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ユトリロ展 美術館「えき」(5)

母・義父・画商との確執のなかでの創作活動(中)
Photo_20240216053801 「可愛い聖体拝領者─トルシー・アン・ウァロアの教会」(1912)が展示されている。入院するうちに、モーリスは信仰心を高めるようになり、単に建築物の美としてだけでなく、その内面に向き合うようになっていったという。「可愛い聖体拝領者」という表現は、美しい白壁の教会の建物を、聖体拝受を行う少女のエプロンに見立てて、モーリスがそのように呼んだものだという。
 モーリスが芸術家であることを尊重した医師は、治療の手段として絵を描くことを勧め、モーリスはますます多くの絵を描くようになった。この治療は効果的で、1912年7月末に一家の友人の提案でブルターニュに行くことを、医師は認めた。
 ルイ・リボードはそれを知ると、その作品の専売契約とともに、絵の価格維持を図るため「1ヶ月に6枚以上描かない」約束をモーリスに迫った。モーリスは、シュザンヌ、ユッテルと共にウェサン島で2ヶ月以上過ごした。そこでもモーリスは絵を描いたが、リボードとの約束のため、12枚以下の風景および2点の小さなカルトン(下絵)しか描かなかった。シュザンヌは息子の作品のサインを偽造したが、買い手も気づいていた。Photo_20240216053901
 ウェサン島から帰ったモーリスは、サロン・ドートンヌに参加し、「サノワの通り」と「コンケの通り」の2点を出展した。しかし12月に再びモーリスの健康状態が悪化し、サノワの診療所に再入院した。その結果、1913年の大部分をここで過ごすこととなった。
 「モンマニーの教会」(1913)は、このころの作品である。モーリスが青少年時代を過ごしたモンマニーにある教会を描いたもので、ここでは壁以上に屋根の細やかな描写が特徴である。灰色をベースとしてその上に赤褐色、紺、緑が緻密に配され、面と質感が、さらにそれをとりまく空気の湿気までが感じられる。建物の形は、ぱっと見た目以上に精密な透視遠近法が実行されていて、どっしりとした安定感がある。

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