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ユトリロ展 美術館「えき」(3)

モーリス・ユトリロの「白の時代」のはじまり
 1909年の春、以後モーリスの画商となるルイ・リボートが最初の買い手として現れた。Photo_20240214061601
 これ以前にもモーリスは売ってくれる者であれば誰にでも絵画を売っていたが、画商としてではなかった。リボートは、モーリスの作品に目を留め、将来性を感じたのだった。
 1909年、25歳になっていたモーリスはサロン・ドートンヌに2点出品した。これがモーリス・ユトリロの作品が世に出た初めての展覧会となった。
 この年、シュザンヌとムージスが破局を迎えた。友人ユッテルと母シュザンヌは、ムージスのアパルトマンの真向かいに位置するコルトー街のアトリエを独占し、やがてモーリスは祖母と共にモンマニーのパンソンの丘の館に移住した。ムージスはこのころ離婚の手続きを開始したが、シュザンヌは一切を拒絶し、離婚は難航した。
Photo_20240214061701  シュザンヌもモーリスもユッテルも収入が全くなかった。モンマニーに移り住んだ一家は経済的に困窮することとなった。シュザンヌとユッテルは、大きな年齢差にもかかわらず夫婦同然で、モーリスより年少のユッテルは義父きどりであった。一時期シュザンヌとユッテルは、モーリスを石膏採掘場に労働に行かせたのだが、公衆の面前で大暴れし警察沙汰になって終わった。ユッテルはモーリスの冒した失態の仲裁をした。また時間があるときは、モーリスも自身の描いた絵を売ろうとした。
 モーリスの才能とその絵の商品価値を理解したリボードは、モンマルトルの作品倉庫で半ダースほどの作品の購入・転売に成功し、かなりの利益を稼いだ。Photo_20240214061801
 1911年シュザンヌ側の過失としてポール・ムージスとシュザンヌ・ヴァラドンとの間の離婚が控訴院で確定した。モーリスはアルコール中毒の影響が抜けず、泥酔と性器露出など猥褻の罪で起訴され、罰金刑を受けた。
 この後モーリスは、セザール・ゲイという元警察官と知り合った。ゲイは「カス・クルート」という酒場と「ベル・ガブリエル」という店を所有していた。モーリスはそこに出入りし飲食するだけではなく、店の奥で絵を描くことを許された。完成した絵はゲイが自分のカフェのホールに掛け、それが来客の好評を博し、芸術家としてモンマルトル一帯に認知されるようになった。
 このころモーリスが、アルコール中毒に苦しみながら、その呻吟のなかで描いた絵は、建物の壁の白色をベースに、質感まで丁寧に表現するユニークなもので、後に「白の時代」と呼ばれるようになった。
 「モンマルトルのポワソニエ通り」(1910)、「モンマルトルのノルヴァン通り」(1910)、「パリのサン=セヴラン教会」(1910-12)などが展示されている。絵具に貝殻や漆喰を混ぜ込んで、白い壁の色の微妙な陰影と質感の表現が特徴である。「パリのサン=セヴラン教会」では、漆喰の壁が風雨にさらされてヒビが入り、その白色の汚れとともに劣化している微妙な表面までもが丁寧に写実表現されている。

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