2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
フォト
無料ブログはココログ

« 竹内栖鳳展 京都京セラ美術館(8) | トップページ | ユトリロ展 美術館「えき」(2) »

ユトリロ展 美術館「えき」(1)

 JR京都駅伊勢丹にある美術館「えき」で、生誕140周年というユトリロの展覧会を観た。
 モーリス・ユトリロの絵は、これまでなんども個別には観ていて、いつも大いに惹きつけられるものがあった。今回は、私にとっては初めてのユトリロ限定の個人展覧会であった。

モーリス・ユトリロの誕生から幼少期
 モーリス・ユトリロの人生は、奔放な母のもとに生まれたことで、不安と波乱に満ちた、「普通」・「正常」からはほど遠いものであった。
 モーリス・ユトリロは、1883年12月パリ・モンマルトルの近くでシュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれた。母親シュザンヌは、絵のモデルや針子をしながら、すでに画家としても活動していたため、モーリスは身体が弱く情緒不安定であったにもかかわらず、息子の世話を母親マドレーヌに任せ切っていた。モーリスは2歳のころから激しいてんかんの発作に見舞われ、その後も後遺症が残り、就学しても学校に馴染めなかった。このころ母シュザンヌは画家として自立できていたらしく、やがて息子モーリスをフレスネルという私立学校に入れた。Photo_20240212060201
 モーリスが7歳のとき、スペイン人の画家・美術評論家ミゲル・ウトリリョMiquel Utrilloが、モーリスを自分の息子として認知し、モーリスは「モーリス・ユトリロ」に改姓された。しかしミゲルが実の父親か否かはわかっていない。またシュザンヌは、そのミゲルを通じて異色の作曲家エリック・サティとしばらく愛人関係を結んだ。
 モーリス・ユトリロが8歳のとき、シュザンヌは息子を精神病の診療のため病院へ連れて行った。モーリスが10歳の1894年半ばから、シュザンヌは布地商であるポール・ムージスと同棲し、11月にコルトー街に引っ越した。ここでシュザンヌは自宅にアトリエを構え、絵画に専念するようになった。ムージスのおかげでモーリスとシュザンヌは、ようやく安定した生活を得た。しかしモーリスは幼少期から育てられていた祖母から、精神安定のためかアルコールを習慣的に与えられていて、すでにアルコール中毒に陥っていたとみられる。
 モーリスが12歳のころ、ムージスとシュザンヌは結婚を役所に届け出た。またムージスの財力によりモーリスをピエールフィットのモランという私立小学校の寄宿舎に預け、毎週日曜日にシュザンヌとムージスが息子モーリスを訪れるという生活となった。
 モーリスはその後、パリ市内トリュデーヌ大通りのロラン中学第五学級に入学し、優秀な成績を収めていたが、最高学年まで進んだときさまざまな問題を起こして、中学を退学した。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

« 竹内栖鳳展 京都京セラ美術館(8) | トップページ | ユトリロ展 美術館「えき」(2) »

美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 竹内栖鳳展 京都京セラ美術館(8) | トップページ | ユトリロ展 美術館「えき」(2) »