粒子を拡大したもののようであるが、なにか新しい生命を象徴するもののようでもある。
主に絵画をとりあげ、造形芸術の18世紀末から現代までの変化を、「光」を軸として考えるという趣旨の展覧会であった。そもそも造形芸術、とくに絵画は、光があって初めて意味をもたらすのだが、顕わに「光」を意識し、また強調した芸術活動というと、私たちは「印象派」を連想する。しかしあらためて「光」と芸術との関係を歴史的に俯瞰してみると、この展覧会のように、芸術家の光との格闘はさらに少なくとも100年ほど遡るのだろう。そしてヨーロッパ、とくにイギリスでは、時代背景に産業革命があり、それにともなう都市の発達、社会の変化があった。その変化に対する芸術家の反応にもさまざまな立場があった。
芸術もヒトが創造するものである限り当然のことではあるが、時代から強い影響と規制を受ける。「光」という芸術の要素を軸にして、あらためて振り返った展覧会は、私にとっても新鮮な視覚を与えられたことで、とても興味深い鑑賞であった。
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