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竹内栖鳳展 京都京セラ美術館(5)

Photo_20240208060301 本画の革新─日本画の破壊と創造
 栖鳳は、明治40年(1907)文展開設とともに審査員となり、以後大正7年(1918)まで歴任した。帝展(現日展)審査員にも就任し、さらに大正2年(1913)「帝室技芸員」に推挙され、名実共に京都画壇の筆頭としての地位を確立した。
 栖鳳は、つねに「日本画の伝統を重んじ、古典絵画を尊重することは大切だが、それをまねるようなことに終わってはならない。つねに新しい息吹を取り込んで、研鑽を積んで、変化していくことが必要だ」、「先ずは、思い切ってこれまでの日本画を破壊するくらいの気持ちで取り組まねばならない」と後進を𠮟咤激励した。
 専ら風景と動物を描いてきた栖鳳が、はじめて人物画を描いたのが「アレ夕立に」明治42年(1909)であった。
 このタイトル「あれ夕立に」は、京舞井上流の舞踊で、曲は清元「山姥(やまんば)」の「あれ夕立に濡れしのぶ」からの引用であることが、京都産業大学日本文化研究所特別客員研究員の石塚みず絵の研究で裏付けられた。
Photo_20240208060401  ここで登場する舞妓の着物の表現が鮮烈である。栖鳳がとくに好む鮮やかな群青の地と、その上に描かれる華やかな白の芙蓉、帯は色彩が地味なだけでなく、よく見ると彩色を敢えて省いて下地をのこす表現としている。着物の描写は、かなり速いタッチで描かれたようであるという。舞妓が持つ扇は、京舞井上流で使用するものと分かり、井上流の記録映像を精査したところ、芸妓が舞踊会で清元「山姥」で舞っている姿が、竹内の絵と同じ振り付けであると判明した。人物画であるが、精緻な写生画でもあったらしい。
 「潮沙永日」大正11年(1922)がある。
 この作品は、タイトルのとおり春の日永の表現である。静謐で穏やかな海は鮮やかな青色に光り、画面全体に落ち着きと癒しを感じさせる。ごく小さく描き込まれた舟と人物が、長閑さを一層引き立てている。海岸の樹木の幹も、か弱いほどに細く、あくまでも優しい。

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