2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
フォト
無料ブログはココログ

« ユトリロ展 美術館「えき」(5) | トップページ | ユトリロ展 美術館「えき」(7) »

ユトリロ展 美術館「えき」(6)

母・義父・画商との確執のなかでの創作活動(下)
 一方で、サロン・デ・ザルティスト・アンデパンダンにモーリスの作品が出品され、シュザンヌとユッテルは自分たちもそれぞれ展覧会に参加する一方で、モーリスの発表・出展の面倒も見た。モーリスの作品をほぼ独占したリボードは、8区のリシュバンス街にあるウジェーヌ・ブロ画廊でモーリスの最初の個展を開催した。この展覧会では1912年から1913年までに制作された31点を展示した。しかしこの展示会は商売としては失敗に終わった。リボードは、モーリスが多作過ぎることが原因だと考えて、月6点以上描かないようシュザンヌに手紙を送った。Photo_20240217055901
 1913年10月には、モーリス、シュザンヌ、ユッテルはコルシカ島に向い、そこでコルシカ高地のベルゴデールに滞在し、20点ほどの作品を描き上げた。
 コルシカ島から帰った後、モーリスはシュザンヌを通じて画商のマルセイユと知り合った。マルセイユは、モーリスにとってリボードよりはるかに好い条件を提案し、契約はすぐに成立した。モーリスはこの収入でモンマルトルの丘の酒場を徘徊したが、その結果またもアルコール中毒を悪化させ、治療を受けることとなった。モーリスは1914年の前半をサノワで過ごし、絵を描き続けた。
 しかしこの後、これまでの画商だったリボードの干渉、シュザンヌ・ユッテルとリボードとの決裂など問題が発生して混乱し、それらの結果、モーリスは安定した収入を失った。
Photo_20240217055902  1914年7月、第一次世界大戦がはじまった。モーリスは、診療所を出た後軍隊に志願したが、8月末医学的理由で兵役を免除された。9月1日シュザンヌ・ヴァラドンとユッテルは結婚を役所に届け出たが、その月の末にユッテルは従軍してしまった。これらショッキングなことが重なり、モーリスはまた酒場に入り浸るようになった。
 このように、モーリスの制作活動のもっとも多作で豊穣な時期とされる「白の時代」は、モーリスのアルコール依存のとくに重い時代に重なっていて、モーリス・ユトリロ本人にとっては、けっして幸福な時代とは言えなかったようである。
 「白の時代」の最末期ころの作品として、「ブール・ラ・レーヌのスペイン皇女の館」(1915)、「サン=ディディエの教会、ネイロン(アン県)」(1917-18)が展示されている。このふたつの作品を観ても、モーリスの画風が少しずつ変化し、色彩も増しつつあることがわかる。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

« ユトリロ展 美術館「えき」(5) | トップページ | ユトリロ展 美術館「えき」(7) »

美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ユトリロ展 美術館「えき」(5) | トップページ | ユトリロ展 美術館「えき」(7) »