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「シュルレアリスムと日本」展 京都文化博物館(8)

5.戦後のシュルレアリスム(上)
 戦後、自由な作品発表が徐々に可能になり、戦前にシュルレアリスムにかかわった画家たちも、新たに独自の表現を模索していった。Photo_20240409054701
 わが国のシュルレアリスムを創成期から牽引してきた福沢一郎も、戦後活動を再開した。昭和23年(1948)発表した「敗戦群像」は、日本の近代美術史において、しばしば戦後美術の起点と位置づけられている。福沢は昭和27年(1952)渡欧し、その後ブラジルやメキシコ、インド、オーストラリア、ニューギニア等を旅してまわった。高度経済成長をとげる日本の社会状況にむしろ逆らうかのように、プリミティブなエネルギーから想像を膨らませた作品を多く描いた。そして昭和27年(1952)美術文化協会を脱会し、以後無所属を通した。
 同年、第4回日本国際美術展にて「埋葬」で日本部最高賞を受賞した。昭和33年(1958)ヴェネツィア・ビエンナーレ副代表として瀧口修造とともに渡仏し、さらに昭和40年(1965)公民権運動が高まりを見せていたアメリカを旅し、自由を求める運動のエネルギーを、アクリル絵具を駆使したすばやいタッチの連作として描いた。1970年代以降は旧約聖書や神話の世界に主題を求め、力強く奔放なタッチに鮮やかな色彩を特徴とした。多摩美術大学、女子美術大学で教授をつとめ、昭和48年(1978)文化功労者、平成3年(1991)文化勲章を授章している。

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