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「シュルレアリスムと日本」展 京都文化博物館(4)

3.拡張するシュルレアリスム(上)
 1930年代半ば以降、帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)や東京美術学校(現在の東京藝術大学)で、シュルレアリスムを指向する学生たちによって新造形美術協会など複数の絵画グループが結成された。芸術界のオピニオンリーダーのひとりだった瀧口修造も芸術雑誌『近代芸術』などを通じて彼らを支援した。こうしてシュルレアリスムは、外から受け入れる潮流から、内外で認められる自律的な活動へと成長していった。Photo_20240405055801
 北脇昇「独活」(昭和12年1937)が展示されている。
 北脇昇(きたわき のぼる、明治34年1901~昭和26年1951)は、名古屋市に生まれた。父が単身朝鮮半島に渡ったことから、明治43年(1910)母親と京都に住む叔父の元貴族院議員・実業家であった広瀬満正を頼った。以後、北脇は死亡するまで京都をほとんど離れなかった。同志社中学校を中途退学して、鹿子木孟郎の画塾に入り、30歳近くになって津田青楓の画塾に移った。
 昭和7年(1932)第19回二科展に初入選した。この年9月、京都洋画協会の結成に参加した。昭和8年(1933)独立美術京都研究所が開設され、その委員となった。昭和12年(1937)には京都青年芸術家クラブ結成に参加している。昭和14年(1939)福沢一郎ら40名の前衛活動家と共に、シュルレアリスム運動で知られる美術文化協会の創立同人となった。
 日本あるいは東洋の文化(仏教、禅、易、曼荼羅など)、さらには数学等の自然科学との融合の方向性を探り、ヨーロッパのシュルレアリスムの真似にとどまらない、日本的な独自の境地をめざした。

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