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ユトリロ展 美術館「えき」(7)

色彩の時代
Photo_20240218060402  モーリスは1914年末、暴行と器物損壊で逮捕され、警察に連行された。そして精神病院で3週間の拘束の後に、治療のため別の精神病院に移送された。1915年1月に退院したが、その直後、今度は軍部によってアルジャンタンに召集された。しかし医学的検査の結果「精神病」と診断され、あらためて兵役免除となった。この後、モーリスは例のセザール・ゲイの店の奥で色彩の調和を探求し始めたという。
 1915年6月、祖母が85歳で死去した。モーリスはその後も、絵を描くこと、酒におぼれること、そして精神病院に入院することを繰り返した。
Photo_20240218060401  その一方で、この時期ころからモーリスの作品はより高く評価されるようになっていた。1917年5月のベルナイム=ジュヌの画廊で開かれたグループ展で、彼の作品は数枚を出品され、とても高い評価を得た。1920年までに、国際的にも評価されるようになった。
 1928年、フランス政府はモーリス・ユトリロに、レジオンドヌール勲章を授与した。
 「雪のサン・リュスティック通り、モンマルトル」(1933)が展示されている。
 10年間ほどの間に、かつて「白の時代」に使われた光と明暗法の調和によって生み出される壁面を軸とするコンポジションの統一感から、硬く乾いた黒い輪郭線で絵画空間を構成して、フォルムの幾何学化によってモチーフ間のバランスを保つ「色彩の時代」へと移行したのである。Photo_20240218060501
 1935年、52歳で年長の資産家未亡人ルーシー・ヴァロアと結婚し、パリ郊外の高級住宅地ル・ベジネットへ移ったが、そのころまでに彼の病状はさらに悪くなっており、外出さえ困難になっていた。モーリスは、部屋の窓から見える都市風景を描いたり、またポストカードや記憶をたよりに絵画を制作した。
 このころの作品として「ボワシエール・エコールの教会と通り(イヴリヌ県)」(1935)と「ラヴィニャン通り、モンマルトル」(1940-42)が展示されている。

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