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井田幸昌 パンタ・レイ展 京都市京セラ美術館(8)

7.最後の晩餐
 最後の展示コーナーは、暗闇に包まれた部屋のなかに、ひとつだけの大型の絵画作品であるLast Supper 2022が、局部照明に照らされて展示されている。井田は、何世紀にもわたってさまざまなアーティストたちが取り組んできた古典的モチーフである「最後の晩餐」に対して、超現代的な表現を試みた。
 井田は言う「実はこの絵には人がいない。現在、女性の社会的地位はますます高まりました。人工知能が発達し、人間に代わってロボットが新たな時代を築こうとしています。そんな時代に最後の晩餐を描いたので、現代の人間に対するアイロニーとして表現したいと思いました。」Last-supper

 この絵では、イエスとその12人の弟子たちが一見女性のようにみえるが、よく見るとそのすべてがロボットに置き換えられているのだ。晩餐と言いつつも、ロボットが食べないであろう食べ物は、机の上に一切置かれていない。人工知能が人間にとって替わろうとする現代に対応して、神話や信仰を形成するもっとも究極的な場面から人類を排除したのである。この展示のように、壁に映写されたかのようなシーンは、ロボットが動いているフリーズフレームのように見える。
 この展覧会を観ることになったのは、ほぼ偶然といえる。何気なく見ていたネット記事で「「一期一会」をテーマにした絵画や立体作品などで海外でも高い評価を受けている若手の画家・現代美術家」との紹介があり、その展覧会が京都の京セラ美術館で開催されているという。残暑が厳しかった9月が終わり、10月になって一気に秋めいて、せっかくの好天候に、家には籠っていられないという気にもなっていた。
 はたして、展覧会を観た結果は、わざわざ出かけた値打ちが十分にあった。
 この若い造形アーティストは、絵画・彫刻の分野の範囲だが、具象から抽象まで領域・表現手段を限定しないで、かつ表現ジャンルはしっかり意識しながら、実に広範囲に自由に創作活動を展開している。
 これまでに少なくとも数百年以上にのぼる人類の美術への活動の蓄積は、実に膨大なもので、私たち門外漢が眺めて楽しむ分には、楽しみはあっても苦痛はない。しかしこの世界で生涯を賭して新たな価値を創造しようとするアーティストにとっては、既存の壁は実に高くて厳しいものだろうことは、私のような素人でも十分想像できる。そんななかで、まだ30歳をようやく過ぎたばかりの若いアーティストが、どんな気持ちで、どんな考えで、どんな風に格闘しているのか、それだけでも興味はつきない。
 創造性も個性も知識もない評論家や「識者」に限って「日本人にはクリエイティビティが欠ける」などとのんきに無責任に発言したりするが、日本人に限らず、世界中のだれにとっても難しいものは難しい。それでも日本にも、懸命に格闘している人たちがいる。
 井田幸昌の作品そのものは、私にとってわかり易いものではなかったが、彼の創造への姿勢、考え方、思想などはかなり理解できたように思う。

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